8


自室に到着すると柴田の憎い顔が瞳に映り、拳をぎゅっと握った。

「おう、ご帰還か?」

「何でいんだよお前」

「俺の部屋なんだから俺がいてもいいだろ」

ああ、本当に部屋割りを変えてもらえないだろうか。木内先輩に頭を下げて変わるのならば何度でも下げよう。恥じも体裁もすべて投げ捨てて。
しかしこの部屋割りは木内先輩や香坂が企んで決定したのであり、何を言っても却下されるのがおちだ。
溜め息を百回くらいつきたい気分だ。
弟君に振り回され、やっと安楽の地に辿り着いたと思えば今度は天敵の柴田だ。
いつも自由奔放に部屋へ戻ったり何処かに泊まったりしているくせに、機嫌が悪い日に限って部屋にいるのだから余計に腹立つ。
こういうときは関わらないのが一番だと、自室へ入ろうとした瞬間、鞄の中の携帯が鳴った。画面を開けば香坂から。

「なんすか…」

『京とはどうだった?楽しかったか?』

「喧嘩売ってんのか」

『話が聞きたいから部屋来い。じゃあな』

ぶつりと切れた電話を見て、自分は俺様な人たちに囲まれ、振り回される運命なのだろうかと自分を呪った。
苦労性の人間は確かに存在するとは思うが、まさに自分がその部類に入るのではないかと嫌な寒気がする。
折角戻ってきたのに、溜め息を友達に香坂の部屋へと向かった。

ノックもなしに部屋を開ければ、香坂は優雅に映画を鑑賞中だったようで、ソファに傲慢な姿で着いている。
足を組み、ソファの背凭れに両手を投げ出す、そんな姿がさまになるから余計に腹が立つ。

「よお、早かったな」

早くしなければ文句を言われると知っているから早足できたのだ。言い返せはしないが。

「座れよ」

ぽんと香坂の隣のソファを叩かれ、素直にそれに従った。

「で、感想は?」

にやにやと嫌な笑みを浮かべる香坂を本気で殴りたいと思った。
弟君で遊ぶのは構わない。兄弟なのだから、それもありだろう。しかし、それに自分を巻き込むのはやめて欲しい。仮にも恋人なのだから、面倒事から守ってくれてもいいのに。
すべてにおいてそう望んでいるわけではない。今回の件に関して、だ。

「感想も何もねえよ。疲れた、それだけ。あと弟君の彼女に会った」

「亜季に?」

「そ。お前が昔遊んでた綺麗な女性ですよ」

「で?」

「彼女さんの前で俺が好きだから別れる発言ですよ。そんで彼女さんとファミレスでお互いの苦労を分かち合った。それだけ」

「へえ。亜季もぶっ飛んだ女だからな。でもいい女だったろ?」

「そりゃね、お相手してくれるならして欲しいくらいに魅力的でしたけど」

亜季さんを思い出し、本当は自分もあんな女性と交際したいと切に思った。自分にとっては高嶺の花だし、そんな女性を遊び相手としか思っていなかった香坂に苛立つ。贅沢にもほどがある。

「香坂と弟君で亜季さんとりあったの?」

「とりあうってほどじゃない。京が好きだって言ったから俺が手引いただけ」

「ああそうですか。さすがイケメンは違いますね」

嫌味たっぷりに言ったが、香坂は相変わらずにやけた顔を崩さない。

「つーかさ、マジでそろそろ勘弁してくれよ。俺の身にもなれ。何で男からこんなに言い寄られなきゃならん。こっぴどく振るわけにもいかないし。早くどうにかしろよあれ!」

「どうにかって言ってもな。京の気持ちの問題だし」

「だとしても!がつんと弟に言えよ!」

「うーん。がつんとねえ…。おもしろくないな」

ああそうだ。香坂はこういう人間だった。
自分に危害が及ばない限りで人間を玩具のように扱う男だった。
恋人がこんなにも助けを求めているのだから、少しは助けてくれてもいいと思う。
やはり、付き合う人間を間違えた。
仮にそれが男だとしても、もっとまともな人間がいたはずだ。そしてそれ以前に自分はゲイではない。
こんなにも譲歩して付き合っているというのに、香坂の態度にはほとほと呆れてしまう。
それでも嫌いになれない自分に一番呆れてしまう。
大きく溜め息を零せば、何を勘違いしたのか香坂はぽんと俺の頭に手を置き、顔を覗き込んでこう言った。

「安心しろ。亜季のときとお前は違う」

そんな心配などしていないと声を大にして言いたかったが、呆れすぎて声も出ない。
口から出るのは嘆息ばかりだ。

途中までだった映画は完全になきものとされ、いかに今日の外出が最悪なものだったかを愚痴る会になっていた。
どんなに不満を言っても香坂は笑うだけ。むしろ、不満を言えば言うほど、楽しんでいるようにも思える。
すると、部屋の扉が大袈裟に開く音がし、二人そろってそちらを見れば今まさに噂の渦中にいた弟君が息を切らして立っていた。
無言でこちらに近づいて、香坂を冷めた瞳で一瞥し、俺の腕を引いた。

「ちょ、なんだよ…!」

「いいからこい」

香坂兄ならまだしも、弟にまで命令される。先輩としての威厳は何処へ行ってしまったのだろう。

「行ってらっしゃい」

最後に憎まれ口を叩く香坂をぶん殴ってやりたくなる。
弟君は眉間に皺を寄せたまま、寮内にある談話室へ着くと漸く腕を離してくれた。

「…あんたの部屋に行ったら柴田先輩が多分兄貴の部屋だって言うから…」

息を荒くしながら言う。

「あ、そうすか。そんで俺は何故拉致られてんでしょう」

「亜季のこと…。あの後どうなったのか気になったから」

「ああ、なるほど…」

とりあえず座りながらお茶でも飲もうと、興奮状態の彼を宥めながら自販機でお茶を購入した。
何故こんなにも気を回しているのだ。本当に香坂兄弟には振り回されてばかりだ。

「ほい」

「…サンキュ…」

談話室には幸い誰もいなかった。休日だし、皆何処かへ出かけているのだろう。

「亜季さんとは何もなかったよ。ただ話して終わり」

「…そっか。別に亜季が変なことするような女だとは思ってなかったけど…」

「いい彼女じゃん。めっちゃ綺麗だし性格もいいし。弟君ラッキーだなー」

思ったことを素直に口にしたが、弟君は眉間の皺をますます深くさせた。

「俺はもう亜季を好きじゃない。あんたが好きだって何回言えばわかんの」

「……すいません」

平穏だった日々が懐かしい。
一年で蓮と同室で、香坂ともいざこざがなかったあの日々が懐かしい。
どこで歯車がくるってしまったのだろうか。

「あ…。薫何してた?」

話をはぐらかせてしまおうと口をついて出た言葉だった。

「…真面目に勉強してた」

「そっか」

首席で入学した薫の頭のできは、自分とは大きな差がある。
元々勉強が嫌いではないと言っていたし、のみこみも早い。やることがなければ勉強ばかりする奴だ。
だからと言ってインドアなわけでもないのだが、薫の望む世界征服には勉学は必要不可欠なのだろう。そんな弟を不憫に思う日々である。

「俺の顔見るなり帰ってくんのが早いってよ」

「…すいません、毒舌なんですうちの弟」

「本当にあんたと正反対の性格してんだな」

それは君達香坂兄弟にも言えることではないかと思ったが、あえて口には出さなかった。
同じ血が流れていて、環境が同じだとしても性格なんてそれぞれだ。
兄弟だからと言って似ているとは限らない。
自分と薫の場合は違いすぎているが。

