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終始笑顔で話すママに愛想良く振る舞い、逆に香坂には冷徹な視線を送った。
ママは見た目も中身も若々しく、高校生のガキである俺に合わせ、豊富な話題で楽しませてくれた。
母親というよりも、親戚のお姉さんといった雰囲気だ。
仕舞いには、

「私のことは綾ちゃんって呼んでほしいな」

などと言われた。流石に年上の、しかも香坂の母親に向かって"ちゃん"付けでは恐れ多いため、綾さんと呼ぶことにする。
世の中母親と一言で言っても様々なタイプがいるものだと感心する。

帰りの車中でも香坂を見る事はせず、窓から流れる景色ばかり見ていた。
怒っているわけではない。拗ねていると言った方が正しい。
こんなところが幼稚で、自分でも辟易とする。

美味しかった料理の味も忘れ、頭の中は香坂のことばかり。
こんなに近くにいるのだから、そんな時くらい香坂のことなど考えたくはないのに。
何もかもを香坂に支配され始めたような気がして、恐怖を感じた。
二人きりにはなりたくはなかったが、当然家に着けば二人になってしまう訳で。

「何怒ってんだ?」

「…別に怒ってねえよ」

香坂の過去にまで嫉妬するくらい夢中なのだと気付かれたくなくて、俺が想う以上に夢中になってほしくて、こんな態度をとってしまう。
駆け引きなどできる程頭の回転が速くないくせに。

「綾の言った事か?」

「気にしてない」

ソファに着く香坂に背を向け口を尖らせながら言うと後ろからぐっと腕を引かれ、香坂の隣に座らされた。
顔は香坂の肩にぐっと押し付けられ、座りながら抱き締められるような格好になる。
こんなことをされても誤魔化されてなんかやらない。

「過去の話だろ?どの女も本気じゃなかった。ただの暇潰しだ」

いつか俺と別れ、可愛い恋人ができたならば、俺のこともそんな風に話したりするのだろうか。ただの暇潰しだと、本気などではなかった、と。
考えてみれば香坂から好きだときちんと言われたことはないし、正式に愛の言葉を交わして交際を始めたわけでもない。
急に恐ろしくなる。俺達は本当に仮初めの恋人から本物の恋人になれているのだろうか。
好きすぎるあまりに都合の良いように解釈しているだけではないのか。
狭い世界である東城にいれば香坂が浮気したならすぐに耳に入るし、行動だって把握できた。
でも、広い、あまりにも広くて自由な外の世界に出てみれば、繋ぎとめる術などない。
遊びか本気か、香坂自身しか知る由もない。
言葉に出して言われたって、本音かなんてわかるわけもない。

「…俺のこともただの暇潰しかよ…」

でも、聞いてしまうのは言葉がないと不安で押し潰されてしまう自分がいるから。

「んな訳ねえだろ。暇潰しなんかで男と付き合えっかよ。こんなに回りくどい手段で手に入れたんぞ」

「…本当?」

「信じろ」

お前なんて信じられるわけがない。
口が上手くて揶揄ような素振りばかり。
自ら行動せずともそこに立っているだけで女性から好意を寄せられる。なにもかもがスマートで退屈を知らない。
何故そんな男が俺に本気で想いを寄せていると信じられる。
でも、本当だったらそれ以上の幸せはない。なんて霧の中の香坂の本心に希望を抱いてしまう。
どうせいつか愛想を尽かされ、疎まれるならばこちらから嫌いになってやろう。虚勢を張るが、きっとそれも叶わない。
どんな嘘をつかれても、どんな裏切り方をされても結局は許してしまうのだろう。この暴君を。
俺と香坂の心の差が酷くもどかしくこんなにも苦しい。
それなのに、想う気持ちを止める方法が見付からない。
これも香坂の計算で手腕なのだろうか。
今まで何人の女性をそうして泣かせてきたのだろう。

天国と地獄が本当にあるとするならば香坂は間違いなく地獄行きだ。
俺の心もできるなら返してほしい。半分でいいから。これ以上を望まれたなら、その時は香坂の操り人形へと堕ちる時だろう。
いつか、香坂が去ったその時自分自身を保っていられるように、心を全部持っていくのはやめてほしい。

「お前は?俺の事好きだろ?」

好きか?ではなく、好きだろ?と然も当然と言わんばかりの余裕に苛立つ。
俺の気持ちなど全部お見通しだ。

「さあな。今は好きだとしても、その内飽きるかもな」

絶対に、こんなにも夢中なのだと悟られたくはなく、冷たく言い放ち顔を背けた。

「お前のそんなとこが可愛くてしょうがねえけど、過去に嫉妬する位俺に惚れてんだろ?」

薄ら笑いを浮かべられ眉を顰めた。
どれくらいの時間が経過すれば対等になれるのだろうか。
そんな日は一生訪れないような気がする。

「べっつに!」

香坂から離れるために立ち上がり、目一杯否定した。
虚勢と悟られても構わない。せめて言葉にしたくない。ここで認めたら負けてしまう。勝負ではないが、俺にも男のプライドというものがある。
それでも香坂は余裕の笑みを崩さない。
本当に癇に障る。
甘いような苦いような、綿飴の中に放り込まれたような空気に居た堪れなくなる。

