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永遠に来なければいいと願っていた水曜日がやってきた。
一緒に起きて行った方が効率が良いと言う香坂に必死に抵抗し、自分の部屋に戻り蓮に起こしてもらった。
自分で起きるつもりではいたが保険をかけ、蓮にもしものときは頼んでおいた。
案の定自分でセットした目覚まし時計には微塵も気付かなかったようだ。
そして七時丁度。
校門の前香坂と生徒会役員の方と三人で並んだ。
眠い。そして寒い。九月も半ばになれば朝晩は冷え込む。
昼間はまだ夏の陽気でも着実に秋へと向かっているのだ。
この学園辺りは特に山に囲まれているためか、実家の方と比べても冷え込みが厳しいと思う。同じ都内なのに。
「お前寒くねえの?」
「寒いに決まってんだろ」
「そんな薄着してくるなんて馬鹿か?」
「うるせえな!お前には言われたくねえよ!」
強がっても寒いものは寒い。
肩を竦めて身体を硬くした俺を見ると、香坂が自分の首からマフラーを取り、俺に首が絞まる勢いで巻きつけてくれた。
「っ、いいよ!」
気に掛けてくれるのは嬉しいが申し訳ないし、もやしと馬鹿にされる。
「小動物が震えてるとかわいそうになるじゃん」
「誰が小動物だ!」
俺が小動物なら蓮はどうなるのだと悪態をつく。
憎まれ口を叩くが香坂なりの優しさだと知っている。
桜さんの事件があってからは香坂は以前よりも優しくしてくれるようになった気がする。
それは些細な変化でまだ甘い恋人関係には程遠いが。
なにも四六時中触れ合っているような恋人を望んでいるわけではない。
友情の延長線のような関係が理想なので、今のままでも充分なのだが。
「…聞いているのか?」
「へ?すいません、聞いてませんでした」
耳が遠くなったわけではないが、あまりにも己の世界に没頭し周りの音が耳に入らない。
チェック表が挟まれたボードを片手に持つ生徒会役員であるこの先輩は呆れた様子で溜め息を零し、しょうがないと付け加えてもう一度話し始めた。
「風紀点検をするために君達はここにいるのだな?」
「…そうですけど」
「なら君達もきちんとした服装をしろ。説得力があまりにもなさすぎる」
シルバーフレームの眼鏡を中指で持ち上げながら淡々と説教をされたじたじになる。
説教には慣れているが、そこには愛がある故のものばかりでこんな風に叱られたことはあまりない。
「そんな堅い事言うなよ高杉」
「堅いことなど言っていない。当然だ。服装の乱れは心の乱れという言葉を知らないのか」
今時そんな事言う高校生がいたとは。
なんて感心している場合ではない。
背は俺より少し高く髪は真っ黒。眼鏡がすっきりとした顔の造りと身体に似合っている。
見るからに優等生で模範生だが、苦手意識を感じてしまう。
きっととても勉強もできるのだろう。
また注意されないようにとシャツのボタンを上まで締め、ネクタイもきちんと結ぶ。ついでに香坂のネクタイも結んでやる。
高杉先輩に注意されても直す気など更々ないだろうし、けれどもこれ以上小言を言われるのも勘弁だ。
「苦しい」
「ちょっとの我慢だろ」
「ったく、高杉はいつもこうだ…」
ぶつぶつと文句を言うが高杉先輩は慣れた様子で香坂に反応することなく黙々と仕事を続けている。
風紀委員としてこの場にいるのだが、香坂は仕事をする気はないようだ。
一緒になってサボるわけにもいかず、高杉先輩が指示を出す度にチェックを続けるが、今後は暇を持て余した香坂が絡んでくる。
「鬱陶しいなお前!」
「なんだよお前高杉二号か」
「一年の俺がサボるわけにいかねえだろ!もうあっち行ってろ!」
「つまんねー…」
それでも香坂はめげずに絡んでくるので、追い払うのに苦労した。もう点検どころの話しではない。
「いい加減にしてろ香坂!」
「だって暇なんだよ」
「じゃあ仕事しろ」
「なんで俺が?」
「お前一応風紀委員会だろう!」
「…一応なー」
「そもそも、風紀委員会がしっかりと機能していれば生徒会が余計な仕事をしなくて済むというのに…。こちらはそれどころではないのだぞ」
「あー、はいはい、高杉は本当に女みてえにぐちぐち、ぐちぐち言うんだもんな」
「誰が女だ!」
また喧嘩が始まった。
見るからに馬が合わないであろう二人を見ればこうなるのもおかしくはないが、香坂に一々反応する高杉先輩もいかがなものかと思うのだ。
最初は無視しようと努めていたようだが、途中から我慢ができなくなったのだろう。
漫才でも見ているようだと傍観する分には退屈しないが、傍から見れば俺と香坂もこんな調子で見られているのかと思うとがっかりする。
最後の生徒が校門を潜り、風紀点検は漸く終了した。
とは言え、一生懸命働いていたのは高杉先輩だけで、俺はチェックシートに記入するのみであまり役には立っていない。
香坂は更に役立たずだった。
「高杉、もう帰っていいだろ?」
「最後に反省会をやるのだがもう結構だ。香坂とは二度と一緒にやりたくない」
「そりゃどうも」
高杉先輩の嫌味にも笑顔を見せた香坂は俺の腕を引き歩き出した。
「あの先輩も二年だよな」
うちの制服は学年毎でネクタイの色が違うため、ネクタイをしていれば何年生なのか一目でわかるようになっている。
していればの話しだが。
「ああ。クラスは違うけどな。毎回考査で拓海に勝てなくて、悔しそうな顔しておもしろいんだよあいつ」
「…あ、そう…」
「素直に反応するからおもしろくてたまに仁とからかって遊んでんの」
高杉先輩可哀想…。
本当におもしろがってからかう二人の姿が容易く想像できる。
さっきだって、余計に絡んできたのは高杉先輩を怒らせるためであろう。
大人っぽいと思えばこんな風にガキくさいとこもあるし、高杉先輩も苦労している。
「…天気いいな。楓、お前一限なに?」
「たぶん英語」
「じゃあサボりな」
「は!?無理。英語浅倉だし、サボったら怒られる」
「大丈夫だろ。いいからこっちこい」
昇降口で上履きに履き替えようとした途端、またもや腕をぐいっと引かれ、無理矢理連れて行かれる。
掴まれた腕をぶんぶん上下に振り回してみたが、香坂の手が離れることはない。
本当に浅倉の授業は駄目なんだ、真摯に言ったが無駄だった。
このままでは浅倉から罰として課題を山のように出されてしまう。
それだけは避けたいのに、足が止まってくれない。
結局辿り着いたのは裏庭。
中庭は花がたくさん咲いていて手入れも小まめにされているが、裏庭はあまり人が来ないためか、木が生い茂っている。
「たまには屋上じゃなくて裏庭もいいだろ?」
適当な場所に寝転びながら香坂が言う。
「…お前は授業でなくてもいいかもしれねえけど、俺はやばいんだよ。浅倉に課題出されたらお前代わりにやれよ」
「何で俺が」
「お前が無理矢理連れてきたんだろ!」
「お前も俺と一緒にいたいだろ?」
然も当然のように言われ脱力した。もぅいいや、諦めよう。こいつ駄目だ。人間的になんか駄目だ。
課題出されたら蓮に手伝ってもらおう。それか須藤先輩に泣いて頼もう。連帯責任ということで。
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