「…兄貴に今日のこと聞かれたのか?」

「…まあ」

「…兄貴に聞いたかもしれねえけど、亜季のときも同じような状況だった。そのときはすんなり俺に亜季をくれたのに、何であんたはすんなりいかないんだろうな」

溜め息交じりに言われ、それは香坂と自分が真面目に交際しているからですと、言えれば一番いいのだが。

「何で俺じゃねえんだ。何で兄貴なんだよ」

真摯な瞳で問われ、返答に困った。
確かに景吾が言う通り、見た目は香坂と似ている。そんな弟君に言い寄られれば厳しい答えを出すのも躊躇われる。
一瞬どきりとしてしまった自分が一番困る。

「兄貴よりも絶対にあんたを幸せにする。浮気なんてしないし、大事にもする」

だから、そんな熱っぽい瞳で見るのはやめてくれ。
香坂が最低男だったら流されていたかもしれない。
自分を暇潰しに遣うような人間で、退屈凌ぎに相手をしているような関係ならば、弟君に流されてしまう。
亜季さんの気持ちが今ならばよくわかる。
そこまで熱く告白をされれば大抵の女は堕ちるだろう。
このルックスで性格も悪いとは言えないのだから。
しかし自分は香坂以外の男との交際は考えられないのだ。
どう言葉にすれば伝わるのだろうかと思うが、何を言っても無駄な気がする。
だから香坂に助けを求めているのに、あの男は何もわかっていない。俺の苦労も。

「あんた兄貴の何処がいいの。とりえなんて顔だけじゃん」

「っ、んなことねえよ!」

香坂の悪口を言われ、つい条件反射で庇ってしまった。
弟君は自分の言葉に目を丸くし、眉間を摘んだ。

「どうすればあんたは俺のモノになる」

独り言のように呟かれ、そしてその顔があまりにも悲痛だったからつい、手を差し伸べてしまいそうになる。
弟君なりに苦悩しているのかと思うと、自分の中途半端な行動がそれを加速さけているだけなのかもしれない。
はっきりと言えればいいのに。
香坂兄弟の仲を悪くさせたくない。
弟君も、なんだかんだと言っても香坂が嫌いなわけではないだろう。
二人を険悪な関係にしているのが自分だと思うと、心底疲れる。
こんな顔をする弟君を放っておけない。早く問題を解決したい。
お人好しだと周りからは言われるかもしれないが、それでも構わない。
弟君が抱える辛さや痛みを早く取り除いてやりたい。

弟君は、口は悪いが香坂を毛嫌いするような子ではなく、むしろ兄として憧憬の眼差しを向けていたと思う。木内先輩に向けるそれと同じように。
香坂だって、弟君が邪魔なわけではないのだ。自分も弟がいるからこそわかる。弟には幸せになって欲しいし、できることならトラブルに巻き込まれずに暮らしてほしい。
しかし、そのトラブルの元凶が自分だなんて笑えない。糸が絡まりすぎて収拾不能になったらどうしようと身震いした。

「……あの…」

口を開いたがかける言葉が見付からない。
自分には慰めてもらいたくないだろう。

自分は人を傷つけているんだと、弟君の顔を見て胸がずしんと重みを持って実感させた。
最初は何かの間違いだと思っていた。今も間違いであって欲しいと思っている。
亜季さんに別れ話をしたのも、香坂から奪いたいと言っているのも、すべて一時の気の迷いとコンプレックスからくるもので、ストレートである彼が間違っても男を好きになるはずがないと、彼の気持ちを軽はずみに受け止めていた。
しかし、そうではないのかもしれないと思う。
だって彼はこんなにも辛そうで、恋慕を思わせるその表情には見覚えがある。
もしかしたら、本当に自分のことが好きで、そして自分の行動や言動で彼の一喜一憂が決まっているとしたら。
誠実な気持ちには誠実な態度で臨まなければいけない。それが一番大事だと思うから。

けど、けれども、こんな悲痛な表情を見せる彼に何を言えば、何をすれば一番丸く済ませることができるだろう。

ただ一つわかっていることは、自分は彼を傷つけている。それだけだ。

[ 115/152 ]

[*prev] [next#]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -