6
「放せよ!」
「ちゃんと金渡してきた。問題ないだろ」
「金の問題じゃない!」
「じゃあなんだ!お前、俺に言う事あんだろ?」
「…言う、事……?」
香坂の怒気に圧倒され、語調が弱まってしまう。
「昨日の事、言い訳しろよ」
「…そんなん、ねえよ…」
腕をぎっちり握られたまま、俯いて視線を外す。
「前にも言ったよな、何かあるならちゃんと話せって。毎回毎回自分勝手に突っ走られても困るって」
香坂の口調は決して乱暴ではないが、淡々としている方が恐ろしい。
呆れているのだとわかり、嫌われたと確信する。
心臓が早鐘を打つが、上手い言い訳などできないし、泣いて謝る事もできない。
「…何とか言えよ。俺に言いたい事あんだろ?」
素直に言えたらどんなに楽かもわからないけど、嫉妬しました、なんて絶対に口にしたくない。
顔も上げず、口も開こうとしない俺に、香坂は溜息を吐きだした。
「……俺もいい加減疲れんだけど」
その言葉を聞いた瞬間、瞳の縁に溢れるものがあった。
泣くものかと下唇を痛いくらいに噛み締める。それでも、涙を我慢しているせで身体が小刻みに震える。
「…楓…」
察したのか、困ったように名前を呼ばれ、鼻を啜った。
困らせてばかりだ。これが逆ならば絶対鬱陶しいと思う。俺ならば絶対に俺なんかとは付き合いたくない。
「何で泣くんだよ」
溜息混じりに囁かれ、首を左右に振った。
「いつもは静かにしろって言っても黙らねえくせに、こんなときだけ……言わなきゃわかんねえだろ?」
やはり、恋人の涙に男は弱いのか、いくらか口調が柔らかくなっている。
「……楓…」
ぽんと頭に手を置かれ、それを振り払った。
「…だって…」
一生懸命我慢した涙が、口を開くと流れてしまう。
「何だよ」
「だって……お前が…!」
「俺がなんだよ」
「……神谷、先輩、と…キスしてた…」
もごもごと、小さな声で呟いた。
「あんなんふりだろ。本当にしてたわけじゃねえよ」
「…わかってる!」
一度流れてしまった涙は止まらず、化粧をしていることも忘れて目元を擦った。
「しょうがねえな…」
香坂はかつらを被ったままの頭をぐりぐりと撫でた。
そんな風にされると益々涙が出てしまうというのに。
「翔に嫉妬してたのか?」
その問いに何度も首を横に振った。今更隠しても仕方がないが、なけなしのプライドだ。
こんな風にぐちゃぐちゃに泣いているのにプライドもなにもないとは思うけど。
すると、汚い顔を胸に懐かせるようにぐっと頭を抱え込まれた。
「本当にお前はしょうがねえな。翔と何かあるわけないだろ」
「わかってるっつーの…!」
香坂の制服をぎゅっと握り締めると、香坂は何も言わずにぽんぽんと頭を撫で続けてくれた。
「落ち着いたか?」
泣き止むまで辛抱強く待ってくれた。小さく頷いたが、こんな顔を見られるわけにはいかず、香坂の制服に顔を押し付けた。
「そこ座ってろ」
ソファを指しながら言われ、一人キッチンの方へ去って行った。
言われるまま素直に座り、ティッシュで涙と鼻を拭いた。
しばらくして戻ってきた香坂の手にはティーカップが握られていた。
「お袋からお前にって送ってきた紅茶があったの忘れてた。飲めよ」
カップを受け取り、痺れた指を温める。
「っ、お前顔酷いぞ。折角の化粧が台無しだな」
「…るせえな」
笑われて憮然と悪態をつく。
向かい側のソファに香坂も腰かけ、紅茶を啜った。
「お前な、何度も言うけど、何かあったときは言えよ。探す方も大変なんだよ」
「……探さなかったくせに」
ぼそっと呟けば、香坂は盛大に溜め息をはいた。
「探したっつーの。部屋に行ってみようと思ったら翔が俺の部屋の前に座り込んでて放っておけなかったんだよ」
神谷先輩を優先したのだと思うと、また苛々してきた。
「言っとくけど、別に翔を優先したとかじゃねえから。あいつが泣いてたから落ち着くまで話聞いてただけだ。変な誤解すんなよ」
苛々するけど、ここでまた喧嘩になったら同じ事の繰り返しだ。少しは大人の対応というものを学ばなければ。
友達を放っておけない気持ちはわかる。俺だって部屋の前で友人が泣いていたらそちらを優先する。
別に神谷先輩を敵対視するわけじゃないのだが。
「悪かったよ、そんな顔すんなよ」
別に拗ねてないし、怒ってもない。
香坂には香坂の事情があるし、俺を中心に生活しろなんて言わない。
「悪かったって。だから今日話しつけようと思って今こうしてんじゃねえかよ」
言われて時計に視線を走らせる。今俺は仕事中だ。
「俺戻らないと!」
「そんな顔でか?お前想像以上にぶっさいくだぞ。金は払ってんだし、ゆうきがいれば大丈夫だろ
それもそうかと座り直した。俺がいなくとも、ゆうき一人が綺麗に着飾って座っていれば事は足りる。
それならば一刻も早く着替えたい。
着物は変わらず苦しいし、顔も汚いとわかっていても化粧落としがなければ上手く落ちない。
「教室戻る。着物着替えて化粧おとしてくる」
「そのままでいいじゃねぇかよ。たまには」
「嫌です」
「こうして見ると女といるみたいでおもしれえんだけど」
確かにこんなかつら被ったら益々桜さんに似るのかもしれないし、香坂的にはおもしろいかもしれないが、こっちはおもしろくもなんともない。
「おもしろくない!俺もう行くから」
「俺も行く」
「何で?」
「ついでに色んなクラス回ろうぜ」
折角の学園祭なのだから、楽しんだ方がいい。
昨日は他のクラスを回れなかったし、今日もこのまま部屋にいたのでは学園祭が最悪の思い出になってしまう。
足取りも軽く、学校への道を歩きだした。
下駄だから歩きにくいけど、さりげなく香坂が支えてくれる。
こんな風に公衆の面前で触れたりできるのも女の格好をしてるから。
そう思うと、悪い事ばっかりじゃなかったかも、なんて少し現金だろうか。
「着替え、手伝ってやろうか?」
空き教室に着いた途端、香坂が揶揄するような笑みを浮かべ、腰辺りをさすってきた。思い切りその手を払いのけ結構ですと扉をぴしゃりと閉めた。
着物を脱ぎ、かつらをとり、鏡で自分の顔を見る。
瞳の周りがパンダのように真っ黒だ。
「うわぁ…ぶっさいく…」
こんな顔で歩いていたとは。これではバラエティー番組のアホな姫のようだ。
何度もメイク落としで顔を拭き、やっと戻れた。
いい体験したとは思うは、もう二度と着物は着たくない。
男物ならまだしも、女物は本当に嫌だ。軽くトラウマになったかもしれない。
来年の学園祭でも女装案がでたら思いっきり拒否しよう。
教室の扉を開けると、香坂は壁に寄りかかり腕を組んで暇そうにしている。
「やっと終わったか…」
溜息を吐いた後に、ふっと笑いながら俺の頬に手を伸ばした。
「やっぱりこっちの方がいいわ。行こうぜ」
「ああ…」
学園祭最終日。
折角のお祭だし楽しまなきゃ損だ。
苦い思い出ではあるが、香坂との歴史なのだと思えば、目を瞑ってやろうと思う。
[ 52/152 ]
[*prev] [next#]