3



停学中も学食だけは普段通り隔離されずに済む。
香坂と夕食を摂り、リビングのソファで伸びた。
香坂はソファを背もたれにしてタブレットに夢中だ。
柴田はまだ帰ってこない。停学の先輩としてアドバイスとか、災難だったなとか、なんかないのか。同室なのに。薄情者め。
情緒不安定で気分が落ちるとずるずるそちらに引き摺られる。
蓮から心配するラインが届いており、適当に返事をしてスマホを放り投げた。
話し合うなら早いほうがいい。こういうのは時間を空けるとぎこちなさに拍車がかかり、また余計な一言を添えてしまう。
じゃあすぐにとならないのは、お互い頭を冷やす時間も必要と思ったから。
あーあ、あーあ、と意味もなく不貞腐れていると、薫が部屋にやってきた。
母から様子を見るようにと命令されてきたのだろう。

「楓ちゃーん、色々買ってきたよ」

「……あざーす」

「腐ってんなー」

ソファにうつ伏せになった頬をつんつん突かれたがもう反応するのも億劫で好きにさせた。

「月島の兄ちゃん停学だって?大変だな、ってみんなに面白がられた」

「すみません…」

「先生にも苦笑いされた」

「まことに申し訳ありません…」

家族にまで迷惑をかける自分はどクズです。好きなだけ罵ってください。

「まあ、そんなことはいいんだけど。怪我しなくてよかったね」

「……お前いい弟だな」

「だから僕はいい弟だってずっと言ってんじゃん」

「腹黒サイコパスとか思っててごめんな」

「そんな風に思ってたの!?お兄ちゃん大好きでかわいい弟なのに!?」

「昔のお兄ちゃん大嫌いなイメージが強くて……」

薫はぶつぶつ文句を言いながらお菓子の箱をぺりっと開けた。
半分開けていた口に棒状のお菓子を突っ込まれ、兎のようにさくさく食べ続けた。

「元気出してね」

「……うん」

「停学の一回、二回、なんてことないって!」

「三回目でアウトですけど」

「じゃあ今後は悪いことするなら先生にバレないようにね」

「やっぱり薫の腹は真っ黒だ」

「賢いと言え」

ああ、そうか。これが賢さか。ならやっぱり自分は賢くなれない。
瞬間湯沸かし器のように怒りに支配されるとそれ以外考えられなくなる。
だからだめなんだ。
またもやネガティブの沼に引き摺り込まれる。
割と自己肯定感の強い人間だったと思う。
善良な人間ではないかもしれないが悪ではないし、まあ、ぼちぼち平均的だろうと。
無駄に自分を卑下しないし、凡庸な人間なりに毎日楽しく生きてきた。
こんなにネガティブに振り切るのは珍しく、加減がわからないし誰かが止めてくれないと腐って溶けてしまいそう。
せっかく香坂がチャージしてくれた元気もすっかり空っぽになってしまった。
乾いた笑いが口から漏れると、薫がゴミを見る目をした。兄に向ってなんだその顔は。
とんとんと扉を叩く音が聞こえ、多分蓮だから薫出てと背中をつつく。
渋々言う通りにした薫は、扉を開けるなり声を尖らせた。

「なんで君が来るのかな?」

「いいだろ別に」

聞こえた声に眉間にぎゅうっと皺が寄る。
もう面倒事はごめんだって言ってんじゃん。なぜこのタイミングで四人揃うのだろう。息ぴったりか。
スライム状態でいるわけにもいかず、のっそりと身体を起こした。
ビニール袋を片手にした弟君によ、と右手を挙げる。

