11


「なにやってんだ」

腕を力一杯握りながら、香坂は片手で髪をかき上げた。上から自分たちに冷酷な視線をぶつける。

「あ、の…」

あまりにも強い光りに咄嗟に言葉が出ずに息を呑む。
今まで香坂が怒った場面は嫌というほど見てきた。喧嘩だって何度もしてきた。
けれどいつだって彼は冷静で、簡単に掌で転がしてきた。
そんな香坂のこんな表情は見たことがなくて、何をどうしていいのかわからないまま、香坂を見詰め返すしかできない。
反対の腕は弟君にしっかりと握られていて、その場から逃げ出せない。

「今更この人に何の用だよ」

言葉が出ない代わりに口を開いたのは弟君で、挑発的な口調で香坂を睥睨している。

「俺は楓に聞いてんだよ。お前は引っ込んでろ」

「兄貴こそ、泣かせた挙句にのこのこ出てきてんじゃねえよ」

「何回も同じこと言わせんな。面倒だから部屋に戻れ」

「兄貴が戻れよ」

「手前…」

「ちょっと待った!」

二人のやり取りを半ば自失しながら見ていたが、動揺している場合ではない。
自分がしっかりしなくては。
こんな寮の廊下で兄弟喧嘩が始まったらとんでもないことになる。
今だって擦れ違う人たちが訝しげな瞳でこちらをちらちらと見ている。
東城では有名すぎるほどの兄弟だ。そんな二人が自分を挟んで兄弟喧嘩など、明日のゴシップが決まってしまう。

「とりあえず部屋に…」

部屋の鍵を開け無理矢理二人を押し込んだ。
二人は睨み合ったまま、眉間の皺を深くしている。
どうにかしなければいけないと思いながら、できの悪いでは何が得策なのか瞬時に見つけられない。
うまく二人の喧嘩を止めなければいけないのに。

「え、っと。あの、俺は大丈夫だから。その…」

「楓は黙ってろ。京と話してんだよ」

「…はい」

取り繕うと思ったが、香坂に一蹴されてしまい黙り込んだ。

「京、お前が遊び感覚で楓に近づいてんなら何の文句もない。好きにすればいい。けど今のはやり過ぎだ。そこまでは許した覚えはない」

「遊びでこの人にかまってる兄貴が言う言葉じゃない。泣かせた挙句に所有物扱いかよ」

「楓は俺のだ」

「そんなの兄貴のエゴだろ。遊びで相手するような兄貴より、俺にした方が絶対に幸せに決まってる」

熱烈な告白に眩暈がしそうだ。そんな風に思ってくれるのは嬉しいが、香坂を好きでいる限り無理で、眩暈と共に罪悪感が押し寄せるのだ。

「なら、俺が楓だけならいいんだな?」

「そんなの無理だろ。兄貴の恋愛の仕方なんて俺が一番よくわかってる。誰か一人になんて絞ったためしねえだろ」

「前の俺ならな。けど楓は特別だ。お前の出る幕はない」

頭上で繰り広げられる攻防戦に、息を呑んで見守った。
当事者の自分を置いてけぼりにして、話がどんどん進んでいくから頭も心もついていかない。
口を出したいところだが、黙ってろとまた一蹴されるだろう。
ただ、殴り合いの喧嘩にはなりませんようにと、それだけを願う。

「俺はまだこの人を諦めてない。兄貴の言葉も信じられない」

「楓のことが好きなら楓がどう思ってるかわかんだろ。玩具ならな、お前にあげられるけど楓はそうじゃない」

「わかってる。わかってるから俺にしろって言ってんだよ」

香坂も、弟君も息を呑むほどの美形で、男の自分からしてみても羨ましい限りだ。
そしてそんな二人の間に挟まれ取り合いにされるのは至極幸せなことだと思う。女ならば。
しかし自分はこんな風に取り合いをされても溜め息が零れるだけだ。
何故女に生まれなかったのだろうかと、今更なことを考えたりした。

「…楓、お前の意見を言え」

「え…」

「あんたが選べば解決する」

突然答えをせがまれ、顔が強張った。
自分が好きなのは香坂だけで。あんな風な扱いをされても、今までの二人の歴史もあって、忘れられない思い出も沢山ある。
男でも愛せたのは香坂だからで。顔が似ている弟君で代わりになるとか、そういう問題じゃない。
でもその答えを言ったら弟君を傷つける。
人を傷つけることから目を背ける自分はとても弱い人間だと思う。
強い人間なら、こんな状況に置かれてもきちんと自分の意見を言えるだろう。

「えっと…」

「まさか京に心移りしたなんて言わねえよな」

「俺の方がいいってわかってきただろ?」

ぎゅっと瞳を瞑り、どんな言葉なら傷つけずに済むか考えた。
しかし考えても考えても答えなど見付からない。選べと言われれば香坂という答えしか自分の中には存在しない。
長い沈黙の後、小さく深呼吸し、弟君と対峙した。
その瞳は何かを訴えているようで、それを見れば罪悪感を感じるが、いつまでも逃げられない。
自分の曖昧さが招いた結果なのだから、その罪は自分が背負うべきだ。

