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「お前、力で俺に敵わねぇのわかってんだろ?暴れんな」

「うるせえ!」

香坂だって高身長で体格もすらりと細身なのに、この差が憎らしい。
結局口でも力でも、敵わないと言われているようで。

「ここが俺の部屋。寂しかったらいつでも来いよ。俺はあんまり部屋にはいねえけどな」

「は?部屋にいないってお前何処住んでんだよ?」

「気になる?」

「いえ、全く…茶飲んだらすぐ帰るからな」

「はいはい…」

香坂が部屋のノブに手をかけ、その扉を開けた瞬間、目の前に広がる光景に、俺は頭が真っ白になっていくのを、冷静に感じていた。

「…れ、ん…?」

そこにはソファでくつろぎながら須藤先輩と対峙して談笑する蓮の姿があった。
しかし、それを理解できるような余裕は今の俺にはない。
現実から逃げるように、持っていた鞄を落としたことなど気にせずに、その場から勢いよく走り出した。

ただひたすらに走った。
何処へ行こうとしているのか、自分でもわからなかったが、今目にした出来事が悪夢でありますようにと願い、その夢から一刻も早く覚めたかった。
息が上がり、流れる汗もそのままに、たどり着いた公園のベンチに腰をかける。
じっとしていればあの光景が影のように張り付いて頭から離れない。
目を開けても閉じても、蓮の幸福を孕んだ笑顔ばかりが浮かぶ。
自分が最後に蓮をあんな風に笑わせたのはいつだっただろうか。思い出せない。

疚しい関係ではないとしても、須藤先輩の部屋へ行く程に親しい間柄だと知らなかった。
隠れるように会わなくてもいいではないか。隠されるから余計に疑ってしまう。
信じていたのに。
俺が嫌がることは決してしなかった蓮なのに、須藤先輩だけはどうしても諦められなかったのだろうか。
それとも――。

「何でだよ、何なんだよ、蓮…」

今は蓮を責めるような感情しか湧いてこない。
そこにあるはずの理由を探す余裕など残っていなかった。


どれ位そうしていたのだろう。
汗が引けばひどく肌寒い。
周りを見渡せば陽は落ち、遊具で遊んでいた子供たちも姿を消していた。
漸く冷静になった頭を回転させれば、最近蓮の様子がおかしかったと思い出す。
きっと、須藤先輩との関係はあの日、俺達の教室に須藤先輩が訪ねて来た時から続いていたのかもしれない。
しかし、蓮は浮気をするような奴じゃない。須藤先輩とも、ただの先輩後輩関係だろう。
弟しかいない蓮にとっては、包容力のある須藤先輩が新鮮で心地良かったのだと思う。
でも、須藤先輩と仲良くすれば俺が嫌がるとわかっていた。だから言い出せなかったんだ。
自分が蓮を追い詰めていた。すとんと心に堕ちてきた答えに目の前が暗転する。
須藤先輩から遠ざけようとして、蓮を縛って、それから逃げ出すように蓮は須藤先輩を頼った。
自分で自分の首を絞めた。
自分に悪い部分があると承知だ。好きだからという幼稚な独占欲で蓮の世界を無理矢理狭めて縛り、まるで自分の所有物のように自由を許さなかった。
蓮だけが悪いわけじゃない。なのに裏切られたような気がしてしまう。
こんなに愛しいと思っているのに、どうにもならないのか。
須藤先輩とも仲良くすればいいと自由を与えれば済む話しだ。
だけど、蓮が須藤先輩に惹かれていく様子を近くで見るのだけは耐えられない。
きっと蓮は須藤先輩に惹かれていくだろう。わかっているからこそ引き剥がしたかった。
俺は一体どうすれば。

「こんなとこにいたのかよ」

聞き慣れた声にがっくりと下ろしていた頭をあげれば、事の元凶の香坂が肩で息をしていた。

「探したぜ」

その言葉通り髪は乱れ、走って来たのだろう、うっすら汗も滲んでいる。
乱れた髪をかきあげるような仕草さえ様になっていると思ってしまうのは弱っているからだろう。
情けない顔を見られたくなくて、上げた視線を再び地面に戻せば隣に香坂が座り、甘い香水の香りが鼻を擽る。

「お前、鞄も持たないで走り出すから持ってきてやった」

言い方は相変わらず偉そうなのに、声はいつもと違って優しかった。

「…頼んでねえよ」

こんな時まで強がる俺に香坂は溜め息を漏らしながら俺の頭に手を乗せた。

「辛い時は辛いって言えよ。我慢なんてすんな。我慢しても、悩んでも何も変わんねんだよ。悩むくらいなら行動しろ。悩むのはその後だ……蓮も拓海もお前のこと心配してる」

香坂の言葉に、じんわりと目頭が熱くなる。涙が溢れそうになり、ぎゅっと瞼を閉じてそれを阻止した。
こんな奴の前で情けなないところなど見せたくないのに、いつもと違う雰囲気と言葉に、迂闊にも誰かが隣にいてくれる事が嬉しくて、安心してしまった。それが例え、天敵の香坂であっても。
香坂も、俺を探して走り回ってくれたのだろう。
いつもは俺を挑発するような事しか言わないくせに、こんな時だけ優しくするなんて反則だ。
涙を必死で堪えている俺に気付いた香坂は、頭に乗せていた手をぐっと自分の方に引き寄せた。
いつもなら抵抗する俺もこの時ばかりは素直に香坂の肩を借りて、色んな感情にぐっと耐えた。

逃げるという行為は、前には進めず同じ所をぐるぐる回り続け、その度に自己嫌悪に陥る最も悪いパターンだと香坂は俺に言った。
全くその通りだと思う。でも、一つ行動を起こすという事は想像もできない程の力が必要だと思う。
そこには恐怖だったり、緊張だったり、悲しみだったり複雑な感情がついてまわる。
それに負けない強さを持たなければ、行動は起こせない。今の俺には起こせない。

「蓮のところに帰るぞ。気の済むまで話し合わなきゃダメだ。今のままじゃダメだって自分でもわかってんだろ?」

「……わかってるけど…」

「お前は覚悟を持って蓮と付き合いだしたんだ。途中でお前だけ蓮から逃げんなよ。どんなときでもあいつに背中は向けんな」

蓮から逃げるな、そう力強く言った言葉には説得力があり、こいつでも辛い恋愛の経験があるのだろうか、なんて思った。

俺は臆病だから、この先どうなるのかすごく恐いが、自らが蓮を傷つけるのだけは嫌だ。
あいつの涙なんて見たくない。
どんな形であれ、蓮を幸せにしてやりたい。

あの場から逃げたという事は、蓮から逃げたという事だ。あの時はそうすることでしか自分を保っていられなかったが、香坂に言われてやっと気付けた。香坂は嫌いだけど、少しだけ、見直したかもしれない。

蓮は今どうしているだろう。
泣いているだろうか。

この気持ちのもやもやから抜け出すだめにも、早く話し合わなければ。

今回だけは腕を引く香坂に嫌がらず、むしろ離してほしくないとまで思えるくらい温かなその腕に縋った。

俺が走り出した後、すぐに蓮は追いかけようとしたようだが、香坂が止めたらしい。
蓮はきっと自分を責め続けているだろう。
蓮の幸せが俺の幸せなんて、カッコイー事は言えないが、蓮にはいつだって笑っていて欲しい。


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