7



香坂の家で過ごして五日が経過した。
未だに桜という人物が何者なのかは掴めていない。
香坂は何もなかったかのように振る舞い、決してその話題に触れるのを許さない雰囲気を纏っている。
とても聞けないが、それでもずっと気になっている。
本人には聞けそうもなく、最後の手段だと、俺は類さんに聞く事にした。
香坂は朝起きると必ずシャワーを浴びに行く。その間に香坂の携帯から類さんに電話をかける。
運良く類さんが電話に出てくれれば、そして桜さんの事を話してくれれば、この胸の蟠りもすっきりと晴れる。
勝手に人の携帯を拝借するのは良い気分ではないし、付き合っているといってもプライバシーは尊重したい。
けれど、もうそれしか方法がないのだ。
作戦を練り、香坂がシャワーに行くのをじっと待つ。

「……なんだ、今日はいつもよりも早起きだな…」

「あ、ああ。暑くて目覚めて…」

「そうか…ねむ…シャワー浴びてくる」

「い、行ってらっしゃい…」

欠伸をしながらバスルームへ向かうのを見届け、枕の横に置いてあった香坂の携帯に手を伸ばした。
二つ折りのそれを開こうと思うのだが、妙に緊張するし、やはり人の携帯を勝手に見るのは気がひけて良心が痛む。
香坂に見つかったらしこたま怒られるだろうが、それも覚悟の上だ。

電話帳から"類"の名前を探し発信ボタンを押す。
今の時刻は十時。類さんもとっくに起きてるだろう。
出てくれますように。
願いながらコール音を聞いた。
三回目のコールで、応答があった。繋がった事に安堵する。

「もしもし…」

『…あれ?涼じゃない?』

「俺、この前香坂と一緒にいた月島楓です」

『ああ、楓君ね!こんにちは。どうしたの?』

「ちょっと聞きたい事があって……いきなりなんですけど、この前俺の事桜って人に似てるって言いましたよね?香坂に誰って聞いたら類さんに聞けって言われて…」

嘘をつくのは得意ではないしできる事ならばつきたくはない。
馬鹿がつく程正直に生きているし、強がる事はあっても嘘は嫌いだった。
しかし背に腹は代えられない。

『桜の事?確かに涼は話したくないかもなあ…』

電話越しに類さんが言い淀み、二人の間には何かがあったのだと確信した。

『桜は涼と俺の幼馴染だった子だよ』

「それだけですか?」

『うーん……言いにくいけど、涼は小さい頃からずっと桜が好きだった。付き合ってはいなかったけど、お互い想い合ってるのは目に見えてわかる感じで。中学も最初は俺と桜と同じところに入ったんだ』

あの香坂がずっと一途に想っていたというのか。俄かには信じられないが類さんが言うのだから本当なのだろう。
じゃあその人は何故今香坂の前にいないのだろう。
中学も最初は東城ではないなど、初耳でとても驚いた。

「それで…?」

『でも、中一の終わり頃、桜は事故で亡くなった…涼は桜の思い出から離れるように東城に転校しちゃって…あの時の涼は見ていられないくらいにぼろぼろだったから、俺も転校した方がいいって勧めたんだ』

類さんの言葉は耳に入ってくるが頭が理解しようとしない。
全身から力がすっと抜けていくような脱力感に襲われ、一緒に血の気も引いていくのもわかった。
桜さんと何かあると邪推していたがまさか、そんな…。

「……桜さんってどんな人だったんですか?」

震えそうになる声で聞いた。
もうこれ以上は聞くなと警告音が鳴っているが知りたかった。
きっと聞けば自分が傷つくだけだとわかっているのに。

『そうだなー…名前と同じで、優しくて穏やかで、活発なところもあって、やんちゃばっかりしてた涼をいつも心配してた。見た目は楓君に似てるよ。女の子だからもっと柔らかい顔だったけど。瓜二つとはいかないけど、桜にこんなに似てる人がいるとは思わなかったよ。この前会ったときは本当に驚いた。いるわけないってわかっててもね…』

「そう、なんですか…」

『涼にはあまり桜の事聞かないで欲しいな。きっとまだ引きずってると思うし…』

「はい、わかりました…ありがとうございました」

気の抜けた返事しかできなかったがちゃんとお礼を言って電話を切った事は覚えている。
そのまま床にぺたりと座り込み、携帯を持っていた手をだらりと下ろした。
香坂にそんな過去があったなんて知らなかった。
須藤先輩も木内先輩もそんな事一言も言わなかった。
あの二人なら知っていたはずなのに。
俺が桜さんに似ている事も。

どういう事なのか考えられる余裕はないはずなのに焦点が合わない瞳で縋るように頭を動かした。
そうしていないと途方に暮れてしまいそうで怖かった。
香坂はずっと桜さんが好きで、でも桜さんは亡くなって…高校で俺に出逢って、今付き合っている。
そして引っかかるのは桜さんと俺が酷似している事だ。
そう言えば初めて香坂と出会った時、俺を見つめて『気に入った』と言っていた。
あれは桜さんと似ているから気に入ったという事だろうか。
ならば、助けてくれたり心配してくれたのも全部、全部桜さんに似てたから?
一人と真剣に深く付き合わないと決めていた香坂が、俺を選んだのも気紛れや運命などではなく…。

……俺は桜さんの代わり…?

どのくらいそうしていたのかはわからない。
とても正気でいられなかった。

「楓?そんなとこに座って何してんだ?」

香坂に声を掛けられ、やっと現実に戻りゆっくりと香坂に視線を移す。

「俺の携帯なんて持って、どうしたんだよ?」

俺を見つめる香坂。でも、その瞳に映っているのは俺なのか、それとも桜さんなのか。
俺の顔が桜さんに似ていなかったら、香坂にちょっかいを出される事もなかっただろう。こうして共にいる事も。
俺に好きだと言う事で桜さんに言えなかった想いを告げたのだろう。

もう、何もわからない。
やっと見えてきた香坂涼という人間のすべてが崩れ落ちていく。

「……セックスのとき涼って名前で呼ばせたのは桜さんが香坂の事そう呼んでたから…?」

ぼそりと問えば、香坂の動きが止まった。
やはり類さんが言っていた話は本当なのだ…。

「……お前、何で桜の事……まさか類に…」

「そうだよ。おかしいって思ったから、類さんに電話して聞いた……そういう事だったんだ。だから何も言ってくれなかったんだ…」

「楓…」

俺に手を伸ばしたそれを思いきり払った。
桜さんの幻に縛られ今もその影を追っている。
だから香坂は俺を選んだのだ。
いつも不思議だった。何故選り取り見取りにも関わらずわざわざ同性を選び、しかも平凡な見てくれの俺なのだろうかと。
涙が溢れそうだったがここで泣いたら負けだと必死に食い縛った。
こんなの、こんなのって…。

「…最初からそうだったんだろ!桜さんに似てるから俺に付き纏って、蓮と別れたときも優しくして、俺を抱いて…全部、全部桜さんの代わりだったんだろ!?」

叫喚する俺に香坂は深く吐息をついた。溜息をつきたいのも、泣き叫びたいのもこちらの方だというのに。
女みたいにヒステリックになる様に嫌気がさしたというのか。
共にいるのが耐えられない。月島楓を見ているのか、桜さんを見ているのかわからない。
今この瞬間だって。
立ち上がり、荷物がすべて入っている鞄を抱え香坂の部屋を飛び出した。

「楓!」

香坂が名前を呼んだが、その声も聞きたくない。
今の俺には香坂の優しさも、何もかもが嘘に思えるから。

大通りまで走りタクシーを拾って駅まで向かい、電車に乗り込んだ。
本当は今日帰る予定ではなかったから家族は驚くだろうか。
こんな顔のまま家に帰ったら心配を掛けてしまうかもしれない。

タクシーに乗っている間も、電車に揺られている時も、携帯のバイブがうるさく鳴っていたが、誰からかなんてわかりきっているから、そのまま携帯の電源を落とした。
何も聞きたくない。下手な言い訳も弁明も。
今は香坂から聞かされる言葉全てが嘘にしか聞こえないし、こんな状態で話しても何の解決にもならない。
お互いにとってこうするのが一番なのだ。

久しぶりに地元の駅に着いた頃にはもう夕方近くだった。
駅からマンションまでは五分程度だ。
鍵を持って来ていないため、不在だったら困ると思い、電話をかけた。

『はい、月島です』

「…薫?俺だけど、今から帰るから」

『楓ちゃん?今日帰ってくる予定だったっけ?』

「急に変更したんだよ。とりあえず帰るから、鍵開けとけよ」

『はいはい』

久しぶりに聞いた弟の声に、心が少し癒された。
中三なんて成長期だから、前に見た時よりもぐっと大人に近付いているのかもしれない。
心がずたずたになった俺には一番安心できる家族の存在がとても温かかった。

自宅に着き玄関を開けると、さっそく弟が出迎えてくれた。

「お帰り。お土産は?」

「そんなもんねえよ」

「なんだ、それは残念」

もしかしたら背丈も変わらなくなっているのかもしれないと思ったが、弟は以前会った時と何も変わっていなかった。
両親を見れば、背が伸びないのは納得できるが。
それでも、雰囲気や顔つきは多少男らしくなったように思う。
相変わらず性格が悪そうな表情だ。
性格は顔に出ると言うが、それは本当だと思う。
実際この弟は掴み所もない上に何を考えているのかもわからない。
顎で人を遣うし頭の回転も速ければ口も達者だ。その上生意気ときているから手におえない。
家族と共にいれば香坂の事など考えずにすむかもしれない。
兎に角頭からも心からもその存在を抹消したい。

リビングに向かい、薫が出してくれた麦茶を飲みながら何も変わらない部屋をぐるりと見渡す。

「お前ちゃんと勉強してんのか?」

同じように麦茶を口に運ぶ薫に問う。

「言われなくてもちゃんとしてます。これでも一応受験生だからね」

「どこ受けんの?」

薫は俺とは反対に成績がとても良い。両親も誰に似てこんなに出来の良い頭をしているのかと首を傾げる。
きっと有名な進学校の名が出てくるのだと思っていたが、実際は違った。

「は?そんなの東城に決まってるじゃん」

「…マジかよ…」

「高校なんてどこでもいいって言ったら母さんがそれなら楓ちゃんと同じところ行けってさ…」

「だってお前、中学のときもそう言われて嫌だって言ってたじゃねえかよ」

「そうなんだけど、三年も楓ちゃんと別々だと寂しいしつまんないんだよね」

つまらないというのは、虐める相手がいなくてつまらないという意味だ。
決して繊細な気持ちから兄を慕っているわけではない。
仲は良いが昔から薫には手の込んだ悪戯を仕掛けられたり、意地悪をされたりと散々な目に遭わされてきた。
普通逆だと思うのだが、幼い頃からこいつは強かな人間だった。
そのせいでまともな友人もいない。
友達なんていらないし、他人なんて絶対に信じないという薫らしいのだが、東城に来るのならばそんなスタンスでは絶対にやっていけない。
学校だけではなく寮でも他人と関わらなければいけない。
一人になれる時間などほとんどないし、人間関係が一番重要になる。
とても薫のような性格ではやっていけないと思うのだ。

「お前本当に東城でいいのか?あそこは大変だぞ?」

「大変って何が?楓ちゃんですら入れるんだから大丈夫でしょ」

何もわかっていない弟に兄として助言をしなければと思うが、薫は俺の忠告など聞こうとしないだろう。

「……後から後悔しても知らねえぞ…」

「だから何が。いじめとかあんの?」

「そんなんあるに決まってんだろ。他にも色々……むしろ戦争だぞ」

「言ってる意味がわかんなんいんだけど…」

入学してからわかっても遅いのだが、これは口で言っても無駄だろう。
経験して学ぶのもいい機会かもしれないと思う。
嫌でも他人と共同生活を送り、そうしている内に薫のひん曲がった性格も多少は真っ直ぐに伸びてくれるかもしれない。
学園は社会の縮図だ。揉まれて苦労してそうして大人になるのも悪くない。
それくらいの荒療治でなければ薫には効かない気すらする。

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