9


翌日は珍しく朝早くに目を覚ました。休日ともなれば昼近くまで眠っている自分が、何故が熟睡できずにベットの上でごろごろと寝返りを打っては昨日の弟君の顔を思い出す。
人を傷つけるのは慣れていない。慣れたくもないし、自分の一挙手一投足で他人の心がぶれるようなことは避けてきた。
それは恋人しかり、友人しかり。
それでも今自分は確実に弟君を悩ませ、悲しませ、絶望の淵に立たせている張本人だ。
昨晩から柴田の顔は見えない。また、どこぞに泊まりに行っているのだろうと然程気にもせず、一人を満喫していた。

昼頃になりようやくベットから重い腰を上げ、リビングに移動した。
マグカップに温かいコーヒーを淹れ、適当にテレビをつけ、ソファの上三角座りをしながらテレビから流れる音声を心ここにあらずの状態で呆然と眺めた。
扉をノックする音が室内に響き、応対するためにのそのそと扉まで歩く。
扉を開けば、コンビニ袋を手に下げた秀吉の姿があり、変わらないその笑顔を見ると何故かほっとした。

「秀吉…」

「お邪魔してもええ?」

「ああ」

誰かに縋りたい気分だった。
そんな時に空気を読み、タイミングよく顔を出してくれる秀吉は、何を言われてもどんなにいじられても皆のお兄さん的ポジションに変わりない。
頼りになる存在がいてくれることをとてもありがたく思う。
ソファに着いた秀吉は、柴田はいないんだなと独り言のように呟き、コンビニの袋から飲み物やらお菓子やらを取り出しテーブルの上に並べた。

「好きなの食べやー」

「おう、サンキュ」

秀吉の隣に自分も腰を下ろし、飲みかけだったコーヒーを一気に胃袋に押し込んだ。

「なんや、元気ないんとちゃう?気になって顔見に来たんやけど」

本当に秀吉は人が弱っている時には力を発揮してくれる人だと思う。
こちらがなにも言わずとも、少し離れた場所で適切なタイミングで適切なものをさっと出してくれる。
厚かましくならないようにそうっと、そうっと。
そんな人と友人でいられる自分は幸せ者だ。縁があってこうしていられるのだが、自分に誇れるものがあるとすれば友人達であると胸を張って言える。

「弟君と何かあったん?」

両手で包み込むように持っていたカップに視線を落とした。
どう説明すればいいのだろうかと悩む。

「秀吉はさ、人傷つけるのとか嫌だよな…」

「そら、人間誰でもそうや」

「だよなー」

優しい秀吉ならば尚更だと思う。
しかし、秀吉はその容姿と頭脳を持って近隣の女生徒にも非常に人気があるらしい。
告白をされ、断っている姿を何度か目にしたし、その度に秀吉が苦笑しながらおどけていたのも知っている。

「秀吉はさあ、なんだかんだでモテるじゃん」

「さあな。モテとるんかは知らんけど」

「でもさ、神谷先輩がいるしさ、断る時とか辛くね?」

「そらな。何を気に入ったかは知らんけど、好きやって言ってくれる人の気持ちを壊してしまうしな」

「告られたりするのって羨ましいなーって今まで思ってたけど、そうでもねえんだな。モテる奴はモテる奴で色々大変なんだな」

「かもしれんな」

秀吉の優しげな眼差しに促され昨日あった出来事と、自分が自責の念にかられていることを話した。
途切れ途切れで、上手く伝わらなかったかもしれないが、それでも秀吉は根気強く言葉を待ってくれた。
秀吉だからこんなことも話せる。他の人には話せない。
一人で抱え込むような悩みも、秀吉は優しく心を解しながら聞いてくれる。
そして捌け口になってくれる。

「…お前が香坂先輩を好きな限りはしゃーない問題なんやで?お前が悪いわけとちゃう。誰でも辛い片想いはするもんや。弟君の場合は自分の兄貴の恋人やから、面倒になっとるけど、楓がそんな悩む必要はないよ」

秀吉はそう言ってくれるが、とてもそんな気にはなれない。
自分の存在が誰かを傷つけ、辛くさせているのならば改めたいと思うし、できるなら傷つけずに終わらせたい。
複雑に絡み合った糸は解し方もわからない上に、解すのに相当な時間と労力を必要としそうだ。

「神谷先輩やって、ずっと香坂先輩に片想いしとったやろ?せやけど、香坂先輩が楓を好きになっても恨み事一つ言わん。神谷先輩も辛かったと思う。でも、今は俺を好きでいてくれる。片想いが一生続くわけやないし、弟君も他の人を想う日が来るよ」

「…それはいつぐらいになるんだろ。そうなってくれればいいと思うけどさ」

溜め息交じりに言えば、秀吉はぽんと頭を撫で、柔らかく微笑んだ。

「大丈夫や。失恋なんて人生何度でもあるもんやし、失恋も大事な勉強やろ?」

「…そう、だけど」

「両想いになれる確率の方が低いんやから…」

秀吉の言っている意味はわかる。
こんなにも人が多い世の中で、相思相愛になれるのは奇跡に近い。それが男同士ならば尚更。
だから、わかっている。わかっている。頭の中では。
香坂が好きな自分がいる以上、弟君の恋は叶わず玉砕しかない。
わかってはいても気持ちがついてこない。
このやるせなさと憤りは何処へぶつければいいのだろうか。
瞳を閉じる度に、弟君の傷ついた表情が脳裏を過ぎる。
どうするのが一番最善の答えなのか見つけられずにいる。



