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大きな苛立ちを抱えたまま屋上へ行き、五限のチャイムも無視した。
暖かい日差しを浴びて、無機質なコンクリートの上に横になる。
腕を枕代わりにし、瞳を閉じた。
もともと屋上は立ち入り禁止だが、そんな決まり事を守っている生徒は一握りだ。
その証拠に鈍い、鉄製のドアの開く音と、幾人かの声が聞こえる。
「こんなに天気いいのに、授業なんてやってらんねー」
その気持ちはよくわかる。
なんて、目を閉じている俺は、誰かもわからないその声に、心の中で返事をした。
「お前サボりすぎ。大丈夫なのかよ」
「そうだぞ。たまにはちゃんと授業に出ろ」
まあ、うちはエスカレーター式だから…呑気に考えているとある事に気付き、眉間に皺が寄った。
この声は…。
もう少しで夢の中にいけそうだった意識をなんとか取り戻し、勢いよく起き上がった。いや、起き上がらない方がよかった。
「あれ?お前、昨日の…」
ばっちりと視線がぶつかってしまった。
静かに逃げればよかったものを、頭で計算するより先に身体が動いてしまったのだ。
会わないようにと気をつけていたのに、何故よりによってこんな人気のない場所で。
しかも相手は三人、俺は一人。助けてくれる奴もいない。
俺ってどんだけ運悪いんだよ…。
マジで浅倉恨む。こうなったら全部浅倉のせいって事にする。
「確か、月島楓君…だよね」
聞きたくないその声、見たくないその笑顔。
さっき蓮にも同じ顔して話していたんだろ?
今は香坂よりも、須藤先輩に会いたくなかった。
醜い自分を認識したくなかった。
「こんなとこで、お前もサボり?」
甘い顔によく合う低音の甘い声で問われたが、その言葉は軽く無視。
香坂に一々つきあっていたら、身がもたない。
「シカトかよ。益々生意気だな」
「そう思うなら話しかけんな」
「先輩に敬語もなしかよ」
「お前なんて先輩じゃねえ」
先輩に向かって、この態度は如何なものかと自分でも思うのだが、こんな奴に気など遣いたくもないし、媚びるような態度も取りたくはない。
「俺こいつに用あるから。お前ら席外せよ」
外さなくて結構。何故なら俺が外すから。
「わかった」
言葉にする前に、香坂に目の前に座られ、逃げ場がなくなってしまった俺は、須藤先輩達が去っていくのを、保育園に預けられた子供のような目で見送る事しかできなかった。
「俺は別に用なんてないけど」
「まあ、そう言うな。俺が用あんだよ」
「何?さっさと済ませてくんねえ?ってか話したくもないんですけど」
「お前って本当に可愛くねえのな」
「可愛くなくて結構」
「今まで俺に言い寄られて断ったのは、お前が初めてだ」
今度はモテ自慢ですか…残念ながら、俺はお前なんかに靡かない。
「だからこそ興味がそそられる。生意気な奴を喘がせるのも悪くないだろ?征服感を味わえるし、いいかもな。俺の周りにはいなかったタイプだ」
こいつと話してると頭がおかしくなる。
「…あんたって何型?」
「B型」
やはり想像通り。同じ血液型だという事実すらも覆したくなる。今すぐ血変える。
「でさ、お前蓮と別れて俺とつきあえよ」
「は?何で俺が蓮と別れなきゃいけねえんだよ」
「俺がつきあいたいから」
「馬鹿じゃねえの」
「そう言っていられるのも今のうちだ。絶対お前を落としてみせる」
「寝言は寝て言え!」
そう言って俺は勢いよく立ち上がり、屋上から逃げ出した。
誰がお前なんかに落ちるかよ。
あいつ、絶対脳みそ腐ってる。
蓮と別れる気も、蓮以外を好きになる気も更々ない。
蓮は絶対誰にも渡さないし、蓮の隣で笑っているのは俺だけで十分だ。
香坂を振り切るように屋上から飛び出した俺は、授業中という事もあり、行く所がなくなってしまった。
溜め息をつきながら、保健室に向かう。
「先生、具合悪い」
軽くお決まりの嘘をつき、ベットへ逃げようとしたのだが。
「じゃあ体温はかってね」
保健医の天野光は優しいが、教師として、サボりは許してはくれない。この学園で許してしまったら、ベットがいくつあっても足りないからだろう。
「………………」
笑顔で体温計を差し出す光ちゃんからそれを受け取り、渋々脇に挟んだ。
電子音と共に表れた数字を覗き見れば、
「三十六度五…平熱じゃないか」
ここで教室へ帰る訳にはいかない。正直に言おう。
「教室に帰りたくないんだ。お願い!」
「…何かあったの?」
「…ちょっと、友達と喧嘩しちゃって…」
「喧嘩?友達なんて喧嘩して友情を深めるものです。早く謝っちゃいなさい」
光ちゃん、可愛い顔してキツイんだから。
でも、それが事実なだけに反論できない。
「……光ちゃんはさ、彼女に嫉妬とかして喧嘩になったりしねえ?」
「…嫉妬が原因か…そりゃ勿論そんな事もあるよ。それはつきあう上で避けては通れない道だからね」
「光ちゃんやっぱり彼女いるんだ」
「僕の事はいいから!」
話を逸らそうとする光ちゃんだが、十分大人と呼ばれる歳である光ちゃんでも嫉妬するという事は、俺が嫉妬するのもしょうがない。
だってまだ十六歳で、大人ぶって背のびをしたところで子供なのだ。
蓮の気持ちを尊重してあげたいといつも思うが、感情が先走り、思ってもいない事を言ってしまう。
蓮の事は信じているが、全部が俺の物とは自信を持って言えないのは何故なのか。
蓮と一緒にいればそれだけで嬉しくて、楽しくて、幸せで…でも、いつも感じるこの苦しさはなんだろう?
