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工藤からの電話には出なかった。
電話やメールを無視するのはいつものことで今日もそれらと変わらないが今回は理由が違う。
罪悪感がざわざわと胸の中で音を立てる。
そんな関係ではないとか、義理立てする立場じゃないとか、たくさんの言い訳を並べながら電車に乗り込んだ。
楽しかったし、告白もされた。人生最良の日のはずなのに浮かれない自分に驚く。
むしろ工藤への言い訳ばかりで彼女のことを考える隙間がない。
これではいけないと小さく首を振って、無理にでも意識を彼女に集中させた。
控えめな性格も化粧で誤魔化さない顔も好意的に受け取ったし、あんな子が自分を好きだと言ってくれた。
明日死んでもおかしくないほどの幸運だと思う。
友達から考えてほしいと言われたが、彼女は自分が好きで、そんな状態で友達などできるのだろうか。最終的に他に好きな女の子が見付かったら彼女に酷な仕打ちになるのではないか。
そこまで考えて、自分は今まさに工藤に同じことをしていると気付いた。
相手が工藤だから傷つけても平気だろうと思ったし、大人なのだからそれくらいの傷はすぐに塞がるだろうとも思った。
けれど外野から見れば自分はとても最低な人間だ。
女でも男でも人間だし心がある。心に関わる問題に差があってはならない。
なのに気安く扱ってしまう。
また思考が工藤に流れてしまって舌打ちした。隣に座っていたOLが横目でこちらを睨んだ。

電車を降りて寮までとぼとぼと歩く。街頭が少ないのはいつも通りなのになんだか今日は特に暗く感じられた。
自分のテンションがガタ落ちしているせいだ。
段々と頭の中までも工藤にぶんぶんと振り回されているようで、罪悪感が怒りに変わる。
自分の心や頭まで工藤に乗っ取られたくない。そこは自分だけのもので、誰からの侵略も許さない場所だ。唯一干渉していいのは彼女だけで。なのに最悪なことに工藤がじわじわと侵攻してくる。
あいつと出逢う前まで戻りたい。普通に友達と笑って遊んで女の子にフラれてへこんで、そんな日常が恋しい。
工藤に会っていなければ彼女からの告白も素直に喜んだし、もしかしたらあの場でOKをしたかもしれない。
本来辿るべき道筋が工藤の出現で大きく外れている気がする。
もしかしたら工藤に振り回されている今がパラレルワールドで、本来の自分は昔と変わらぬ生活をしているのかも。
だとしたらどんなに幸せか。

「和希」

届いた声にはっと顔を上げた。つま先ばかり見て歩いていたので人がいることに気付かなかった。
しかも今一番会いたくない人物だ。じんわりと広がる染みみたいだった罪悪感がぶわっと一気に身体を巡った。
思わずすっと視線を逸らした。次の言葉が出てこない。
いつもなら悪態をつけるのに。思い切り嫌な顔をして無碍にするのに。
こんな自分にも状況にも苛々する。

「……なんで、ここにいんだよ」

「会いたかった」

こいつは、壊れたオルゴールのようにこの言葉を繰り返す。
人の顔を見れば会いたかった、会いたかった。こっちには一切ない感情だ。

「友人と遊ぶと言っていたが、夜になれば帰ってくるかと思って」

「…ああ、そ。悪いけど俺疲れてるから」

声を振り絞って横を通り過ぎようとすると腕をがっちり掴まれた。

「少しだけでいいから話しがしたい」

いつもいつも、こちらの事情はお構いなしで自分の欲求ばかりをぶつけてくるのが一番腹が立つ。
思いっきり腕を振り払った。

「疲れてるって言ってんだろ」

「…少しでいいんだ」

縋るような視線を向けられ自分が薄情者だと責められているような気になる。
走って寮の門の中に入れば工藤は追い駆けてこられない。そこからは関係者以外が立ち入り禁止だ。
だけど彼はきっと自分の願いが叶うまでしつこくこの場にいる。
今断ったら明日出直してくるだろう。どちらにしても面倒になる。
溜め息を吐いて助手席に乗った。工藤も運転席に乗り込みこちらに顔を向けた。
前だけを見てこの場をどうにかやり過ごしたいが、工藤の真っ直ぐと鋭い視線が痛いくらいに突き刺さる。