それからの自分といえば、弟君からのメールには返答せず、電話にも出なかった。
中途半端が彼にとって一番辛いと思うから、それならば徹底的に避けようと思い至った。
それが浅はかな答えで、あまりに馬鹿げている。でも今の自分にはそれしかなかった。
部屋へ来てもらっても、弟君だと認識すれば応対しなかったし、友人には来る前に連絡をよこすようにとお願いをした。
益々傷つけているのかもしれない。
けれどもわかってもらわなければいけない。
自分には香坂しかいなくて、他の誰かを好きになる隙間など残っていないこと。
男で好きになるのは香坂で最後だということ。
わかってもらうにはこれしかできない。
もっと頭が良かったら、薫のように物事を合理的に考えられて、知恵が回ったのならば、答えは違っていたかもしれない。

「あーあ、俺って本当に馬鹿」

そんな独り言ばかりを最近口走っているような気がする。
ベットの上に寝転びながら携帯を開いた。
着信ありの文字に、誰かは予想しつつも確認すれば、やはり弟君からで。
ただ一時の気の迷いだと信じたかった。
香坂に対する対抗心からきているもので、本気で好きではないのだと思いたかった。

自分を好きになる理由だって思いつかない。
長く話したわけでもなければ、彼が自分の何を知っているかと問われれば、返答できない、そんな浅い関係だ。
だから間違いでありますようにと神様に願うのだ。それがどんなに卑怯で、ただ自分で作った逃げ道だとしても。
携帯を手の中で弄んでいると、着信音が鳴った。
一瞬どきりと胸が痛んだが、それは弟君からではなく、実の弟である薫からのものだった。
通話ボタンを押し、はいと短く返答する。
すると、ハスキーで少し甲高い薫の声が耳に届く。

『楓ちゃん?僕だけど、今部屋行っても大丈夫?』

「いいけど」

『じゃあ今から行くからよろしくー』

短く返事をした。柴田は自室にいるし、何も問題はない。
あまり、誰かと楽しく談笑できるような状況ではないが、弟が用事があるというのならそれに乗ってやるのが兄貴の努めだ。
薫がこんな風に部屋を訪ねるのはとても珍しいし、何か急用かもしれない。
リビングで薫が来るのを待っていれば、程無くしてノックと共に扉が開いた。
薫はにこりと笑みを作り、久しぶりだねと他愛のない言葉をくれる。
自室に薫を招き入れれば、部屋を見渡しながらベットの上に着いた。

「いいねー。二年の部屋は一人部屋があってさー」

「その苦労を俺は中学からしてたんだよ。お前なんて一年我慢するだけだろ」

「その我慢がなかなか難しくてね」

お茶が入ったペットボトルを渡しながら、自分は勉強机の椅子に着いた。
薫は流し目でこちらを見ながら何か言いたげにしている。
きっと弟君とのいざこざを愚痴りにでも来たのだろうと、大方予想はしていたが。

「…最近あいつ元気ないんだよねー。部屋でも鬱陶しい空気纏っててすごくイラつく」

「…そうか」

弟君が憔悴している原因は自分にあるとわかっているが、他の人からそう言われれば益々胸が痛む。

「前はあんなに僕に絡んできたのに最近はさっぱり。ずっと溜め息つきながら携帯とか見て鬱陶しくてしょうがないよ」

薫は後背に手をつきながら天井を見上げて言った。

「勿論何があったのなんて聞かないけど。楓ちゃんが関わってんでしょ?」

何故そういう部分は鋭いのだろうか、この弟は。
昔からそうだった。頭の回転が早く、尚且つ他人への観察力はあっぱれとしか言いようがない。

「…まあ、そうかな」

弟に嘘をついても仕方がないし、自分が悪いのだから潔く認める選択をした。

「やっぱり。楓ちゃんも大変だね。あんなんに付き纏われたら僕なら一発どころじゃなく殴るわ」

冗談交じりに言われ、これでも薫なりに励ましてくれているのだと感じる。
似てない似てないと散々言われる兄弟ではあるが、意思の疎通くらいはできる。

「…別に楓ちゃんのせいとかじゃないんだしさ。楓ちゃんがそんな顔しなくてもいいと思うよ。あいつが勝手に付き纏ってるだけだろうし。ってか僕の楓ちゃんに付き纏ってる時点で殴ってやりたいけど」

何も言い返せずに俯けば、薫は自分の顔を覗き込み目を瞬かせた。

「楓ちゃんが困ってるなら僕からも言っとくから、だからそんな顔しないで」

「気遣わせて悪いな。俺は平気だから」

「別に、兄弟じゃん。それに、楓ちゃんには香坂先輩がいること忘れないで。じゃ、僕はお暇するけど、あいつが何かしてきたら言ってよ。二、三発はいっとくから」

「ああ」

薫の冗談に素直に笑えた自分がいてほっとした。

薫が言う通り、香坂がいる。
でも今の気持ちは香坂とは関係なくて。
最初からはっきりと彼を拒絶しなかった自分の甘さのせいで、彼をもっと深く傷つけている。
自分できちんと反省しなければ。香坂にも弟君にも関係ない。
自分の罪だと思う。

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