4


自分で脱げるものは急いで脱ぎ、かつらをとり、ふき取りタイプのシートで化粧を落とす。
ふいてもふいても僅かに化粧の痕跡が残り、諦めてシートを投げ捨てた。

「楓、これからどうする?体育館行く?」

蓮に問われて思い出した。香坂達のクラスが体育館で演劇をするのだ。

「…別に見なくてもいいけど」

「折角だし見に行こうよ」

須藤先輩の勇姿を一目見たいと蓮の顔に書いてある。
内心面倒と思わないわけではないが、こんな姿を見られて馬鹿にされたのだから、こちらも馬鹿にしてやろうと思う。

「じゃあ行くか。ゆうき達はどうすんの?」

「俺達は適当にまわる」

「色んな出店回って食べるんだ!」

先程あんなに食べただはないか、という呆れた言葉は呑み込んだ。
景吾の胃袋は宇宙だ。締め付ける帯がなくなったせいでお腹が減ったと幼い子供のようにゆうきの制服をぐいぐい引っ張っている。
漸く着替えを済ませ、教室の前でゆうきと景吾と別れ、体育館を目指す。

「もう始まってるよな」

「最後の方しか見れないかもね」

演劇の時間は一時間と短い。
着物を脱ぐのに思いのほか時間がかかってしまったため、ゆっくり全てを観賞というわけにはいかない。

「須藤先輩って何役?」

「神父さんだって」

神父の衣装を身に纏う須藤先輩を想像し、なんとも言えない顔になる。
似合っているような、似合っていないような。
見た目だけは神に使える聖職者だろうが、中身がまったく伴っていないと思う。
須藤先輩の本性を知らぬ蓮は、適役だと頬を緩める。
そんなことはないと否定した日には、須藤先輩に唇を縫われてしまいそうなので絶対に言わないけれど。

体育館の扉を開けると、暗幕で暗い室内にスポットライトの光を浴びた神谷先輩が壇上にいた。
ジュリエット役なので、当然女性物のドレスなのだが、あまり違和感を感じない。
元々とても綺麗で繊細な顔立ちのため、舞台に立てば益々映える。
体格や身長は勿論男のそれなのだが、遠目だからか本当に女性ですと言われても頷いてしまう。声を聞けばそんな嘘もばれるが。

「神谷先輩綺麗だね」

後方に立って見ながら、蓮が耳元で囁いた。

「ああ」

演技のことはよくわからないが、その顔と出で立ちだけで観客はうっとりと陶酔してしまう。
学園にいれば神谷先輩を見かけることもあるし、その人間離れした美しさにも多少免疫はできるが、外部者が神谷先輩を見たときの衝撃は想像に難くない。
演目は何でもよかったのだと思う。ただ、神谷先輩がその場に突っ立っているだけで充分だ。
そういえば最近秀吉の口から神谷先輩の名前を聞かないなとふと思う。
以前は耳にタコができるほどしつこく連呼していたというのに。
なにかあったのだろうかとも思うが、人の恋路には首を突っ込まない方が得策だ。
暫く神谷先輩に見惚れていると香坂が出てきた。
決して認めたくはない。認めたくはないが、普段と違う香坂は一層輝いて見える。
一瞬、胸がぎゅっと締め付けられた気がしたが、それは気のせいということにする。
神谷先輩と並んでも全く引けを取らない。まるで異国の映画のようで二人の空間だけ世界が違って見える。
須藤先輩が出てくると蓮は小さく歓声を上げて喜んでいる。

失念していたが、この演目にはキスシーンがあったはずだ。
話しの手順を思い出し、そろそろだっただろうかと思う。
終盤に近付くにつれ、心臓がうるさく鳴りだしたが気付かぬふりをした。
別に演技なのだし、本当にするわけではない。男同士だし大した問題ではない。
キスくらいで騒ぐなど幼稚だしこんなこと平気だ。
言い聞かせながら、けれどもこの場から逃げたくなる。
視線を逸らせれば楽なのに、舞台に釘づけになってしまう。
見たくなどないのに、目にしないと気が済まない。矛盾してせめぎ合う心を鎮める。
ブレザーの上から心臓あたりをぎゅっと握った。
眠る神谷先輩にゆっくりと顔を近付ける香坂を見ているとますます心臓がうるさい。
耳にまで聞こえるその音に世界を支配され、時が止まってしまったかのようだ。
それは一瞬の出来事だったはずなのに、とても長く感じられた。
とても見ていられず、顔を背けた。