「…俺は、男なら誰でもいいわけじゃないんだ。女の子が好きだし。でも香坂のことは好きになったんだ。その気持ちは今も変わらない…」

「…泣かされても、大事にされなくても兄貴の方がいいのか?」

「…喧嘩するときもあるけど、俺はやっぱり香坂じゃなきゃだめなんだ。ごめん…」

弟君に向かって頭を下げた。
何の反応もないから、怖くて顔を上げられなかったが、暫くして小さな溜め息が聞こえた。

「…それが、あんたの答えなんだな」

「…本当にごめん」

「…わかった。だらだらとしがみ付いたりしねえよ。あんたがそう思うなら仕方がない」

俯きながら弟君に視線を上げれば、眉間に寄った皺を摘みながら俯いていた。
やはり、傷つけてしまった。こうなると最初からわかっていたし、何度も空想の中で再現してみせたけど、やはり実物を目の前にすると心が絞られたように痛む。

「けどな兄貴!この人大事にしてないって思ったら俺がもらうから」

「そんな日は来ねえから安心しろ」

「兄貴じゃ安心できねえよ。油断してたら横からとるからな」

「はいはい、わかりました」

最後に兄弟でそんな会話を交わし、弟君は部屋から去って行った。
終わった。これで終わったのだと思うと脱力した。
これで兄弟の間に挟まれずに済む。何にも悩まずにいられる。
今までの苦労を思い出し、長い溜め息が零れた。

「やっぱり俺の方がいいだろ?あんなガキより」

いや、元はと言えば俺の心労の根源はこの男だ。この男がはっきりと宣言してくれていれば、こんな事態にはならなかった。
恨みや怒りが込み上げ、一発殴ってやろうかと思ったが、顔を殴った日には何をされるかわかったものではないので握った拳は振り上げなかった。

「俺、怒ってんだけど」

「…さっきは悪かった」

「それもだけど!俺がどんだけ大変だったか。どんだけ悩んだか…」

「…それも悪かった。お前がそんなに悩んでるとは思わなかった。京もいつもの癖が出ただけだと思ってた。けど、今回は違ったんだな。あいつも大人になったってことかな…」

「ことかなじゃねえよ!お前が弟で遊ぼうなんて思わなければ俺はっ…!」

「だから悪かったって」

「しかも悩んでる俺にお前あんな…」

先ほどの喧嘩の内容を思い出し、また涙ぐみそうになる。
自分を安っぽい男だと、香坂はそんな風に思っているのだろうか。抱けば何もかも忘れられると、そんな単純だと。

「お前が悩むと一人で抱え込む癖を持ってるのはわかってる。気が晴れるかと思ったんだよ。悪気はなかったんだ」

「だからって…」

香坂も悪気があってあんな扱いしたわけではないと理解している。
遊び相手と同等には考えていないし、大事にされているとわかっている。
しかし、責める言葉を止められなかった。

「京とお前のいざこざがあって俺もお前に触れてなかったし、俺がお前を抱きたかったんだよ」

後ろから耳元でそんなセリフを囁かれ、一瞬で顔が真っ赤になった。
我ながら処女のような反応に呆れるが、甘い声で言われたのでは仕方がない。
香坂のジゴロ的なものは今まで散々目にしてきたのだし、いい加減慣れろと思うのだが、毎回素直に反応してしまう自分が情けない。

「そういう反応が俺的にはたまんねえんだけど」

後ろから抱きしめられ、回された腕に手を添えた。
何もかも解決したと思っていいだろうか。これから弟君と顔を合わせる機会は何度もあると思うし、問題はまだ残っているかもしれないが、今は香坂の体温に心を委ねたかった。
今までのような平穏な日常が戻ってくるのだ。
馬鹿騒ぎして、時には喧嘩をして、それでも愛し合える毎日が戻ってくるのだと思うと、平穏で普通のありがたみが身にしみる。

「…もう二度と俺で遊ぼうと思うなよ」

「ああ、これからは誰かがお前を好きなんて言おうものならぶっとばす」

「…できれば平和的解決を…」

「なんで。それが一番早いだろ」

「…ああ、そ」

呆れたように言いながら長く息を吐いた。
顎に手を添えられ、後ろを向かされるようにされると優しい口付けが降ってきた。

「もうトラブルは嫌だ。普通でいたい」

「…ああ、そうだな」

回された腕が力強くなり、首筋にキスをされる。

「楓、本当に好きだから…」

その一言で今までの苦労を水に流してもいいかと思えてしまう。
安っぽい男になんてなりたくないと思っているのに、言葉一つで許してしまうほど香坂に甘く、そして安っぽい。
しかしそんな自分も悪くないと思うし、今だけの衝動だとしても香坂がそう思ってくれるなら、それでいいのかもしれないと思う。

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