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「よお、久しぶりだな」

何事もなかったかのような口調と表情に返って恐ろしさを感じた。

「……なんで、ここに…」

香坂には実家の住所など教えていなかったはずだ。

「そんなの調べればすぐわかる事だ」

「あれ、楓ちゃんの友達?」

話し声に気付いてか、薫が玄関先にやってきた。

「そんなところで話してないで早く中に入れば?」

余計な口を挟むなと言いたかった。
中に招き入れたくなどない。二人になりたくなかったし、対峙したくない。
問題を先送りにしているだけだと詰られようが、まだ頭の中を整理していないしこんな突然来られても迷惑なだけだ。

「ささ、狭い家ですけどどうぞ」

「おい!」

何の断りもなく香坂を招き入れる薫の腕を止めた。

「なに。だって友達でしょ?」

「…そう、だけど…」

真実を話せずに肯定するが、けれどもこの状況を打破したい。
頭の回転が速ければ追い払うくらいどうとでもなったかもしれないが、突然の訪問に驚き焦るばかりでそれ以外は考えられない。

「お邪魔します」

俺の肩をぽんと叩くとすっと横を通り過ぎ室内に入ってきた。
もう逃げ場がない。自らが家を飛び出す以外に方法はない。
しかし、逃げても逃げても香坂は追ってくるだろう。それこそ、地獄の果てまでも。
ここが正念場なのかもしれない。
思えば覚悟などはできていないが諦めが胸を一杯にした。

「…俺の部屋、ここだから」

玄関からすぐの自分の部屋の扉を開ける。
素直に従ってくれて、適当な飲み物を用意して自分もそちらへ向かった。

「どうぞ…」

麦茶を小さなテーブルの上に置き、勧めたが香坂は微動だにせず真っ直ぐに俺を見下ろしている。
言葉を発する事もなく、沈黙が支配する。
肉食獣を前に身体を小さくする小動物のように、自分も身体を小さくした。
自分が悪い事をしたわけではないが、責められるのではないかと思うと怖い。
別に、どちらが悪いなどそんな問題ではないが。
桜さんの影に脅えながら一緒にいるなどできないと思っていたのに、香坂を目の前にすると別れ話を持ちかけられるのだろうかと急に恐怖に襲われる。

「…何で電話出ねえんだよ」

電話を無視し続けた事、話しもせずに急に家を飛び出してきた事。香坂の怒りの理由は多々あるが、しかし俺も怒っている。
桜さんの事、何故もっと早くに言ってくれなかったのかと。

「何話していいかわかんなかったんだよ…頭も混乱してたし…」

今だって混乱しているけれど。
どれくらい時間が経過しようとも、整理はできていない。
自分の感情の矛先も定まらず、最善の答えも出ていない。

「心配したんだぞ」

「…悪かったよ」

「ちゃんと話すべきだと思ってここに来た。お前の気持ち聞かせろ」

真っ直ぐに対峙するのは怖くて、ベッドに着いた。
香坂はラグに直接腰を下ろし、下からこちらを見詰めている。
いつもは見上げる立場だったため気付かなかったが、その目で下から見られると眼光が一層鋭く見えて怯む程だ。

マーブル模様の気持ちを言葉にするのはとても難しい。
自分自身ですらよくわからないのだ。ずっと悩み、無駄に考えていても一向に考えは纏まらなかった。

「……桜さんの話し聞いて、俺は代わりなんだって思って、それで…このまま一緒にいられないって…」

俯きながら簡潔に話す。
香坂が今どんな風に俺を見てるかは、目を見ずとも痛い程の視線でわかっている。
逆らいたくとも逆らえないように仕向けている。

「…俺は一度もお前と桜を重ねてるなんて言った覚えはねえぞ」

「っ、確かにそうだけど!桜さんと俺がそっくりだって言われれば誰だってそう思う!」

それ以外に俺に執着する理由が見付からない。

「…確かに、最初お前を見たときは驚いた。でももうこの世にいない奴の代わりをさせる程俺は馬鹿じゃねえよ」

「じゃあ何で桜さんの事言ってくれなかったんだよ。隠されれば余計に疑うじゃねえかよ!」

「知らない方が幸せな事だって世の中沢山あんだよ。お前に言ったらこうなるってわかってたから一生言うつもりはなかった」

「言わなきゃわかんない事だってたくさんある!……確かに俺は子供だよ。すぐかっとなるし。でも俺だってお前の気持ちがわかんねえからずっと悩んでた。他人の口から聞かされるくらいなら最初に香坂から言われてた方がずっとましだった…」

俺ばかりが感情的になって、大声を出して恥ずかしい。
わかってはいるが変えられない。
冷静に落ち着いて論理的にと頭ではわかっている。心も性格もついて行ってはくれないだけで。
香坂だからこそこんなに感情が揺さぶられる。

「何を悩む必要があんだよ。お前の事好きだって言ったはずだ」

「でも俺を通して桜さんを見てるんじゃないかって思うじゃん」

すると、香坂はまた一つ溜め息を零した。
聞き分けのない子供に失望する親のように。
香坂が俺を追い駆けていたはずなのに、今となっては形勢逆転だ。
俺が必死になって追い駆けている。そんな位置関係が悔しいのに。

「お前な、桜は女でお前は男だ。性格だって全然違う。桜の顔にちょっと似てるからってお前みたいなじゃじゃ馬とつきあうほど俺は器用じゃねえんだよ」

「じゃじゃ馬!?何だよそれ!」

「勝気なところが気に入ってるって言ってんだよ。きゃんきゃん騒ぐところも犬みたいで可愛いぜ?」

今間違いなく俺の顔は耳まで真っ赤だろう。
不意打ちで甘い言葉を投げつけられたものだから、うまく受け流すことができない。
怒っていたはずなのに、気が抜けてしまう。
真面目に話し合いたいのに、こんな風に揶揄って香坂は俺を手の中で転がすのがとても上手だ。

「…気が抜ける…」

「少しは抜いて話した方がいいだろ。怒りは判断を鈍らせるだけだ」

「…そうかよ。じゃあ桜さんの事はもうなんとも思ってないんだよな?」

「桜は……あいつは特別だった。死んじまったときは辛かったし、こんな思いもう二度と御免だって思った。だから遊びまくったけど、誰かと付き合おうとはしなかった。でも今お前とつきあってる。俺にもどういう事かわかんねえけどな、よっぽどお前の事が好きなんだろな」

苦笑する彼の表情をぼうっと見つめ返した。
その瞳には寂しさと、僅かな恋情が見えた気がした。
こんな弱気な態度の香坂を見るのは初めてだ。

「……じゃあ…俺を見てくれてる?」

不安で押し潰されそうだ。
自分には何も取り柄がないと承知だからこそ、香坂に愛される理由を探しているのかもしれない。
香坂は立ち上がり、俺の前で膝立ちになるとぎゅっと抱き締めた。

「お前しか見てねえよ…」

耳元で囁かれた言葉が心臓に大きく輪を作って響く。
本当に、いつからこんなに焦がれるようになったのだろうか。
苦しくて痛くてしょうがない。

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