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呆気にとられてしまう俺を置いて、さっさと歩いて行く香坂を慌てて追った。
「ただいま」
「あら、おかえりなさい。早かったわね」
香坂の声に長身で細身の女性が出てきた。
とても美しい人だ。大人の色香が漂い見惚れてしまう。
「ああ。こいつ、ここに泊まらせるから」
「あら、初めて見る子ね。初めまして、涼の母です。自分の家だと思って好きに使ってね」
「あっ、お邪魔します!月島楓です…」
美人ににっこり微笑まれ一瞬で硬直してしまう。
女性に免疫がないというのがすぐにわかる。
香坂の母親は若々しく二人の子供を出産しているとは思えないスタイルだ。
香坂と並ぶと迫力があるし、絵になる。姉弟と言っても疑われないと思う。
「折角来てもらって申し訳ないんだけど、これからまた仕事に出かけるの。夕食までには戻れると思うんだけど…」
「わかった」
「じゃあね、楓君」
お母さんは車の鍵を握りながら手を振り、出かけて行った。
俺の母親とは偉い違いだ。うちの母親ときたら、中年太りを気にする普通の母親だ。お世辞にも綺麗とは言えないし、中肉中背で仕草や口調は年々おばさんのそれになってきている。
部屋へ案内してもらっても落ち着つけない。
外観だけではなく内装も凄まじく、その広さも落ち着かない。
香坂らしくモダンで色を抑えた室内にはホームシアターまで設置されている。
「香坂のお母さんっていくつ?」
「今年三十七だな。二十歳の時に俺を産んだから」
「若っ!何の仕事してんの?」
「エステの経営とか色々やってる。親父は仕事でほとんど海外だから、仕事してないと暇なんだとよ」
暇だから会社を経営なんて聞いた事がない。
香坂の親父さんは何の仕事をして、こんな家を建てられて、奥さんの暇潰しに資金をぽんと出せるような財産を手に入れたのだろうか。
聞くのが恐いからやめておくが。それはまた別の機会に。
これ以上頭の中を混乱させたくない。
「そんな事より…四六時中一緒にいれるな、楓」
にじり寄った香坂は悪魔の笑みを浮かべている。
この顔をする時は悪巧みをしている証拠だ。
「お前の実家なんだから、変な事すんなよ」
「大丈夫だ、防音だから。その内弟も帰ってくると思うから、帰ってきたら紹介する」
まったく大丈夫ではない。防音だろうがそうでなかろうが関係ない。
そうなったら全力で抵抗しようと思う。
もし、万が一知られたら人生終了のお知らせだ。
須藤先輩も近所という事は、須藤先輩の実家もこんな感じなのだろうか。
蓮は大丈夫だろうか。俺以上に恐慌状態に陥っている姿が目に浮かぶ。
香坂の部屋に一切の荷物を置き、そのまま移動で疲れた身体を休ませるために一休み。
大きなテレビもあるし、本格的なステレオも備わっている。趣味にはとことん拘ると言っていた事を思い出す。拘りたくとも拘れない庶民な俺には妬ましいが。
これだけ立派なステレオがあれば、音楽を聞くのも映画を見るのも楽しいだろう。
でも、寮では大きな音を立てれないし、香坂にとっては寮は住み難くないのだろうか。
部屋の広さも設備も一般的か、それよりも多少狭い寮は狭い鳥籠のようなものなのかもしれない。俺にとっては充分すぎる程だが。
ソファに座れば高級故に身体がすっと沈み、硬いソファにしか座った事がないため驚いた。非常に落ち着かない。
こんな贅沢も慣れれば普通になるのだろうか。
「お袋が紅茶とか珈琲とか好きで、色々揃ってるけど何がいい?」
「冷たいもの…」
「わかった」
できればティーパックに入った安い麦茶をお願いしたいところだが、この家にはそんなものはないと思う。俺にはそれが一番お似合いだというのに。
麦茶とめんつゆを間違えた経験など香坂は絶対にないだろう。
冷たい緑茶を片手に、部屋にある雑誌やCDなど興味は尽きず、はしゃでは香坂に落ち着けと叱られる。
普通の恋人同士ならば当然に過ごす時間も男同士で寮生活の俺達にしてみれば、有意義で貴重な時間だ。