「風呂入りたい」

逃げ道を探せば風呂しかない。

「風呂はいつでも入れるようになってるから、勝手に入れ。場所はわかるよな?」

「わかる」

逃げるように寝間着を鷲掴みにして乱暴に扉を閉めた。
混沌とする気持ちのまま風呂の扉を開け、その広さに驚いた。
猫足の湯船には純白の薔薇の花弁が浮かんでいる。
綾さんの趣味と実益を兼ねたものなのだろうか。
さすがエステを経営しているだけあり容姿には最も気を遣っているようだ。
あの美しさは綾さんの努力の成果だ。
最近は寮の個人部屋の風呂しか使用していないし、自宅もマンションなので風呂は狭い。
温泉のように広いお風呂を見るとそれだけで高揚する。
感嘆の溜息を零しながらぐるりと見渡せば、そこかしこに女性特有のケア用品が散らばっている。
シャンプーがあればどうにかなる男とは違い、女性は本当に大変だ。

夏故、いつもよりも汗を掻く。
シャワーを頭から浴び、沢山あるボトルの中から使っていいのか戸惑いながら、気に入った香りの物を選んで色々と試してみた。
なかなか楽しいものだ。見慣れないからだろうが。これが毎日となれば到底無理だけれど。
気品ある香りがする白い湯船にも充分に浸かっていると、苛立っていた気持ちも少しは治まった。多少は香坂を信じて素直になる努力をしなくてはいけない。そんな風に思った。

温まりすぎた身体は熱を発散したがっている。
寝間着に着替え、首からタオルを掛けたまま風呂の扉を開けると、綾さんと鉢合わせした。

「あら、お風呂だったのね。さっぱりした?」

「はい。可愛いお風呂ですね」

「そうでしょ。私の趣味なの。冷たい飲み物一緒に飲まない?」

「はい、是非」

綾さんにはだいぶ慣れた。
気を遣わないで済むように綾さんが導いてくれているからだと思う。

リビングに通され、アンティーク調の真っ白な一人掛けソファに座っていると、綾さんがアイスティーを差し出してくれた。
風呂上りという事で砂糖も控えめで、さっぱりしていてとてもおいしい。
珈琲は甘くないと飲めないが、茶葉の香りを消したら勿体無いし、ストレートで飲むのが良さそうだ。

「家で不便なことはない?」

「ないですよ。快適すぎるくらいです。最初は大きさに驚いたけど…」

こんな豪奢な家で生活をする事などこの先二度とないだろうから、堪能しなければ損だ。

「ここは仕事するのに便利だから住んでいるんだけど、旦那が先代から受け継いだ家は東京でも田舎の方でね、静かで緑がたくさんあるところなのよ。今度そっちにもいらっしゃい」

「はい…」

気に入られるのは嬉しいが、そんな家族のプライベート空間に自分のような赤の他人が足を踏み込んで良いものか。
嫁候補ならばまだしも、俺は残念ながら香坂と結婚する事はできない。

「うちって涼も京も可愛気がないでしょ?変に大人びて。だから楓君みたいな元気で素直な息子が欲しいって思ってたのよね。私の相手もしてくれるし、嬉しいわ」

「いえ、そんな…」

綾さんの世間話につきあっていると、玄関が開く音がした。

「京!帰って来たの?」

「ああ、ただいま」

「ただいまじゃないわよ、まったく…ちょっとこっちいらっしゃい」

きっと香坂の弟だろう。十一時を回っているが、中学生がこんな遅くまで外出していて良いのだろうか。
他人の家庭の掟にとやかく言う資格はないが、我が家ならば一日飯抜きだと仕置きされるだろう。

「何だよ…って、誰…」

扉の方を凝視すれば香坂を幼くしたような男性がボトムのポケットに両手を突っ込んで立っている。
アシンメトリーの髪型は薄っすらと茶色く、身長も中学生でも百七十以上はあるだろう。
まだまだ成長期だというのに自分と同じ位だろうか。
しかし、やはり幼さが何処となく残っており、服装やアクセサリーでそれを補っているように見えた。
容姿も香坂同様整っているには違いないが、香坂とは少しタイプが違うように思う。
香坂は甘いマスクをしてるが、弟君はそれよりも鋭く男らしい顔つきだ。
どちらも美形な事には変わりないのだが。
綾さんを見れば容姿が良い子供が生まれるのも自然な流れだ。

「涼のお友達の楓君よ」

「兄貴の?へえー…珍しく女じゃなくて男引っ張り込んだんだ」

失礼で俺様な性格は兄弟そっくりだ。

「楓君に失礼よ。あなたの一つ年上なんだから失礼のないようにしなさい!」

「はいはい…どうも、弟の京です。宜しくね」

「…宜しく…」

ニヒルに笑った顔はまるで小悪魔だ。
まだまだやんちゃ坊主といった感じで、遊びたい盛りなのだろう。
まだあどけなさが残る表情も、あと数年すれば香坂のようになるのだろうか。

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