Episode12:服従の代償



目を覚ましたときにまず感じたのは鉛のような頭の重さだった。
霧がかかったようにはっきりとせず、思考が奪われる。
視界に映るのは、見慣れている真っ白い天井だった。いつの間に寮に戻ってきたのか、思い出そうとするけれど脳は一切を拒否する。

「……俺…」

周りに人の気配はなく、ただ一人、自分だけがベットの上に置き去りにされていた。
ここは何処なのだろうか。寮だということは理解できるが、自室ではない。
何故自分がこの場にいるのか。
思い出さなければいけないと頭を捻ったが、痛みに負けて考える事もやめた。
今まで感じたこともないような全身の倦怠感に、眉を寄せるのも苦痛だった。少し指を動かすのも面倒なくらいに。
それなのに酷く喉が渇いている。何でもいいから水分を摂りたかった。
虚ろな目で周りを見渡せば、ベット脇のチェストの上にミネラルウォーターがあった。
それを取ろうとゆっくりと上半身を起こした刹那、腰辺りに激痛が走った。

「っ、…な、んだ…?」

手で腰を押さえてみるも、原因なんてわからない。どこか高いところから転げ落ちでもしたのだろうか。
身体中痛かったりだるかったりで、どうしようもない状態だが、とりあえずペットボトルのキャップを捻り、冷やされたそれを半分くらい飲み込んだ。

「……はあ…」

多少生き返った身体に吐息を零し、改めて部屋の中を見回す。
そこは、香坂の寝室と同じ造りをした部屋だった。けれども、彼の部屋でもないこともわかる。

「……俺、誰かに呼び出されて…」

途切れそうな記憶を必死に手繰り寄せれば、裏庭に呼び出され告白でもされるのだろうかとぼんやり考えていたところで羽交い絞めにされ、そして薬品の匂いを嗅いだのが最後の記憶だ。その後はまったく覚えていない。
ともすれば、ここはあの子の部屋なのだろうか。
ネクタイの色は確かに一年のものだったはずだが、この部屋の造りを見れば二年か、もしくは三年だろうと思う。

深まる謎を解明したいと思うのだけれど、考えるのはもう少し身体が楽になってからにしようと思う。
何の目的で俺を呼び出し、そしてこんな事態にさせたのかはわからないが、話を聞いている暇はないし、いつまでも眠っていられない。
面倒な事件に巻き込まれる前に去ってしまうのが賢明だと思う。
ベットの上には、ご丁寧に着ていた制服が畳まれて、綺麗に置いてあった。

「ってか俺何で裸…」

なにがなんだかわからない。
現実と記憶が追いつかなくて、自分が宙に浮いてる感覚だ。
ただ、頭の重さと身体の痛み、両方に耐えられる程自分は強くない。
こんな事なら目覚まさない方がよかったと溜息を零したとき、大事な事を思い出した。
皆で遊びに行こうと約束をして、校門で待たせていたのだ。
きっと今頃、俺が急にいなくなったものだから校内を捜し回っているだろう。
自分が何処にいるのかはわからないが、寮内という事が俺に変な安心感を与えた。
とりあえず誰かに連絡を入れなければ。
制服のポケットに入れていたはずの携帯を探したが、何処にも入っていない。
没収されたのだろうか。
それでも構わない。携帯はまた買い直せばそれで済む。

誰が何のためにこんな事をしたのかは知らないが、張本人が帰って来る前にここを脱出しなければ。
心は焦っても、身体は言う事を聞いてくれず、制服を着るのに随分手間取ってしまった。
腰も酷く痛み、ちゃんと歩けるか自信がない。
よろめく身体に鞭を打ち、壁に掴まりながら部屋のドアノブを捻ってみたが、開く気配はない。

「…あれ?」

鍵が外からかけられているのか、何度捻っても無駄だった。

「……マジかよ…」

危機感を申し訳ない程度しか持っていなかった俺は、部屋に軟禁されているという事実をやっと呑み込み、今になって緊急事態であると気付いた。
窓から抜け出せないかと試みたが、どうやらここは最上階のようで、それも無理と判断した。

「嘘だろ…」

何か策はないものだろうか。シーツや布団カバーを繋ぎ合わせ、映画やドラマのように抜け出そうか。
しかし、自分のことだから失敗して更に身体を痛めるであろうと容易く想像できる。
考えなければいけないと思うのに、焦りと痛みで碌に思考ができない。
もどかしさに舌打ちをし、扉を何度も拳で叩いてみたが反応はない。
どうしようもないと判断し、じたばたしても仕方がないので、とりあえず身体も脳も休ませようと決めた。
こんな状態では誰とも戦うことができない。

ベッドに戻ろうと掛け布団を勢いよく捲ったとき、シーツに真っ赤な染みができている事に気付いた。
間違いなくこれは血だ。
自分の身体に外傷はないか、見えるところをくまなく見たがそれらしきものはない。
首を傾げ、全く意味のわからない事だらけの事態に、頭もいよいよ混乱を極めてきた。

呆然とベットの上に正座をしていたが、開錠する音がして、焦燥に駆られ急いで掛け布団を頭まで被り身を隠した。
正体も知れぬ相手に喧嘩を売れるほど強くはないし、普段ならまだしも、こんな身体では蓮にすら負ける自信がある。
妙な恐怖に駆られ、ベットの中できつく瞳を閉じた。

遂に鍵は開けられ、誰かが部屋に入ってくる。
ゆっくりとこちらに近付く足音に、益々身体は強張る。
高鳴る鼓動に冷汗をかきながら、震えそうになる身体を自分で抱いた。

「…目覚めたかな、楓君」

聞こえた声に瞑っていた瞳を開け、布団の中から顔を出した。
まさか、いや、そうではありませんように。煩く鳴る心臓の音がやけに耳に響く。
どうか、どうかと願ったが、願いも虚しく、瞳に映った人物は――。

「……水戸、先輩…」

「おはよう」

にっこりと笑い、そんな呑気な挨拶をする水戸先輩を睨みつけた。

「……なんで、先輩がこんなとこに…」

「なんで?おかしな事を言うね。そんなの俺が君を浚ったからに決まってる」

「……だって…俺は小柄な奴と話してて…」

「…ああ、彼にはちょっと協力してもらっただけ」

先の先まで読んで、俺から警戒心を払った上で計画を実行した、と水戸先輩は満面の笑みで言う。
その表情にまた背筋が冷たくなった。

「…ここから出せよ」

何の目的で、何故俺をつけ狙う。
聞きたいことは沢山あったが、水戸先輩と二人きりという今の状況が恐ろしくて仕方がない。
兎に角先輩から離れ、皆の元に、香坂の元に帰りたい。

「ああ、構わないよ」

返事は意外にもあっさりとしたもので、逆にこちらが拍子抜けしてしまった。
そんな簡単に出してくれるなら、こんな事をした意味がない。
俺を軟禁して、脅える姿を見て楽しもうとしていたのではないかと思った考えは、見事に打ち砕かれた。
先輩の思考がまったく読めずに、だからこそ益々恐ろしい。
次は何をされるのか想像がつかない。故に対策も練れない。

「……構わないって…」

「だってもう目的は果たしたし」

「……もく、てき…?」

「そ、楓君を香坂から奪うっていう目的をね」

不敵に笑うその表情を見て、再び全身から血の気が引いていく。
言葉にならない言葉が次々と喉を通り過ぎていくばかりだ。

「な、に言って…」

香坂から俺を奪うなど、随分ふざけた事を言う。
そんなの、俺の心が水戸先輩に傾かなければ絶対に有り得ない事なのに。
けれども水戸先輩は勝者の笑みを崩さない。欲しい玩具が手に入り、充分に満足した少年だ。

けれども、俺はたった今目を覚ましたばかりで、水戸先輩に心を捧げた覚えはない。
例え、記憶が飛んでいる間に契約書に署名をしていたとしても、それでも水戸先輩のモノになる気などないし、香坂と別れるつもりも更々ない。

「…俺香坂と別れるなんて言ってねえし…」

何に脅えているのかはわからない。
ただ、自信満々に俺を奪ったと笑う水戸先輩が恐ろしくて。
考えたくはなかったが、こいつの事だから姑息な手を使ったのかもしれないと思ったから。
未だ、にっこりと表情を変えず、おもしろくて仕方がないと言いたげな顔を見れば見るほど恐ろしくなる。

「だって、楓君は俺のモノだもん」

「だから、なんで…俺、お前とつきあうなんて一度も…」

「これ、なんだと思う?」

水戸先輩が目の前に翳したのは、小さなリモコンのようなものだ。

「……なんだよ、それ…」

「これのスイッチを押した瞬間に君は地獄へ堕ちる事になるかもね」

「だからなんだよ!」

いつも思う事だけど、こいつと話していると苛立ちを抑えられない。
とことん人を馬鹿にしたように回りくどい話し方が気に入らない。

「じゃあ、試しに電源入れてみる?」

水戸先輩の親指がゆっくりとスイッチを押し上げたその時、内側からの振動で身体がびくりと強張った。

「っ、なっ、なにっ…くっ……」

「歪んだ顔も可愛いんだねー」

「と、めろっ…」

何かを考える余裕はなかった。早く、この振動を止めたくて。何でもするから止めてくれと懇願したくなる。

「このまま楽しみたいところだけど、まあ、それは後でもいいや」

すんなりとスイッチを切ってくれたが、息は荒いまま、頭が痺れていく。

「どういう事か、わかった?」

わからないと首を縦に振る。
わかっていても、認めたくない。
起き上がったときに微かに感じた違和感がこれだったなど信じたくない。

「楓君の中にはビー玉くらいの玩具が入ってるんだよ」

「……なんで…」

「なんでって…君の事、おいしく頂いたから。その証拠になるように玩具でも入れておこうって思ってさ」

その言葉に絶句し目の前が真っ白になる。

言いたい事も聞きたい事もたくさんあるはずなのに、言葉が喉から出てくれない。
頭の中は疑問と否定が飛び交う。
何から整理していいのかも、今俺がここにいる意味さえも、何もかもがわからなくなってしまった。

「ショックかな?ま、当然っちゃ当然か。シーツの赤い染みも楓君のものだよ。傷つけるつもりはなかったんだけど、ちょっと手荒にしちゃって…ごめんね、痛む?」

「触んな!」

水戸先輩が手を伸ばした瞬間、過剰に反応し、その手を振り払った。

「俺は…俺はお前とやった記憶はねえし、そんな事絶対に認めない…」

「…でも、証拠が君の中にあるでしょ?」

「でも、でも俺は覚えてなんか…」

「うーん、でもさ、事実は事実なんだ。香坂はどう思うかな?」

香坂の名前が出た瞬間、身体が金縛りにあったように固まった。
香坂、香坂になんと説明すれば…。

「楓君が俺にやられちゃいました、それでも香坂は君を愛してくれる?他の男にレイプされた男なんて、さ…」

「やめろ…」

「楓君が嘘をつき続けるならそれでもいいけど、自分の意思と反しているとはいっても、君は香坂を裏切ったんだよ?」

「やめろ!」

誘導尋問されているような言葉を聞く度に、水戸の思う壷になっているような気がして耳を塞いだ。

「可哀想な楓君。でも、今の君はとっても魅力的だよ。俺と付き合ってくれるなら、香坂には内緒にしてあげる」

ぽんぽんと頭を撫でられ、そして水戸先輩は一枚のメモと俺の携帯を一緒に目の前に置いた。

「これ、俺の番号。君の考えが決まったら電話してくるといい。答えがどうであれ、部屋からは出してあげるから」

それだけ言うと、最後に頬を撫で、先輩は部屋から去って行った。

暫く自失したまま、真っ白な掛け布団に視線を落とした。

香坂、香坂。
届くはずなんてないのに、名前を呼ばずにいられなかった。
会いたい。今すぐにこの場に来てくれたなら。
香坂はきっととてつもなく怒るだろう。呆れて、それこそ別れを告げられるかもしれない。それでも構わない。会いたい、会いたい。
こんなにも求めているのに、香坂の姿が霞んでいく。

一体、俺はどうすれば…。

水戸先輩の言葉など信じたくない。記憶だってないのだ。
でも、確かに自分の中には小さな玩具が入っていて。
そして真っ赤な血。
腰に感じるだるさと痛み。
すべて身に覚えがあった。
香坂の部屋に泊まった翌日は、いつだってこんな調子で、手加減をしろと言っては鼻で笑われた。

本当に、自分は香坂を裏切ってしまったのだ。
自覚がなかったとはいえ、あれだけ警戒しろと言われていたにも関わらず。
全ては自分の不注意から起きた出来事で、これを自業自得というのだろうかと思った。
こんな俺を見て、香坂はどんな言葉をくれるだろうか。
怒って、呆れて、けれども最後には仕方がないと、汚れてしまった身体でも構わないと言ってくれるのではないかと想像するのは、俺の単なる希望だ。

「…こう、さか…」

呟いた名前は、昨日まではあんなに近くにあったのに、今じゃそれすら遠い過去のような気がする。

「香坂っ…」

呼べば呼ぶほど恋しくなって、でも、その胸に素直にとびこめない事が悲しくて、一筋の涙が頬を伝った。

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