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「……身体だる…」
どんな風に扱われても構わないと思った言葉を撤回する。
お誕生日様だからと寛大になった自分を褒めてやろうと思う。
心から愛してやりたいと強く思ったが、やはり限度はある。
何事も適度というものがあり、どんなに良いことであってもそれを超えれば苦痛となって自分に返ってくる。
本当に、このまま殺されてしまうのではないかと思った。
自分が持っている精気を全て奪われると本気で危惧した。
「あんなに喘いどいて…」
さらりと髪を撫でられ香坂を睥睨した。
「気持ちいいのと後からくる身体のだるさは別物なんです」
「良ければそれだけだるいってことか…」
「…まあ、そうとも言うか」
「つまり俺が巧いってことだな」
「調子のんなよこら」
うつ伏せになっている香坂の肩を拳で叩く。
香坂が巧いのかどうかはわからない。抱かれる側になったのは初めてだし、比較のしようがない。
けれど、確かに熱に溺れて自我が保てなくなるほどに乱れてしまう。
例えば自分が香坂を抱くとして、同じようにさせられるかと問われれば自信はない。
「腰いってえ…」
言えば珍しく労わるようにさすってくれた。
香坂は抱いた相手に誠意を見せてくれる。最初からそうだった。
事後の堕落した時間も含めてのセックスなのだといつか言っていた。
それはありがたく思う。自らの欲望を解放すれば後は知らないとそっぽを向く男も多いと聞くが、香坂はそんな真似は絶対にしない。
けれど、一度でいいから身体に感じる不調を味わってみればいいと思う。
経験してみなければわからないだろう、この倦怠感は。
最終も違和感や苦痛と戦うのはとても大変な作業なのだ。
快感と嫌悪感が同時に押し寄せるものだから、発散できない身体の変化にとても苦しくなるのだ。
いつか、もっと経験を重ねればそんなものもなくなるのかもしれないが、あと何回、何十回、何百回耐えなければならないのか。
「水飲むか?」
「…飲む。喉も痛え」
「ちょっと掠れてる。その方が色っぽいけどな」
「ふざけた事言ってねえで水!」
「はいはい…」
離れていく熱に寂しさも感じるし、もう暫くは睦言を交わしていたかったが身体の不調も限界だ。
最中に夢中で快感を求める代償なのか、疲労感が倍になって返ってくる。因果応報はこんなところでも健在らしい。
「ほら」
瓶に入った炭酸水を手渡され、素早く喉と身体の渇きを潤して再びベッドに潜り込む。
このまま眠ってしまいたいけれど、風呂に入らなければ明日が辛い。
溜息を零すと俺を抱きかかえるようにして香坂もベッドに身を委ねた。
片腕で腰を強くぐっと引かれ肩口を押し返す。
「もうやらねえ」
「馬鹿、俺だってもう無理だ」
「え、だってお前絶倫だろ?」
「普通だろ」
お前で普通ならば世の中の男の大半は不能だと言い返せばふっと笑われた。
「なんだよ」
「いや、可愛いなと思って」
「は?意味わかんねえ。何で今の流れでそうなんだよ」
「さあな。何もしなくてもふとしたときに思うもんだ」
「…全然理解できない」
「しなくてもいい」
自分のどこを見て可愛いなどとぬかすのか問い質したいがどんな答えをもらっても満足などできない。
一つも可愛らしくなどないからだ。
平凡な男に向かって言う言葉ではない。華奢でもなければ身長もそこそこある。
庇護欲など掻き立てられないだろうし顔の造りも平均でありふれたものだ。
いよいよ視力の低下に拍車がかかっているとしか思えない。
カラーコンタクトなど入れているからだ。
コンタクトを入れずとも、香坂の瞳は色素が薄く、蜂蜜色でとても綺麗なのに。
「香坂ってさ…」
「んー…」
尚も俺の髪を指先で遊ぶ香坂は好きにさせている。
「何でもともと色素薄いのにカラコン入れてんの」
「…ああ、これか」
「目の色変えたいなら青とかグレーとか色々あるのにヘーゼルじゃあんまり変わんないじゃん」
「別に変えたいわけじゃねえしな」
「じゃあなに」
「…言ったら怒るから言わない」
「なんだよ!んな事言われたらますます気になる!」
そんなに重要な秘密が隠されているのだろうか。
聞きたいような、聞きたくないような相反する期待を寄せながら香坂の言葉を待った。
言い淀んでいた香坂だが、一つ諦めたように溜息を零すとぽつりぽつりと話してくれた。
「…前遊んだ女に遊びでつけられたんだよ」
思ってもない言葉に額に青筋がたった。
ベッドの中で過去の女の話しなど、褒められた行為ではない。
話せとせがんだのは自分だが、曖昧にはぐらかしてくれても良かったのではないのか。
こんなときばかり正直だ。
「へえ、それで香坂君カッコイー、とか言われたのか!」
「いや、その逆。何考えてるかますますわかんなくなるってよ」
「…じゃあつけなきゃいいじゃん。お前馬鹿?」
「お前と一緒にすんな。何考えてるかわかんねえ方が楽だろ。捨てようが逃げようが納得してくれる」
「…うわー……お前最低な男だとは思ってたけど本当に最低だったな」
「うるせえな。後腐れなく遊びたいんだよ俺は」
遊びたい、と現在進行形で話す口調にひっかかる。
器用な男だから俺に知られずに火遊びをするのは簡単だろう。
万が一知られても甘い言葉であっさり許してしまいそうだ。
女を抱きたい気持ちもわからなくもないからだ。
俺も香坂も根本は女性が好きなのだから。
それでもやはりいい気はしない。不貞腐れてしまいたくなる。
「あーっそ。じゃあ好きなだけ遊べばいいだろ」
香坂に背中を向けると数泊置いて後ろから抱き締められた。
「なに妬いてんだよ。愛してるのはお前だけだって」
あまりにも軽く大事な言葉を言うものだから却って呆れてしまう。
あやすつもりで甘言を吐くのだろうが騙されなどしない。
「かーえで」
つんと顔を逸らしたまま無言を決め込んだ。
たまには香坂も焦ればいい。俺の機嫌取りに必死になった姿を拝みたいものだ。
しかし強引に仰向けにされ、香坂が覆い被さるように両側に腕をつき見下ろしてくる。
射殺すような瞳に背筋がぞくりと粟立つ。
恐怖すら感じるのに、それと同時にもっとその瞳に俺を映して欲しいと願ってしまう。
石になったように固まり、何も言えずにいると香坂は俺の耳元に口を寄せた。そして耳朶を甘噛みされる。
「っ、こう、さか…も、だめだって言っただろ…」
「……楓」
甘い低音が掠れ、その声で名前を呼ばれただけで身体の中で熱が弾ける。
意図的なのかもしれないが、声というものは自分ではどれほどの魅力を秘めているのか気付かないものだ。
「…なん、だよ」
「……愛してる…」
小さく囁かれた言葉に耳を疑った。
それは確かに聞こえたが、自分の気持ちを滅多に表に出さない香坂が核心についた言葉を発するわけがないと思ったのだ。
自分の都合のいいように脳内補正されたのかもしれない。
「…今、なん、て…」
「……もう言わない」
「なんで!もう一回!」
「うるせえ」
ぴしゃりと跳ね除けられたが、先ほどから首筋に顔を埋めるようにしているのは照れ隠しだろうか。
今香坂はどんな表情をしているのだろう。
知りたいがこれ以上茶々を入れると本当に怒りそうなのでやめておいた。
代わりに、返事というわけではないが、俺よりも長い髪を撫で、顔の脇に置いてある手に指を絡ませる。
愛してる、そんな幸福な感情はまだ子供の俺にははっきりとはわからない。
どういう定義で愛していると言えるのかもわからない。
曖昧な答えのないそれに、胸を張ることができない。
けれど、この愛おしさをそう呼ぶのであれば香坂の愛の前に盲目になっても構わないと、そう思った。
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