本音を言えば、演技だとしても香坂が自分にするように他の人にキスをするなど許せない。
汚く、幼稚な嫉妬だとわかっているし、こんな事で大騒ぎするなど馬鹿げていると承知だ。
それでも大人になりきれずに感情が暴れ出す。
走って逃げたり、物に八つ当たりしたい衝動を抑え込みその場に立ち尽くす。
もう、内容など頭には入っていなかったけれども、幕が下りたのを視界の端に捉え、漸く終わったのだと気付く。

「香坂先輩演技上手だったね……楓?」

「え…ああ、そうだな」

「ぼうっとして大丈夫?疲れた?」

「いや、平気…」

「寮に戻ろうか?」

俺の顔を覗き込む蓮は、眉を八の字にしている。

「心配性。大丈夫だよ」

こつんと頭を小突けば、その場を手で撫でながら唇を尖らせる。
そんな仕草や表情が可愛らしくて、少しだけ気持ちが凪いだ。

「蓮」

暗闇の中で須藤先輩の声が降ってきて、二人同時にそちらに視線を移した。
一足先に着替えを済ませたようで、いつもの制服姿に戻っている。
迷うことなくこの場に来たということは、舞台袖から蓮の姿を探していたのだろう。
バカップル、心の中で悪態をつくが、溺愛されている蓮を羨む気持ちも芽生える。

「お疲れ様です。とても似合ってましたよ」

「ありがとう」

はにかんだような笑顔で先輩を見上げる蓮に、また胸の痛みが増した。
蓮はいつも素直で正直で本当に可愛いらしい。
今回演じたのが香坂ではなく須藤先輩だったとしたら、蓮は控えめに、素直に須藤先輩に抗議するだろう。
そして先輩も笑顔で謝るのだ。

「楓君、すぐに涼も来ると思うから」

「…はい…」

「じゃあ蓮は貰ってくよ?」

「どうぞ」

強引に腕を引く先輩に戸惑いながらもバカップルは退散した。
一人残され、香坂にどんな顔して会えばいいのかわからないでいた。
いつものように大声で気に入らないと喚きたいところだが、子供じみた嫉妬だと呆れられたくない。
香坂は俺よりも恋愛経験も豊富で、考え方も大人で、だからこそそれに歩調を合わせなければ俺たちのバランスは簡単に崩れる。
人に合わせるのが嫌いで、自分の感情を殺すのも苦手で、けれど香坂のこととなると臆病になる自分がいる。
そんな自分が一番大嫌いだと思うのに、自由奔放にできるほど強くない。

俄かにざわめく人たちの声に俯いていた顔をあげれば、神谷先輩と香坂が制服に着替えて並んで歩いている。
入り口付近にいた俺に気付いた香坂と視線がぶつかったが、なんだか自分がすごく惨めに思えて、体育館から走って逃げた。

香坂にあわせる顔がない。
感情が定まらないこんな状態では会えない。
会ったら最後、どんな言葉を投げつけるかわからない。
鬱陶しいと一蹴されたら落ち込んで立ち直れない。

学園祭中は使用されていない、第三校舎の適当な教室に入り、椅子に座って机上に顔を伏せた。

俺なんかより、ずっと大人で、綺麗で頭のいい神谷先輩の方がずっと香坂には似合っている。
誰だってそう思っているに違いない。
俺が香坂の隣に並んで納得する人なんていない。
人の目なんて気にしなかったけど、先輩と香坂が並んで歩く姿を見れば、香坂の隣にいていいのは俺ではないような気がしてくる。

負の感情はまた別の負を引き寄せる。
悪循環の中で無心になりたくて瞳をきつく閉じたが、それでも香坂のことばかり考えてしまう。

香坂は俺がいいと言うけれど、その理由は何だろう。
あんなに素敵な人が香坂に想いを寄せているのに、それでも俺を選ぶ理由は。

「……女々しい…」

男らしくない。
小さなことでぐちぐちと悩むほど神経が細いわけではないと思っていた。
香坂と付き合うようになってから、こんなことばかりで、どんどん嫌いな自分になっている。
以前蓮と一緒だった頃はどうだっただろうか。
その頃も自信などはなかったが、それでも蓮は全身で好きだと伝えてくれるから、とても居心地がよかった。
好かれているという安心感があった。
だから多少の喧嘩や擦れ違い、性格の不一致があっても乗り越えてきた。
今といえば、香坂の言葉や態度が信用できず、いつだってその背中を走って追い掛けている。
捕まえられそうな距離にきても、その背中はどんどん遠ざかり、一瞬でも諦めて止まれば一生掴むことはできなくなりそうで。
常に焦燥感が付き纏い、不安で押し潰されそうで、しかし簡単な言葉や口付けに騙され、けれども次の瞬間にはまた不安になる。
堂々巡りで負の連鎖から抜けられずにいる。

今は誰にも会いたくない。
こんな顔、誰にも見せられない。

[ 50/152 ]

[*prev] [next#]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -