5
もしかしたら自分はとても空気の読めない行動をしたのではないかと気付いたのは風呂から上がってからの事だ。
あんなに甘い雰囲気を壊し、どんな顔で部屋に戻ればいいのかわからない。
戻っていきなりゴングが鳴る訳でもなく、そういった雰囲気が作られるにはそれなりのプロセスがある。しかし、風呂にはどうしても入りたかった。
軽く十分は洗面台の前で苦悶した。
しかし遅いと心配されて来られても困るし、変な緊張感と共に部屋の扉をそっと開け、香坂の姿を探した。
するとソファの上肘掛を枕代わりにして心地よさそうに眠っている。
大きく溜息を零し考えすぎた自分は一体なんだったのだろうと脱力する。
別に期待をしていたわけではないが、放置されればそれはそれでおもしろくはない。
髪をタオルで拭きながらソファに近付き、目の前にすとんとしゃがんで寝顔を見詰めた
。
そういえば香坂の寝顔をまじまじと見れるのは珍しいと思ったからだ。
いつも疲労から俺が先に眠り、そして朝は香坂の方が先に目を覚ましている。
鋭く、時には甘く射殺すその瞳は瞼に隠されたままだ。
出逢った頃よりも少し伸びた髪は、襟足がもう少しで肩につきそうだ。無造作に遊ばれた髪は、絢爛な顔を更に引き立てる。
別に、顔に惹かれて好きになったわけではないが、こんなにも整っているのは単純に羨ましいと思う。
こんな男が同性である俺と付き合うなんて奇跡に近いのかもしれない。
いくら男子校でも女性には絶対に困らないはずだ。
言い寄る女性の中には驚くほどの美人もいるだろう。
香坂に愛を囁かれて嫌な気持ちになる女性は滅多にいないと思う。
逆に女性には飽きてしまったのか。
そう言えばここに来てからは一度も抱き合ってなかった。
家族がいるからと拒んだためだが、本当は香坂の熱を感じたかった。
毎日しているわけではないし、セックスなんてせずとも付き合っていられるが、外の世界に出て、香坂の周りの状況を知れば知るほど香坂が離れていくのは容易いと不安になる
。
マイナス思考もいいところだとわかっている。
これでは蓮にマイナス思考を直せと説教はできない。
好きという気持ちが増えればその分不安も付き纏う。
何かを得るためには何かを犠牲にしなければいけない世の中の因果なのだろうか。
香坂の寝顔を見ていると益々そんな風に思う。
風呂に入っている間に寝るなんて、俺にはそんなに興味がないのだろうか。
そこまで求めてはくれないのか。
もう身体には飽きてしまった…?
聞きたいけど、絶対に聞けない。そんな女々しい事。
香坂ならきっと嘘でも笑いながら"そんな事ねえよ"と言うとわかっているから。
俺を不安にさせんなよ。なんて、あまりにも傲慢で一方通行な我儘だが本音を隠さずに言えばそうなる。
なんだか切なくなり、綺麗な寝顔の香坂に初めて自らからキスをした。どうせ香坂は覚えていないのだし、たまには許されるだろう。
軽く合わせた唇を放そうと思えば頭をがっちりと掴まれ、そのまま口付けが深くなった。
「んっ!…ん」
いきなりの事に驚き、逃げる舌を捕らえられ、吸われ、激しい口付に対応ができない。
苦しくて肩を叩き抗議すると、やっと解放してくれた。
「っ、はぁっ…起きてたのかよ…」
「まあな。狸寝入りもたまにはいいもんだな」
「ふざけんな!もぅいい。寝る!」
恥ずかしくて死ねる。自分の顔は見えないが耳を通り越して首まで真っ赤かもしれない。
覚えていないと思ったからした行為であり、起きているならば絶対にしなかった。
狸寝入りと全然気付けなかった鈍感な自分を叱咤する。
そのままベッドに潜り、真っ赤であろう顔を隠すと香坂が逃げ場を絶つように覆い被った。
「おいおい、こんだけ俺をじらしといてそれはねえだろ。早く風呂あがんねえかなって待ってたんだぜ」
そんな事を言われれも今の顔は絶対に見せたくない。
腹を抱えて笑われるに違いない。
「お前からキスしてくれて嬉しいんだよ。俺からもキスさせてくれよ…」
タオルケットから覗く俺の髪を撫でながら、真っ赤な耳元でそう囁かれる。
ただでさえ甘い声をしているのに、耳元で話すのは反則だ。
自分の武器を理解した上でわざとやっているのだろうが。
タオルケットを目までずらし、香坂と視線を合わせる。
「だから、そんな可愛い事して俺を挑発すんなよ。止まんなくなっても知らねえからな」
そう言うと顔の半分隠していたタオルケットを勢い良く引っ張り、俺を曝け出す。
そして噛み付くような情熱的なキスをくれた。
「…香、坂…」
「今日は手加減してやんねえからな」
手加減なんてしないで欲しい。
本能のまま俺を欲しがって好きにして欲しい。
どれだけ俺を欲しがっているか、言葉では近付けないから身体で教えて欲しい。
「いい。加減なんてしなくていいから…」
言えば香坂は目を男の物に変え、その舌は首を伝い手は胸へ。
喰われるのではないかと恐怖するような劣情を真正面からぶつけられ、快感の海へ堕ちていく。
夜はまだ長い。
激しく互いを求め合い、思い出したら羞恥でどうにかなる程に乱れてしまった。
倦怠感に包まれながら、不規則な呼吸を整わせようと口で一生懸命息をしていると、同じように不規則な呼吸をする香坂が俺に覆い被さり、耳元で俺が一番欲しかった言葉をくれた。
「楓…」
「何だよ?」
「好きだ…」
一瞬、息をするのも忘れて目を見開いた。
やっと、やっと言ってくれた。
香坂の口から一番聞きたかった言葉。
「俺、も…好き…」
「泣くほど嬉しいのか?」
「な、泣いてない!」
本当に嬉しかった。
どんなに待ち詫びたかわからないたった二文字。
汗と愛液でべたべたの身体にも構う事なく、香坂はきつく抱きしめてくれた。
何で今まで言ってくれなかったんだよ。
なんて文句は霧散して、ただ、香坂の事が心から好きだと愛情ばかりが次から次へと泉のように湧いてくる。
それ以上の言葉はなかったけれど、抱き締められた腕の強さに香坂の想いが篭っているような気がして、嬉しくて、愛しくて。
香坂の腕から逃げられそうにない。
この腕が嘘で塗り固められたものだとしても、それでもいい。
世界中から偽りだと言われても、俺にとって真実ならばそれでいい。
お前が傍に居てくれる。
これ以上何を望もう。
[ 31/152 ]
[*prev] [next#]