恋は知っていても、愛を知らない俺には、それが辛くてたまらない。
途中から保健室へ来た事もあって、あっという間に五限の終わりを告げるチャイムが鳴る。
今日は五限で授業が終わりだ。
今は気持ちの整理がつかなくて、蓮にも会いたくなかった。
けれども、寮へ帰れば是が非でも会わなければいけない。そしたら、素直に気持ちを告げて仲直りをしよう。
チャイムから三十分程度経過し、部活以外の生徒がほとんどいなくなったのを見計らい、教室へ戻った。
「よぉ。B組って言ってたから来てみたら、お前いねえんだもん。帰ったかと思った」
教室の扉を開けた瞬間に目に飛び込んだ顔に、がっくりと首を落とした。
「何であんたがここにいるんだよ」
「お前と一緒に帰りたかったからだよ」
「俺はお前となんか帰りたくない」
何で俺が、いきなりキスまでしてくるようなナルシスト野郎と仲良く下校なんてしなきゃいけねえんだよ。
「お前の意見は聞いてねえよ」
ああ、そうだ。この人は世界の中心は自分の俺様なんだった。
強制的に腕を掴まれ、教室を二人で出た。
もう反抗する気も起きない。
仲良く下校など絶対にごめんだが、たかが十分程度の道のりだ。
歯を食い縛って嫌悪に耐えればいい。
「…なあ、須藤先輩ってさ、彼女いんの?」
「ああ?拓海?お前拓海に気があんのか?」
こいつの思考回路は全部恋愛に繋がっているのだろうか。
「違いますから」
「拓海に彼女がいるかどうかは知らねえな」
「は?あんたら友達なんじゃないの?」
「友達だけど、お互いの私生活すべてを知ってるわけじゃねえし、知りたいとも思わねえし」
「本当に友達ですか?」
「さあな」
さあって…。
でも、須藤先輩に彼女がいなかったら、蓮を好きになるかもしれない確率もゼロとは言えなくて…。
何でこんなに須藤先輩に拘って考えてしまうのだろう。
「…でも気になる奴がいるって昨日言ってたな」
「…それって…」
「あいつ、今日昼休みお前のクラスに行ったんだろ?蓮と話したとか言ってたけど、案外蓮かもしれねえな。どうする?」
「どうするって…俺は蓮を誰にも渡す気はない」
「お前はな。でも、蓮がもしお前から拓海に心移りしたとしたら、お前は諦めるしかないんだぜ」
「そんな事…」
「ないって言い切れんのか?」
言い切れない。だからこんなに胸が苦しいんだ。
でも俺は蓮を信じたい。昨日今日会ったような先輩なんかじゃなく、ずっと一緒にいた俺を捨てるような事はしないって。
大体、まだ須藤先輩と蓮がどうこうなった訳ではないのに、こんな事で悩むなど馬鹿げている。
蓮は俺を好きだと言ってくれてるんだ。
今はそれで十分だ。
俺が信じなきゃ、蓮だって俺に不信感を持つだろう。
「まあ、俺はお前がふられる事を願ってるけどな」
「死ね」
香坂は見るからに頭が悪そうで、俺中心の最低な奴なのに、俺の本心をいとも容易く見抜く。
その瞳で見られれば、いくら俺が意地や虚勢を張っても全部見透かされているようで、居心地が悪い。
やっと寮に着いた俺らは、エントランスで早々と香坂に別れを告げ、蓮が待っている部屋へ急いだ。
何故か言いようもない不安に駆られた俺は、蓮の姿を見て、俺だけが好きだと言って欲しかった。
軽く息切れしながら、勢い良くドアを開ければ部屋着でテレビを見ていた蓮が驚いた顔でこちらを振り返った。
「蓮…」
「…楓……あの、昼休みはごめんね。僕、無神経だったよ…楓が嫌っている香坂先輩の友達と仲良くしたりして…本当にごめん…」
俯きながら自分が悪いと謝る蓮を力一杯抱きしめた。正直に言おう。
「蓮、お前は悪くないんだ。蓮が須藤先輩が仲良さそうにしてるとこ見て、情けねえけど嫉妬したんだ。蓮は悪くないのに、あんな事言って…ごめんな」
「…もう怒ってない?僕の事嫌いになってない?」
「怒ってないよ。蓮の事も、好きだよ」
俺の機嫌を気にして、嫌いになっていないかと聞く蓮を見れば、須藤先輩の事なんか頭から一気に消え飛んだ。
こんなに俺の事を想ってくれている蓮を疑って、嫉妬して、傷つけて…。
一番大切に想っている蓮を疑う事が、どんなに辛い事かってよくわかった。
大切にしたい気持ちと、憎らしく想う気持ちが同じ人に向けられるなんて、今の俺には整理がつかない。
その晩はお互いを確かめ合うように、ぎゅっと抱き合い、眠りに着いた。
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