2
授業中も変態への苛立ちは収まらなかった。
男同士で真面目な交際など傍から見れば片腹痛い出来事だと理解していたつもりだが、あんな風に絡んでこられると、そんな現実も受け入れられない。
白い目で見るのは構わない。ただ、そうっとしておいてほしい。異端だと承知しているから、腫物でも扱うように遠巻きに見て、それ以上は踏み込んできてほしくない。
男と付き合っているから、自分ともお試し感覚で付き合ってみようなど、そんな馬鹿にされ方は耐えられない。
男だから香坂と付き合っているのではなく、香坂がたまたま男だっただけだ。
悪い方向へどどんどん思考が小波のように広がり、無限地獄に陥る。
「景吾」
隣に座る景吾に小さく声をかける。
とりあえず今は自分の苛立ちよりも、何も理解していない景吾を説教することが先決だと思った。
「なに?」
「さっきの奴に変な事とかされたらすぐ俺に言えよ」
「さっきの…ああ、あの人ね、了解」
へらりと笑う景吾にこちらも脱力する。絶対に何もわかっていない。
危機感を持ってほしいが、景吾も男であり力もそれなりにある。同じ男なのだから何があっても平気だと余裕があるのだ。
けれども、現実は悲しいかなそうではない。
同じ性を持ち、同等の力があったとしても恐怖の前でそれは簡単にしぼんでいく。
理解できないのならば俺が守ろうと決めた。
なるべく穏便に収まるように、誰にも迷惑をかけない範囲で。
あまり騒ぎたてる必要もないだろう。揶揄して遊びたかっただけかもしれない。
机上にうな垂れた俺を見て、秀吉が後ろからよしよしと頭を撫でてくれた。
それにすら苛立つ俺は限界を超えるのも時間の問題だと思う。
授業終了を告げる鐘が鳴る。
真っ白なノートと、適当なページを開いていただけだった教科書を腕に抱え、さてどうやって帰ろうかと考えた。
あの教室の前は通りたくない。しかし、帰るルートは他にはない。
全速力で走り抜けるしか方法はないかもしれない。
景吾の腕を強引に掴み、あいつが現れたら一気に走ろうと決めた。
相変わらず腹減ったと口にする景吾に呆れつつも、今日の昼は何食べる、などと話をしていた。
もうすぐあいつに声をかけられた場所につく。
どうか会いませんように、俺の願いは神には届かず、教室の廊下側の窓から水戸先輩がひょこっと顔を出した。
その瞬間、俺と景吾は見事に同じタイミングで足を止め、見合った。
走り出そうと決めていたのに、急に現れたことに驚き足が固まってしまった。
水戸先輩は窓の手すりに手をかけ、窓から廊下へ飛び越えて俺達の前に立ちはだかった。
「実は来るの待ってたんだよね。前通らないかなーって」
人が良さそうだと思った笑みも、今は馬鹿にされているようにしか感じられない。
「でねでね、これ俺の番号とアドレス。二人なら二十四時間受け付けてるから!」
景吾と俺にささっと手渡したメモには番号とアドレスの他に下手な自画像つきだ。
受験生のくせに暇の極みだと呆れる。
「…お前らまた絡まれてんのかよ」
「あ、ゆうき君だ。一日に二回も見れるなんて俺ラッキー」
「……俺行くわ」
先輩をうざいと認識したのだろう、一人ですたすたと行ってしまった。それを追いかけるように蓮も去って行く。
友達なのだから多少は心配してくれても…とは思ったが、逆の立場ならば同じ行動をとるだろう。面倒臭い人間とは一秒たりとも関わりたくはない。
秀吉はきっと心配してくれてるのだろう、後方でこちらを窺っている。
「なに、龍ちゃんついに月島と相良つかまえに入ったのー?」
こちらの様子を見ていた何人かの先輩がおもしろそうに囃し立てる。
「おー、そうなの、ゲットしちゃおうかなーみたいな?」
「マジかー、まあ頑張れよー!」
「おう!」
何がしたいのか全くわからない。揶揄っているのか、本気なのか、掴めない。
兎に角、変な人には関わらない。幼い頃から注意されていたことだし、それを実践しようと思う。
「…あの、用事済みました?」
「あ、ごめんごめん、じゃあそういう事だから、何かあったら電話してね!寂しかったら添い寝もしてあげるよ!」
返す言葉が見付からない。段々と可哀想に思えてきた。
バイバーイと大袈裟なアクションで教室へ消えた先輩を見届け、景吾を見れば同情するような瞳で先輩を見ていた。
考えることは同じらしい。あの先輩は可哀想で残念な生き物である。
「お前らほんまに大丈夫なんか?」
「秀吉、これやるよ」
教室までの帰り道、さっき貰ったメモを秀吉に押し付けた。
「え、俺いらんて」
「いいから、仲間同士仲良くしろよ。きっと気合うぜ」
「だから同じにせんといて!」
悪足掻きはよせ、お前とあいつは間違いなく同類だ。
景吾もメモをどうしていいのかわからないようで、筆箱の中に押し込んでいる。
景吾は優しいから捨てられないのだろう。
筆箱の中なら邪魔になる事もないし、筆箱なんて持っているだけで滅多に使わないため、景吾にとっては捨てたも同然の行為だ。
「楓くーん!」
でた。
その声が耳に届いた瞬間肩を震わせ、次には鬱々とした溜め息を吐いた。
楽しく友人と昼食を摂っていたのに、台無しにも程がある。
学食の中にもし香坂がいたのなら、間違いなく聞こえているだろう。
しかも残念な事に、俺の隣の席はあいていて、水戸先輩はトレイの上の定食をこぼさないように走り、俺の隣に腰をおろした。
「ふー、偶然だね!」
その笑い方を見るだけで溜め息が出る。
ゆうきも蓮も、呆れを孕んだ瞳でこちらを見ている。
「楓君は生姜焼き定食?これうまいよねー、ところで景吾君は?」
「…景吾は委員会の活動中です」
「え、何の委員会?」
「…購買部」
「購買部なの!?今まで全然気付かなかったし…くそー。これからは景吾君のときは購買に行こっかな!」
口をききたくなどなかったが、一応先輩なのだしあからさまに無視をするのも如何な物かと思った。
けれども、話せばやはり無視すればよかったと後悔だ。
その後も、趣味は?誕生日は?と、プライベートな事を聞かれ、俺の苛々は募る一方だ。
自分でも危険だとわかった。
あと数分一緒にいると間違いなく怒りが頂点に達する。
そしてそうなってしまった自分は先輩もなにも関係なく大人気なく応対してしまうのだ。
「あとさ、一個お願い聞いて欲しいんだけど、俺と付き合って!」
どこかでぷつりと何かが切れる音が聞こえた。
「しつけーな!嫌だっつってんだろ!」
立ち上がり叫んでしまい、水戸先輩はぽかんと口を開けた。
「……それでこそ楓君って感じ。そういうとこがいいな、って思うんだよね」
何を言ってもわからないのかこの生き物は。
本当に人間なのか脳味噌の構造を見てやりたい。
「ほんとにお前うざい!俺に付き纏うのもうやめろよ!」
「えー…だって恋愛は個人の自由じゃん」
「迷惑なんだよストーカー!」
「俺ストーカーみたいに危ない事しないよ!楓君と仲良しになりたいんだよ!そんで、香坂と別れて俺のところくればいいなー、みたいな?」
もう何も言えない。
馬鹿は死んでも治らないという言葉があるが、その通りだと思った。
日本語は通じない。こちらの気持ちも一切無視だ。
心底面倒臭い奴に好かれたと思った。何故いつもこんな役回りなのだろうか。
[ 54/152 ]
[*prev] [next#]