「色々買ってきた」

さっきも聞いた言葉。弟君と薫はなんだかんだ、思考が似ている。だからばったり出くわし喧嘩が勃発する。

「京ー、お茶買ってきて」

「袋に入ってる」

香坂はごそごそ袋をあさり、弟君に礼もなく飲み始めた。
兄弟仲は相変わらずのようで、だけど自分のせいで変に拗れることもなく、通常運転のようで安心した。
元々仲が良かったわけでも悪かったわけでもないと香坂は言っていた。
程よい距離感が香坂兄弟のあり方らしい。
自分を間に挟んで流血沙汰なんて絶対ごめんなので、香坂兄弟が元通りに収まってくれて本当によかった。

「用が済んだら帰ってくれないかな」

「そうするつもりだったけどお前に言われると腹立つ」

頭上で始まった弟たちの喧嘩に、こんなのも慣れっこですと思いながら一応やめなさいと仲裁に入る。

「せっかく心配してくれた弟君に失礼だろ」

「失礼じゃない。こいつが勝手にしたことだし」

「人の厚意をそんなふうに言ったらだめだぞ」

「厚意?姦計の間違いでしょ」

薫がばっさり言うと、香坂がふふっと笑った。

「楓ちゃんにいいとこ見せようとしても無駄。ふられたくせに未練がましい…」

「薫!なんでお前はそう口が悪いんだよ!」

「事実じゃん!」

呆れた溜め息を吐き、弟君にごめんなと謝った。
薫の弟君への辛辣さにはほとほと呆れる。弟君の同室者としての心労を想像すると、薫の代わりに毎日でも謝罪したいくらいだ。

「いいよ。慣れてるから」

「う…こんなことに慣れさせてすまん…」

「楓ちゃんが謝ることないですし。僕だってさんざん噛み付かれてるしおあいこだよ」

よく回る舌だなあと感心している場合ではない。
薫の頬を両端に引っ張ってやった。

「痛い!」

「弟君の心はもっと痛いんだぞ」

「あの顔が痛がってるように見える!?」

びしっと指さされそちらを見ると、弟君は白っとしながらスマホを眺めていた。
お互い気に入らないのだろうから、そんな人間からいくら文句を言われても効かないのだろう。
気にしてなさそうなのがせめてもの救いだ。
薫が誰かに対してこんなに感情的になるのは珍しい。
誰も好きにならず、嫌いにもならず、蟻の行進を眺めるように人間観察をし、自分と他を完全に隔てて考えるからだ。
対外的な弟は控えめな笑顔を絶やさず、誰の印象にも残らないよう努めている。
踏み込まれそうになると一歩引き、一定の距離を保ったまま歪に構築された人間関係。
誰とも深く繋がろうとせず、輪の端っこで適切な態度や言動を頭にインプットし、場面場面で使い分ける。
そういう薫を見るたび、兄として少しずつ心が心配に傾いていく。
一生このままだったらどうしよう。土台から月島薫をぶっ壊してくれる人がいたらいいのに。
常にそう思っていたので、弟君への態度が悪いのは申し訳ないが、人間らしい面を見れて少し安心している。

「おーい、楓聞いてる?」

横から香坂に腕を引かれはっと顔を上げた。

「あ、悪い。なに?」

「停学終わったらどっか遊びに行こう」

「行く!」

「俺もそろそろ遊んでられなくなるし」

「おお、受験生っぽい」

「ぽいじゃねえよ。受験生なの」

「それにしては本腰入れんの遅いじゃん」

「入れればどこでもいいと思ってたのに、親父が提示した大学じゃないと一人暮らしさせないって言われた」

「一人暮らしすんの?」

「そりゃそうだ」

実家から十分通えるだろうに、わざわざ苦労して一人で暮らすなんて。
自分なら実家にしがみ付くというのに、香坂の考えていることはいまいちわからない。

「あんな大きい家があんのに」

「一人暮らししないとすけべなことできないじゃん」

耳元で言われ、思い切り突き飛ばした。

「僕たちの前でそういうのやめてもらえます?」

薫も弟君も呆れた視線をこちらに向け、違うと首を左右に振った。

「お、俺は別にそんなの思ってない!」

「またまたー」

「余計なこと言うな!」

香坂をぐいぐい押しやると、バカが二人、と薫が呟いた。
違う。一緒にしないでほしい。馬鹿は香坂だけで自分は多少ましな部類だ。
面白がって近付いてくる香坂と攻防を繰り広げていると、薫が手をぱんと叩いた。

