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「何だよ…俺だって辛いのに…」

香坂なら以前のように優しく励ましてくれると思っていた。
甘やかして欲しいのに、香坂は現実を見ろと真摯に突き放す。

「お前が辛いのはわかる。感情を抑えるのが難しい事もわかる。でも、蓮と拓海の前では無理にでも冷静でいろ。それがお前があいつらにしてやれる事だ」

「そんな事言われなくてもわかってる…!」

「わかってねえから言ってんだよ。お前は蓮に幸せになってほしいって言ったよな。その相手が自分じゃなくてもって」

「…言ったけど…」

「相手がろくでもない奴ならわかる。でも、蓮が好きになって、選んだ相手は拓海だ。あいつは間違っても遊びで男とつきあうような奴じゃねえ。蓮に本気なんだよ」

確かに須藤先輩は香坂と違い気分で女性を口説いたりしないだろう。ましてやその相手が男である蓮ならば。
蓮が惹かれるだけあり、誠実で魅力的な人だと思う。

「蓮のためにも、お前は蓮から卒業するんだ。わかるな?」

「……わかって、る…」

香坂の声はあの時と同じように、段々と優しくなってきて、それと同時に俺も香坂の言葉を素直に聞く事ができた。
この声、懐かしい感覚がして、すごく居心地がいい。

「俺はお前が蓮から卒業する手助けをする。そのためにお前と付き合う。俺だって、今まで恋愛をまったくしなかった訳じゃねえからな。話くらいは聞いてやれる。感情を抑えられない時は俺の所に来い。間違っても蓮や拓海に当たんじゃねえぞ」

香坂がまともな恋愛をしてきたのかは疑わしいが、こいつの言葉には重みがあり、俺の中の棘を優しく摘んでくれるようだった。

「…わかった…」

「今日は蓮と拓海、二人きりにさせてやれ。お前には俺がいる…」

さらりと髪を撫でられ、背筋が粟立った。
いつも思うが、俺は学習能力というものが人一倍乏しい。
香坂の優しい声と言葉に騙されていたが、ここはこいつの部屋で、今手を出されても逃げる事はできない。
優しいとは言っても、香坂は香坂だ。その頭が痛くなるような武勇伝を人伝ではあるが、聞いていれば、この先の未来など容易く想像ができる。
目がいつもの甘ったるいものではなく、男のそれになっている。

「お、俺!風呂入ってくる!」

甘くなる雰囲気と香坂から逃げたくて、咄嗟にそんな言葉が出た。

「何だ、お前もその気か。風呂なら大浴場に行かなくてもここにあるしな。気の済むまで入って来い」

墓穴を掘ったと気付いたのは爽やかに微笑まれた後だ。風呂に入るなんて、食べて下さいと言っているようなものだ。
こうなったら、風呂で時間を稼いで…。
しかし、それではどっちみち喰われる。
香坂も風呂に入らせて、その間にゆうき達の部屋へ逃げよう。
もうそれしか俺には手段がない。

「…じゃあ風呂入ってくる…」

「着替えは用意しててやる」

先程までの慈しむような優しい瞳は何処へやら。楽しくて仕方がないと言いたげな香坂に、何か言ってやりたかったが相手を煽るだけだと思い、悔しかったがそのまま風呂へ向かった。

髪も洗い、身体も洗った。
別に、時間をかけて洗ったのは、あいつのためとか、覚悟したとかそういう訳ではなく、少しでも時間を稼ぎたかったからだ。

動揺していると悟られたくなかったが、出て行くのはやはり緊張してしまい、いつもより長く湯船に浸った。
風呂の熱もあっての事か、香坂の顔しか浮かんでこない。
セクハラまがいの事を言ってくる薄く形の良い唇。冷酷そうで、それでもどこか優しげな瞳。無造作にさせている色素の薄い髪と、胸焼けしそうな程低く甘い声。そして、俺が落ち込んだ時に見せてくれる優しい表情。
悔しいが、香坂は男の俺から見ても完璧な容姿をしている。女性に言い寄られるのも大きく納得できる。
その顔がもらえると言うのならば、喜んでもらおう。
長くここにいても碌な事など考えそうもないと思い、湯船から出て香坂が用意した着替えを身に纏った。

「……きっと香坂の物だろうけど、でかいんだよ…」

俺と香坂の身長差は十pはあるだろう。
藍色のパジャマは袖も裾も余ってしょうがない。
同じ男としてこの体格差はどうかと思うが、事実なのだからしょうがない。
俺だって成長期だし、あと一年くらいしたら香坂くらいの身長になっているはずだ。
脱衣所のドアを開け、リビングを抜け、香坂の部屋へ入る。

「出たか…」

「…なんだよ」

「…いや、想像した以上に可愛いなって思ってな」

素っ頓狂な言葉に口がぽっかりと空き、気持ち悪いと悪寒が走る。
きっと視力が著しく低下しているようだ。

「お前、目まとも?腐った?」

「まともだわ。ぶかぶかのパジャマ姿って、男のロマンだろ?しかも、風呂上りだし」

「わっ!」

俺はいきなり腕を引っ張られ、香坂が座っていたベットへ引き寄せられた。
やはりそういう行為をしなくてはいけないのだろうか。
俺に逃げ場はないのか。
少しずつ近付いてくる香坂の甘いマスクに見惚れている場合ではない。

「ちょっ、ちょっと待った!」

「何だよ、ここまで来て止めても、俺は引かねえからな」

「そうじゃねぇよ。その…お前は風呂入んねえの…?」

「…ああ、お前にとってはネコは初めてだもんな…。じゃあ、俺も入って来る」

ほっと胸を撫で下ろした。このままゆうき達の部屋へ逃げれば俺の勝ちだ。

「あ、俺が風呂入ってる間に逃げたら、明日学校で犯すからな」

その一言にさっと血の気が引くのがわかった。
香坂ならば本気でやりかねないと思ったからだ。
学校で襲われ誰かに見られるのと、今決心してここでやられるのどちらを選ぶと問われれば間違いなく今だ。
逃げれば酷い仕打ちが待っている。

『遅かれ早かれどっちみちそういう事になる』

香坂が言ったセリフが頭を過ぎる。
きっと、俺もそうなのだろう。いくら引き伸ばしたところで最終的には組み敷かれる事になるのだろう。
しかし、だからと言って素直に足を開けなどと言われてもできない。
俺は男だし、抱く覚悟ならばいつでもあるが、抱かれるとなれば大問題だ。
男としてのプライドは勿論、恐怖もある。
今までは深く考えずに蓮としてきたが、今になれば蓮の気持ちが痛いほどわかる。
不満は何も言わなかったが、蓮はどんな辛い想いをしながら抱かれていたのだろうか。

俺が男に抱かれる破目になるなんて…。
しかも相手はあの香坂だ。
好きでもない相手と身体を重ねられる程、俺は大人でもないし、そんな大人の事情なら知らずに結構。
好きな相手とだからこそ、快感も気持ちの重みも違ってくる。
何が楽しくて好きでもない相手とそんな行為をしなくてはいけないのだ。
しかも、しつこいようだが男と、だ。

ベットの上に正座して、色々考えている間にドアが開いて、香坂が近付いてきた。

「今時正座で待ってる奴がいるか?お前、本当におもしろいな」

シャンプーのいい匂いが鼻を掠める。
俺も同じ物を使ったはずなのに、香坂から匂うと、何故こんなに色気を感じるのか。

「うるさい…」

「そんなに身体がちがちにしなくても大丈夫だよ。痛くしねえから…」

そう言うと同時に、香坂の唇が俺の唇に触れ、その熱さに眩暈がしそうになった。
やはり、このまま身を任せるしか俺には道がないのだろうか。

好きでもない相手となんて…と、理屈をこねていたくせに、香坂に少しでも触れられれば、触れた部分が熱を持つ。
理性ではなく、本能で生きるのが男なのだと、改めて実感させられる。


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