映画の好みや、音楽の好み、何でも知れる事はすごく嬉しい。
誰だって好きな人の好きな物は知りたいという探究心は持っているだろう。
部屋中の物を物色しているだけで時間はあっという間に過ぎるし、それだけでとても楽しい。
「…腹減ってきたな」
言われて意識すればそんな気になってくる。
高校生らしく食欲と性欲は盛んだ。
「涼ー、入るわよ」
この声は香坂のお母さんのものだ。
夕飯までには帰ってくるという言葉通り、正に飯を食べようと相談しているタイミングで帰宅したようだ。
時計を見れば八時を少し過ぎたところ。
「楓君、お腹減ったでしょ?作ろうと思ったんだけど、私あまり料理得意じゃないし、折角のお客様も来たし涼も帰って来たし、久しぶりに外食でもどう?」
「楓、どうする?」
「折角だし行きましょうよ。とっても美味しいところなのよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
「よかった。じゃあ早速出発するから下に降りて来てね」
「綾、京は?」
「あの子最近帰り遅いからいいのよ」
そう言って香坂ママは颯爽と去って行った。
待たせるのも悪いと急いで身形を整える。
ガレージに行けば滅多にお目にかかれない高級外車が三台ほど。
車に特別詳しくなくとも名前は誰でも知っているだろう。
運転するのは一人なのだから一台あれば十分なのでは、というのは庶民の思考なのだろう。
運転するのが好きだと言う、男勝りな香坂ママは社長でありながら何処に行くにも自分で運転するのだと言う。
後部座席に香坂と並んで乗り込む。
「楓君は嫌いな物ない?」
「はい、ないです」
「そう。じゃあ今日は…和食にしようかしらね」
香坂ママは何だかとても楽しそうだ。
「悪いな、あいつ、俺が友達連れてくるといつもこうなんだよ。相手してやってくれ」
香坂ママには聞こえないようにこっそりと教えてくれた。
もしかして須藤先輩や木内先輩にもこんな調子なのだろうか。
車が辿り着いたのは隠れ家みたいに、緑に囲まれてひっそりとした一軒の料亭。
素直な感想を述べると、高そう、以上だ。
「ここのお魚料理は絶品よ」
俺も香坂もごくごくカジュアルな格好なのに、大丈夫なのかと不安になったが常連らしく、すんなり通してくれた。
個室に通され、コース料理を香坂ママが頼み、次々と運ばれて来る滅多に食べれなさそうな料理を美味しいと感激しながら胃袋に詰めていく。
「楓君は涼と同じクラスなの?」
「あっ、後輩です」
「後輩?珍しいわね。いじめられてない?」
「……はい…」
即答はできなかった。どちらかと言えば虐められている。ただし、ベッドの上でだ。
口が裂けても言えないが。
「何だよ、その間は…」
「いえ、別に…」
「長期のお休みになると涼いつも女の子連れて来たから、男の子が来るのは珍しいのよ。拓海と仁以外はあまり来た事なかったものね」
香坂の母親にはそうなんですかと笑顔で相槌を打ちながらも、隣に座る香坂の太腿辺りをぎゅっと抓った。
「っ、いっ…」
「なに、涼」
「…なんでも、ないです…」
「…相変わらず変な子…」
有力な情報をありがとうと感謝しなければ。
香坂の事だから毎回違う女を連れ込んでいたのだろうが、他の女もあの部屋に来てたのかと思うと、炎のような怒りが燃え上がる。
じろりと睨めば咳払いと共にそっぽを向かれた。
部屋に帰ったら覚えていろと心の中で悪態をつく。
蓮の時も思ったが、独占欲が人一倍強いのかもしれない。
過去にすら嫉妬してしまう。
俺だって蓮と付き合っていたし、女性に恋をした事もある。
今までの人生で香坂だけとは言えないはずなのに、それなのに。
何人の女性に甘い声で甘い言葉をおくってきたのだろう。
過去を知れば自分が傷つくだけだとわかっているのに知りたい。
矛盾しているが、相反する二つの気持ちは一つの心から生まれている。
過去も今も未来も全部自分のものにしたいと思うのは、狂気なのだろうか。
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