「で、どこ行きます?」

なんでお前も一緒に行く話になってんだ。究極のインドア派のくせに。
香坂はいつも薫も一緒に行こうと誘うものだから、当然自分も頭数に含まれていると勘違いしたではないか。

「薫はどこ行きたい?」

香坂が言い、勘違いしていたのは自分のほうだと気付く。
だって普通恋人に誘われたら二人きりだと思う。
これから簡単に遊べなくなると宣言されたあとなら尚更。
少しの悔しさは、大人数のほうが楽しいはずと高揚する気持ちで抑えつけた。
そもそも香坂は薫に甘い。
自分の弟があんな様子だから、兄に素直に甘える薫を見ると構い倒したくなるらしい。
弟君が薫へきつく当たるのは、お兄ちゃんをとられた嫉妬も混じっているのでは。なんて、邪推すぎるだろうか。

「…僕は、動物園に行きたい…」

小さく恥じらうように薫が言うと、香坂はそっかそっかと長い腕を伸ばして頭を撫でた。

「じゃあ動物園にするか」

「ちょっと待て。なんでこいつが決めんだよ」

弟君がすかさず制止し、君も行くつもりなのかと頭が痛くなる。

「じゃあ京はどこがいいんだよ」

「どこでもいい」

「なら動物園でもいいだろ」

「それ以外!」

「じゃあ遊園地?」

香坂は小さい子どもをあやすような口調で、馬鹿にしたように笑った。
それが弟たちには伝わらず、動物園がいい、遊園地のほうがましとまた喧嘩が始まった。
仲が悪いくせに一緒に行動しないという根本的な思考はないのか。
このままでは一生決まらなさそうなので、遊園地に一票と挙手をした。

「なんで!動物園のほうが楽しい!」

「だってお前動物園行くと帰らないって駄々こねるじゃん」

「それ幼稚園のときの話じゃん!」

「今も変わんねえだろ」

「変わる!」

「とにかく俺の停学明け祝いだから遊園地に決定」

「なんだその祝いは…」

「ご褒美あったほうががんばれるってもんだろ」

「お前本当に反省してる?」

「してる!」

とにかく決まりと手を叩き、解散と弟二人を部屋から追い出した。
疲れたとぼやき、ソファに座る香坂に膝枕を強請った。

「二人で遊ぶと思ったのに」

小さく拗ねると頭をぐしゃぐしゃにされた。

「それはまた今度。あいつらなりに元気出してほしいんだよ」

「そんな様子ありませんでしたけどねえ…」

「薫はお兄ちゃん大好きだし、京も楓大好きだし」

「だからって一日中喧嘩されるとか俺無理」

「大丈夫だって」

「本当かよ……」

浅く溜め息を吐き、お兄ちゃんは苦労するなあとしみじみ思う。
香坂も一応立場的にはお兄ちゃんなのに、弟たちの喧嘩を面白がって眺めるだけなのでなんの役にも立たない。
いつも自分一人で仲裁して、二人のご機嫌を窺って、損ばかりだ。

「賑やかなのも悪くないだろ?楓そういうの好きだし」

「……まあ」

「いくらでも人参垂らしてやるから寮から抜けだしたりすんなよ」

「しねえよ」

そこまで馬鹿じゃないと胸を張りたくなったが、以前の自分なら一週間も部屋にこもるなんて耐えられないと、三日で音を上げていただろう。
少しは大人になったのでは?
自分を褒めながら、周りにこれ以上迷惑と心配を掛けぬよう、やるべきことをしっかりやろう。
さらり、さらりと頭を撫でられ明日こそちゃんとしようと決めた。

[ 121/152 ]

[*prev] [next#]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -