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「あ、目覚めた?おはよー」
「……はよ…」
人工的なライトの眩しさと、小さく耳の奥で響く聞き慣れた声に目を覚ました。
薄らと瞳を開けると、当前のように蓮の笑った顔が視界一杯にひろがっている。
「楓やっと起きたー?寝過ぎだよー」
菓子を食べながら拗ねたように頬を膨らませる景吾と、苦笑している秀吉、無表情で俺を見詰めるゆうき。
何もかも、日常の当たり前の光景と変わらない。
友人の存在がそこにあり、俺の名を呼び、それぞれの性格通りの対応をする。
「楓、お腹減ってない?」
「え…?ああ、まあまあ……」
冴えない頭で返答を考えるのは困難だった。
申し訳ないが適当に相槌を打つしかできない。
「コンビニで色々買って来たから食べたいのあったら食べてよ」
「…悪い……」
何故皆が俺の部屋に集合しているのかなど、聞かずともわかる。
そして、皆がなるべく"普通"に接しようとしているのもわかる。
何も聞かず、優しく見守る。それがこいつらが俺へ接するときのルールなのだろう。
余計な気を遣わせて情けない。
それでも、目が覚めて友人の存在が近くにあるのがこんなにも嬉しい。
友達だから一緒にいるのが当前だったが、そうじゃなかった。
こんなにも温かい輪の中で自分はいつも守られていた。
きっと、秀吉が眠っている間に掻い摘んで説明をしてくれたのだろう。
とても、自ら香坂と別れたとは言えなかった。
香坂の名前を口に出すだけで涙が流れそうだから。
「お菓子も買ったんだけど、ほとんど俺が食べちゃったー」
「お前ほんま食い過ぎやで?糖尿病になんで」
「へ?糖尿病…?なにそれ痛いの?」
「……アホな子ほど可愛えんやなー」
「秀吉、景吾に難しい言葉は使うな」
「せやね、うん、せやったわ…」
笑い合う仲間達の中で、それは少し遠くに感じられた。
温もりは近くにあるし、皆が空気を壊さぬようにと頑張っている事もわかる。俺を想ってくれているのもわかる。
でも、純粋で優しい皆と一緒にいると、自分の汚さが露わになるような気がした。
真っ白な画用紙の中に真っ黒な自分がぽつんと点を作っているような感覚。
ここは俺の居場所なのだろうか。俺は皆と一緒にいてもいい人間なのか。
自分が傍にいることで、皆も汚しているで不安になる。
ベットの上、上半身を起こした状態で悲しくなって瞳を伏せた。
「……楓…?」
「……ん?ああ、ごめん、なんだっけ…」
「はい、何か食べなよ」
蓮が苦笑する。そんな表情をさせてしまって申し訳ないと思う。
「…サンキュ…」
袋の中にぎゅうぎゅうに押し込められている商品を取り出すと、それらは俺が好きだと話していた菓子や弁当だった。
全部、ふとした会話の中で何気なく話しただけだ。それなのに覚えていてくれて、それだけで胸を熱くさせるには充分だった。
「今、何時…?」
「んーっとね…十二時過ぎたくらいかな」
「マジか、そんなに寝てたんだ…皆ごめんな」
蓮や景吾は夜更かしが得意な方ではない。
今時の高校生にはめずらしく、十二時前か、遅くとも十二時には寝てしまう。眠い瞳を擦りながら、無理して待っていてくれたのだろう。
「何言ってるの楓。そんなの気にしないで」
「そだよ。たまには夜更かしも悪くないじゃん!」
「明日学校で寝ればいいだろ」
気を遣わせてばかりだ。
俺がこんな状況になり、少しでも落ち着く方法を考えて、温かく見守ってくれている。
それがわからないほど馬鹿じゃない。
「サンキュ…俺は大丈夫だからさ、皆休んでくれよ。俺ばっか寝ててもしょうがねえだろ?」
「でも…」
「ええやん、楓もそう言うてるし蓮もおるし、俺らは帰ろうや。また明日も学校やしな。景吾ほんまは眠いやろ?」
「あ、ばれた?」
「当たり前や。ちゃんと歯磨いて寝るんやで」
「へいへい!じゃあゆうき行こっか」
「…ああ」
「楓またねー。また明日学校でねー」
「おう、本当にサンキュな」
「ううん、おやすみー」
「おやすみ」
景吾はゆうきの手を引き一番に部屋を出て行った。
秀吉も、机に寄りかかっていた身体を起こし、自分も帰ることと、朝迎えに来ると約束して部屋を出ていった。
「蓮ももう寝ろよ」
「でも…」
「大丈夫だって、俺結構寝てたからあんま眠くねえし」
「…そっか…楓がそう言うなら…」
表情に困ったとき、眉を八の字にしながら笑うのが蓮の癖だ。俺がそうさせている。
俺が今どんな行動や表情を作っても皆はきっと心配し続ける。
元気なのだと虚勢を張っても、逆にとことん落ち込んでも、どちらにせよ。
周りの人にまで迷惑をかけ、心配をさせ、自分で自分を殺したくなる。
心の拠り所を探してみたところで、それは彼しかいない。けれども、それは遠くへ去ってしまった。
「じゃあ僕寝るね?」
「ああ」
寝巻きの上に羽織っていたカーディガンをベットに畳んで置くと、蓮はおやすみと一言言い、布団を被った。
残った俺はというと、何もする気がおきず、起こしていた身体をまたベットに逆戻りさせた。
電気を消し、暗闇が部屋を包むと、暗闇の中にぽっかり香坂がいてくれるような気がした。
香坂の腕の中で眠れたならばどんなに幸せだろうか。
当然のようにそこにあった温もりが突如なくなる痛みは想像以上だった。
「……楓、起きてる…?」
「…ああ、なんだ?」
突然、蓮がこちらを向いて話し始めた。
「こっち、来ない?」
「え?」
「久しぶりに一緒に寝ようよ。ほら、こっち来て」
壁際に自分の身体を寄せ、俺が入るスペースをつくると、布団を上げてこちらへ来いと誘導する。
「…どうしたんだよ、急に」
「たまには楓にも甘えたくなっただけだよ」
「須藤先輩に怒られんじゃねえの?」
「拓海には内緒だよ」
ふふっと悪戯に笑った顔が可愛らしい。それは、例えばマッチの頼りない炎のようだ。
すぐに消えてしまいそうなほどか弱く、小さいけれど、それは確実に心に響く温かさなのだ。
自分が甘えたい、などと言っているが、それも全て俺のためだと承知だ。
「じゃあ蓮の気まぐれに付き合うか」
自分のベットから抜け出し蓮の隣に横になる。
昔、恋人同士だった頃は毎日のようにこうして眠っていた。
身体を重ねなくとも、隣でぴったりと寄り添い、手を繋いだり腕枕をしてあげたり。
痺れるからからいいよと蓮は言ってたが、腕枕が大好きだと知っている。
蓮の身体は小さい方だが、シングルのベッドに男が二人では多少手狭に感じられる。だが、それが逆に心地よかった。
「……懐かしいな…」
「そうだね、いつも一緒に寝てたよね」
何が、と言わずとも蓮も同じことを考えていたらしい。
「蓮の寝言いつも聞いてたなあ」
「嘘、僕寝言なんて言わないです」
「よく言ってたじゃねえかよ。すいません!とか急に謝ったり」
「絶対嘘だよ!僕じゃないよ、それ」
「お前以外に誰がいんだよ」
「…恥ずかしいから忘れて」
「忘れらんねえなあ」
「もー…」
くすくすと笑い、お互い向き合うように横になる。
肘を曲げて顔の横に手を置いたままにしていると、蓮が俺の手をそっと握った。
目を瞑ったまま穏やかに笑う蓮は、母のような強さをどこかに潜ませている。
「……楓、大丈夫だからね。僕達いつも一緒だよ。いつか、なにもかもうまくいく日がくるから。大丈夫だからね…」
「…蓮…」
「大丈夫だよ、楓…」
大丈夫、と繰り返し呪文のように唱えると、蓮はとうとう夢の世界へ行ってしまった。
優しく響く、蓮の柔らかな声。それは胸の中で反響し、俺の不安を消し去ってくれる。
蓮の優しさに感謝し、相手が眠っていては意味がないが、ありがとうと小さく呟いた。
いつかなにもかもうまくいく日がくる。
そう言ってくれた蓮の言葉を今は信じるしかない。
たとえ、香坂と一生離れ離れでもそれもいい思い出として受け止められる日がきっとくる。
俺の出した答えは間違っていない。強く思わなければ不安や疑問に浚われる。小さな覚悟など、大きな波にのまれてしまう。
眠ることなどできそうにないので、蓮の寝顔を眺めながら何度も覚悟を噛み締めた。
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