「で、なに。なに話すの」

「今日は何処へ行ってきた?楽しかったか?」

何気なく会話の糸口として聞いたのだろうが、詮索されているようで嫌だった。

「…別に、普通」

「そうか。楽しかったなら今度は私が連れて行こうと思ったのだが」

「いいよ。ガキが行くような場所に無理矢理行かなくても。あんたには楽しくねえだろ。それに、弁護士って忙しいんだろ?俺なんかと遊んでないで仕事しろよ」

「大丈夫だ。平日は死ぬほど働いている」

「それならこんなとこまで来ないで家で休んでろよ」

「身体の心配をしてくれているのか?」

「違う!」

自分でも驚くくらい過剰に反応してしまった。
工藤も目を丸くして、けれどもすぐに切れ長の瞳に戻った。

「…私は、和希の顔を見ると疲れが吹っ飛ぶ。和希に会うためなら毎日でも来られるし、その道のりも苦にはならない」

言葉に嘘はないのだと思う。この馬鹿はそれほど自分に溺れている。何故かは知らないが。
優しくされればされるほど、自分がクズに思えてくる。
もうやめてほしい。本当に、自分には一切関わらないでほしい。
自分が一番だめだ。宙ぶらりんで工藤にも曖昧な態度、彼女にも曖昧な態度。
工藤には嘘までついている。その場をやり過ごすための嘘は、毎回毎回つき続けなければいけなくて、どんどん大きくなってもう覚えていられないほど欺いた。
それならば嘘を誠にすればいい。そしたら胸を張って生きていける。
でも自分は男を愛せない。こんなに一生懸命な工藤を弄んで振り回しているのは自分の方なのではないか。

「…和希。和希!」

ぽんと肩を叩かれて現実へ戻った。

「…なに」

「どうした。今日は覇気がないな。余程疲れているのだな」

「まあ…」

「そうか。悪かったな。私の我儘につき合わせて。帰ってゆっくり休むといい」

工藤はエンジンをかけ、帰るように促してくる。
けれどもその場から動けなかった。今この場でもう二度と会わないと言った方が楽になれるのではないか。傷は浅い方が工藤もいいだろう。

「帰りたくないのか?」

「なわけねえだろ」

「そうか。残念だ。帰りたくないならこのまま自宅へ連れて行こうと思ったのだが」

「誰が行くかよ」

車から降りた。結局なにも言えないまま。
助手席の窓が下り、工藤がおやすみと言う。視線だけでそれに応えると車が走り出した。
闇の中に輪郭がぼやけているテールランプをなんとなく見送った。
釈然としない気持ちのまま、踵を返して自分も寮の扉を潜った。

「和希ー」

ロビーで再び呼び止められる。翔だった。飼い犬と別れたところらしい。

「丁度よかった」

「おう」

「まりあちゃん、しっかり送った?」

「あー。まあ…」

「まさか手出した?」

「出すかよ。最寄駅まで送って、そこでいいって言われたから帰ってきた」

「へえ。なんだ。がっかりだな」

「なんでだよ」

部屋まで歩きながら話していると、翔が顔を覗き込んだ。

「もっとテンション高く帰ってくると思ってた。お花畑状態で面倒くさいんだろうなって予想してたのに意外と冷静だからつまらないな」

翔の口ぶりに、こいつはすべてを知っているのだろうと思った。
帰り際に告白をされたことも。もしかしたら彼女と連絡をとりあっているのかもしれない。
もうこの際そんなことはどうでもいい。
考えてほしいと言われたが、考えることが多すぎてなにもかもが面倒になってきた。
すべての人間関係を手放したくなる。工藤も含め。しばらく誰からの干渉も受けずに部屋に引き篭りたい。

「一瞬テンション高くなったけど」

「なにか下がることがあった?」

「まあ…」

それ以上は話さないという意志を込めて口を引き締めると、翔もそれ以上は詮索しなかった。こういうところはすっと引いてくれるからありがたい。

「まあ、まりあちゃんのことは和希の好きにしたらいい。どっちにしてもなるべく早くなにか言ってあげた方がいいかもね」

「…あー。そうだな」

生返事をした。そんなことはわかっているが、なんて言ったらいいのだろう。返事を考えるのも億劫だった。

「じゃあね」

「ああ。おやすみ…」

翔と部屋の前で別れ、自室に入る。どっと疲れが抜けていく。
毎晩寝ずに遊んでも疲れないのに、なんだか今日は疲れた。特に頭が重い。
大浴場はもう閉まっているので軽くシャワーを浴びた。水を浴びれば心の汚れもたしょうは流れてくれるだろう。
風呂から上がって髪を乱暴にがしがしとタオルでふく。携帯は上着のポケットに入れたままソファに放置だ。
真っ直ぐに寝室へ向かいベッドに大の字になった。
真っ暗な部屋で真っ暗な天井を眺める。特になにも映っていないし、部屋は海の底のように静かだ。
数回瞬きをしてから瞼を閉じた。ゆっくり深呼吸をして一つずつ整理して考えようと思った。
自分は馬鹿だから複数を一気に処理できない。
まずは工藤だ。あれを片付けなければ彼女のことは手をつけられない。
深く、複雑に考えずともやるべきことはわかっているし、言うべき言葉もわかっている。
自分が今以上に最低な人間にならないようにしっかりしよう。
工藤のことは傷つけるだろうし、その時点で申し訳ない。
あんなに自分を想ってくれる人間には、もしかしたらこの先の人生で出逢わないかもしれないが無理なのだ。
工藤も自分もゲイではない。大丈夫だ。高校生の男のガキなどすぐに忘れて女性に目を向けてくれるだろう。奥さんと関係を修復するのもいいだろうし。
彼は大人だから大丈夫。心配するまでもなく、紳士的な対応をしてくれるだろう。
ただ、自分は一生この汚点を繰り返し思い出しては頭を抱えるのだろう。


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