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開け放たれた扉をノックし、香坂がベッド端に腰を下ろした。
「なにしょぼくれてんの」
「……俺、馬鹿なのかなって思って」
「馬鹿だろ?」
「馬鹿だけど!」
景吾と喧嘩することはしょっちゅうで、だけどここまでひどいのは珍しくて。
抱き締めた膝をぎゅうっと包むと、なにがあったんだよと頭を撫でられ、感情の水位が急激に上昇していく。
怒り、不安、申し訳なさ、負の感情がごちゃまぜになり、考えること自体を放棄したくなる。
膝に額をくっつけ、ぽつり、ぽつりと経緯を話した。
「……ふーん」
香坂は簡単な相槌を打っただけでそれ以上口を開かない。
突き放されたような感覚に怖くなって顔を上げた。
「それだけ?」
「それだけって言われても…」
「もっとこう、お前は馬鹿だとか、くだらねえことで喧嘩すんなとかあるじゃん」
「くだらないかどうかはお前ら次第だろ」
「……そうだけど」
「喧嘩した理由より、これからどうするかじゃねえの」
「……仲直りしなさいって言われた」
教頭にも、母親にも。
勿論自分もそれが一番だとわかっている。
自分が悪かった部分はたくさんあって、意見の相違とは別問題で謝るべきだ。
なのに近しい人間だと途端に謝罪が怖くなる。
「仲直りしたいの?」
「そりゃ、したいけど」
「じゃあすればいい」
「簡単に言うなよ」
「大丈夫だよ、お前らは」
ぐしゃぐしゃと頭を撫でられやめろと手を振り払った。
「香坂は俺が悪かったと思う?」
「…さあな。お前は?」
「俺は……悪かったとこもあると思う。景吾が言うようにすぐかっとなるのはよくないし、でもゆうきを突き放すみたいな言い方するから…」
「うん」
「景吾がすごく冷たく感じた」
「……思ってた反応と違った?」
「…うん」
「期待を裏切られたからって本人に当たるのはよくない。景吾には景吾の考えがある。でも楓には楓の感情もある。だから喧嘩になるんだよな」
「うん」
「じゃあ話せばいい。意見を無理に合わせる必要はないけど、お互いの気持ちを相手に伝える努力はしたほうがいいと思うぞ」
意見が食い違ったままなら気持ちを伝える意味なんてあるのだろうか。
結局押し付けになって、理解できないままうんざりして終わる気がする。
くだらない理由ならよかった。
俺のお菓子食ったとか、最後の日替わり定食をとったとか、そういう日常に溢れているような。
ゆうきに関わることでお互いが折れるとは思えない。
折れなければ一生わかりあえない。
そうなったらゆうきが気に病む。
蓮や秀吉にも気を遣わせる。
なら折れたふりをしようか。
そんな器用な人間じゃない。
じゃあとうしたらいいのだろう。
思考がループし、大きく溜め息を吐いた。
香坂はくっと笑い、なにがおかしいんだと睥睨した。
「いや、景吾もひどい有様だったなと思って」
「…景吾も?」
「麻生と秀吉二人がかりで宥めてた。楓はなにもわかってない、俺だって足りない頭で考えてるのに、って。結局お前らは互いにわかってほしいんだろ」
「……わかってほしい?」
「そ、自分の気持ちをわかってほしい、どうしてわかってくれないんだって。だから話し合えって言ってんの」
「うん…」
「今すぐとは言わない。停学終わるまでに決着つけろ。その頃にはゆうきも戻ってくるだろ」
はっと顔を上げた。
自分たちの喧嘩なんて最悪どうでもいい。今はゆうきのほうが大事だ。
「ゆうきは!?どこ行ったんだ!?」
「ゆうきは仁と一緒。仁がついてるから大丈夫」
「やっぱりゆうきのことだったんだ…」
「そうだろうな。心配すんな。仁が上手くやる」
「…うん」
なんだか疲れて背中をベッドに預けた。
天井を見上げ、あっちこっちに走り回るちぐはぐな感情や思考を一つに纏めなければと思う。
思うのに身体も心も上手に動かせない。
「楓」
腕を掴まれ力ずくで身体を起こされた。
香坂に跨るように座らされ、背中が反るほどきつく抱きしめられた。
痛いとか苦しいとかいつもの文句は声にならず、自分も彼の首に腕を回した。
なにも言わずとも、こうしてくれるだけで随分励まされる。
心が徐々に凪いでいく。
甘やかしてくれる存在がいることのありがたみを感じた。
問題の是非とはべっこの部分で、どう転がってもそばにいるよと伝えてくれる。
こうされるたび、しっかりしなきゃと思うのだ。
「元気になった?」
「なった」
「落ち込んでる楓もいいけど、お前は馬鹿みたいに笑ってるほうが似合ってるよ」
「はいはい、馬鹿ですみませんねえ」
「馬鹿だからかわいいんだろ」
「馬鹿がかわいい?」
ぎょっとしてお前頭大丈夫かと顔を覗き込んだ。
「いつも何にでも全力疾走。ブレーキとか徐行とかないだろ?困るときもあるけど、裏表がない、そういうところがかわいいよ」
「…今はいいけど大人になってもそうだったらやばい」
「それはおいおいの課題。楓がさっさと大人になったら寂しいじゃん」
「なんかすごくディスられてる気がする…」
「そんなことないって」
すりっと頬を指の背で撫でられ、そうかなあ?と首を傾げた。
その様子を見て笑われたので、やっぱり悪意があるのだと思う。
でもどこら辺が悪意なのかもわからない。
やっぱり自分は馬鹿だ。
「賢くなりたい…」
「お、薫二号か」
「俺のほうがお兄ちゃんだから!」
「楓が賢くなるなんて一生なさそうだな」
「なる!俺は賢くなる!」
一生懸命言い募っても、香坂ははいはい、と流すだけで真剣に受け取ってくれない。
どいつもこいつも馬鹿にして。
両親も、弟も、恋人も、友人も、みんな楓はしょうがないなあと苦笑いする。
もっと頼りがいのある男になりたいのに目標は日々遠のいてしまう。
「あー、もうやだ。色々やだ。人生やり直したい。薫みたいにちゃんと勉強してちゃんとした人間になりたい」
「それはだめだ」
「なんで」
「賢かったら俺とはつきあわない」
「じゃあ香坂も馬鹿ってことじゃん」
「そうだよ」
香坂はあっさり認め、変なのと笑うと片頬を包まれた。
触れるだけの口付けをされ、虚をつかれぽかんとした。
「そうやって笑ってればどうにかなるから」
「景吾のことも?」
「景吾のことも。考えるの下手なんだから無理に考えようとすんな」
「でもそれがだめだって言われたし」
「俺は楓の長所だと思う」
「甘やかすともっとだめな人間になる」
「恋人は甘やかすのが仕事だろ。それ以外は親とか友達に任せる」
あまりにも乱暴な意見にふっと笑った。
綺麗な形の頭を抱きしめ、そうだなと頷く。
じゃあ香坂がへこむことがあったら、今度は自分が揺り籠に入れて大丈夫、大丈夫と言い続けよう。
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