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いつものように虚勢を張る事も、空元気を見せる事もできず蓮が俺のために泣いてくれる姿をどこか他人事のように見ていた。
ショックが大きすぎて、これは夢かもしれないと半ば自失する。
蓮は必死に俺を抱き締め、須藤先輩も傍らにいてくれた。

「僕部屋に戻って涼と話してくるよ」

須藤先輩が気遣ってくれたが諦めの笑みを浮かべながらそれを制した。
誰も香坂を責める権利なんてない。
須藤先輩は事情を知っているから尚更だ。

そんな優しい二人に囲まれ、この温かさが欲しかったんだと瞳を伏せた時、再び部屋をノックする音が響いた。
ゆうきか、景吾だろうか。
形振りかまわず泣きながら走って来たから、誰かが伝え心配して来てくれたのかもしれない。
瞳を真っ赤にしながら腫らしている俺と、今も泣き続ける蓮は人に会える状態ではない。
部屋の住人ではないが、須藤先輩が代わりに部屋を開け訪問者に応対してくれた。
誰が来ても、今の情けない顔は見せたくなかった。
ドアに背を向け、声で誰か確かめた。

「楓いるだろ?」

ああ、俺は幻聴でも聞いているのだろうか。
香坂の声のように聞こえてならない。

「いるけど…涼、お前わかってるよな」

「わかってるよ」

須藤先輩が香坂の名前を呼んでいる。という事は本物、なのだろうか。
後ろに香坂の気配を感じ、身体が強張った。
何をするために、俺に何を伝えるために来たのだろう。
耳を塞いでしまいたくなる言葉が待っているかもしれない。
逡巡している間にも香坂の香水の匂いが近付き、蓮を見れば威嚇する猫のように全身から怒りのオーラが出ている。
蓮が怒ったところで香坂は動じないだろうが全身で守ろうと必死になっているのが伝わり、蓮に守られるのも悪くないと思った。

「楓、話がある。ついて来い」

香坂は媚び諂うわけでもなく、言い訳を前にする罪悪感を見せるわけでもなく、いつもと同様、凛と透き通る語調で言った。
話があるなど、悪い話としか思えない。
お前には飽きたからもう仮の付き合いも終わりだとか、俺も前みたいに自由になりたいからとか…。

「嫌だ…俺は別に話なんてねえよ。別にお前の好きなように何でもすればいい」

「そうじゃねえよ。取り合えずこっち来い」

腕を引かれ強引に立たされる。
蓮が俺に手を伸ばし何か言おうとしたが、須藤先輩に制された。

「引っ張んなよ!俺は話したくねえっていってんだろ!」

「うるせえ騒ぐな」

聞きたくない。何も。
わかっている。お前の性格も、俺の事は興味本位だという事も。
そこまで分別のつかない子供ではない。
わかっている…。
それなのに直接香坂の口から聞いたら、俺は…。
再び涙が溢れそうになり、唇を噛み締めて堪えた。

泣きながら走って来た道を、今度は香坂に腕を引かれながら逆戻りする。

「おい、歩くの早えよ!腕も痛いし逃げねえから離せよ」

いくら香坂に話しかけても一切を無視された。
もしかして勝手に部屋に入った無礼を怒っているのだろうか。
いい所を邪魔してしまったのも事実だ。
香坂が怒ると怖い事を知っている俺は、二人きりになるのが嫌でしょうがなかった。
でも、逆らうなどできるわけもなく、辿り着いた部屋に押し込まれる。
先程まで他の人がいた部屋なんかにはいたくない。
ここにいるだけであのシーンをリアルに思い出してしまって、胸が痛い、苦しい。

重い沈黙の後、香坂が溜め息交じりに話し出した。

「…なんでお前さっきここにいたんだよ」

やはり怒っているのだろうか。

「部屋に須藤先輩が来て…香坂は部屋にいるから行ってみろって言われて、それで…
勝手に入ったのは悪かったよ。でも、お前も鍵かけてねえのも悪いんだからな!」

「なるほど…で?何で泣いてたんだよ」

「泣いてない!」

「お前の目と声聞けばわかんだよ。理由を話せ」

「理由なんて…なんでもねえよ。お前には関係ない事だ」

理由など、香坂に言えたものではない。
これ以上傷つくのは御免だし、結果などわかりきってるのに、これ以上何を話せというのか。

「お前は理由もなく泣くような奴じゃねえだろ。しかも俺の部屋から出た後だ。俺が泣かせたんなら謝る」

俺が泣かせたなら、なんて、香坂の言いぶりは俺が香坂の事が好きだと知っているような口調だ。

「勘違いしてんなよ。誰がお前の事で泣いたりするかよ!」

「じゃあ何だよ。お前も少しは素直になれ。俺の事以外で考えられねえだろ」

「うるせえ!お前には関係ないって言ったはずだ。もういいだろ。お前に話す事はなにもない。帰る!」

「…そうかよ。じゃあ帰れ」

自分から帰ると言ったくせに、あっさりと冷静に認められればその判断が酷く冷徹なものに思える。
自分の首を自分で絞め、さらに傷つくなど本当に馬鹿だ。
そんな傷ついた顔を見られたくなく、勢いよく立ち上がり思い切りドアを閉めた。

素直になれ、か…。
自分でもわかっている。素直になれずに、いつも大事なところで空回りする。
しかし、すぐには性格が変わるわけでもなく。
そんな自分にいつだって呆れ、自己嫌悪し、もう疲れてきた。
香坂もさすがに呆れた様子だったし、こんな面倒な奴と一緒にいても疲れるだけだ。
どうしても、香坂の事で傷ついたと悟られたくなかった。
香坂の前では演技でも気丈でいたかった。
悟られているとしても、嘘も突き通せば真実になると思ったのだ。

これからこの関係はどうなってしまうのだろう。
何も始まっていない関係だから、終わりなどはないけれど香坂に抱かれたあの熱い夜、一緒に過ごした平凡な時間。何もかも記憶は鮮明で美しく、途方に暮れる以外俺に何ができるだろう。
童話にあった眠り姫のように、ずっと眠っていられたらいいのに。
辛い事も、悲しい事も、眠っていれば感じる事はない。
ずっと眠っていられるのならば、せめて夢では香坂と共にいる幸福な夢を望んでしまう俺は、女々しくも未練がましい。

何を言われても、何をされても、求めるのは香坂一人だけだ。
それ以上は何も望んでいないのに、一番欲しい物はいつだって簡単に去って行く。
蓮を想う辛さから解放してくれたように、もう一度香坂が救ってくれればいいのに。

香坂の部屋を勢いで飛び出したのはいいが、行く場所がない。
先まで考えずに思い付きで行動するからこういう事になる。
学習能力はまだ備わっていない。
香坂が居場所になってくれたのに、その香坂まで失ってしまった。
何処へ行けばいいのだろう。
好きな人や恋人などいなくとも生きる分に不自由はないが、俺は香坂の温かさを知ってしまった。
あの熱がないと、こんなにも目の前が闇に包まれる。
愛されたいのに、それを恐がって逃げ回って。
気持ちを言葉にするのがこんなに怖いと知らなかった。
たった二文字の世の中にありふれて、おざなりにされているような言葉なのに。

香坂の部屋を出て、長く続く廊下を一人あても無く歩いていると、背後から名前を呼ばれた。
はっきり言って今は誰とも話したくないし、誰かの相手をするのも面倒だが、礼儀として振り返った。

「なんでこんなとこいんのー?」

声の主は景吾だった。お前こそ、と言えば野暮用で、と屈託のない笑みを見せる。

「香坂先輩にはまだ会ってないの?」

「は…?何で香坂…」

まさか、香坂とのいざこざを景吾が知っているわけがない。
蓮や須藤先輩ならばわかるが、何故景吾からその名前が出るのか疑念を抱いた。

「だってさ香坂先輩酷いんだよ!香坂先輩の部屋の近く歩いてたら急に先輩が出てきて。びっくりしてたら俺を見つけるなり部屋の中にいた女の人外まで案内しろって押し付けてきて。なんかすごく焦ってたから楓絡みなのかなーって……あれ、違った?俺余計な事言った…?やべー、香坂先輩に殺されるかも」

景吾の話しは要点をまとめていないため、理解するのに時間がかかった。

「なんか女の人も怒ってるし、香坂先輩は用件だけ言って走り出すし、俺本当に散々だった!後で何か奢ってもらわなきゃなー」

にんまりと笑う景吾の最後の方の言葉は頭には入らなかった。
香坂が女性を放り投げてまで追いかけようとしてくれたという事実だけが巡っている。
居ても立ってもいられなくなり、香坂の元へ走った。

「あれ、楓ー?」

景吾には悪いが礼は後にさせてもらう。
今は香坂の顔が見たい。
怒らせてしまったが許してくれるだろうか。

絶望の淵に立たされていたが、かすかな希望で胸が一杯だった。
付き合おうなど言われなくていい。
ただお前の傍にいたい。
悩んで迷って傷ついて…でも答えなんてもっと単純で。
大人になればなるほど感情を表現する事を怖がり人を傷つけてしまう。
しかし、この気持ちは大事にしたい。その先に待つ未来に怯えて恋心を失くしてしまうくらいならば、正直に告げてから失おう。
お前を好きと思える自分が好きだから。
折角言葉を伝える口があり、言葉が生まれたのだから、自分の気持ちを形にしなくては。
俺は伝える事ができるのに。
その相手だってこんなにも近くにいるのに。
大人に近付くとは、いい事ばかりではない。
こんな風になってしまうなら、いつまでも子供のままでいたい。
好きな物は好きと、胸を張って言える子供のままで。

香坂が俺の心を作ってくれた。今日くらいは素直にならなければ、一生後悔する羽目になるだろう。

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