7


結局、自分が思うように事は運ばず、弟君が待っていると言った以上、上手い返答が見付からなかった。
意外と純情な弟君の心を自分が弄んでいるのではないだろうかと思うと、非常に、非常に罪悪感がひしひしと押し寄せる。
店を出て、ふらふらと駅へ続く道を歩いていた。
頭の中ではどうすれば傷つけずに済むか、そればかりで、隣に彼がいると失念していた。
自分お得意の異世界へとトリップしてしまっていたのだ。
いつもは景吾や秀吉が現実世界へ引き戻してくれるが、その二人は今いない。
延々と、悶々と考えては眉間に皺を寄せた。

「おい…。おい!」

「わあっ!」

ぐっと肩を引かれ、現実世界へ帰還を果たす。

「どこ行くんだよ」

「…あ、何も考えてなかった」

いつもの癖で駅へ向かっていた。
昼食も食べたし、一応話しもした。これ以上一緒にいる意味はないと思うのだが、もしかしたら街をぶらぶらと歩きたいとか、願望があるのだろうか。

「どっか行きたいとことかある…?」

「別に、ねえけど…」

尻すぼみになった言葉。まさか、もっと一緒にいたいとか寒いセリフは言われないだろうかと身震いする。
駅前で立ち往生していると、弟君と向かい合う俺の背後から女性の声が響いた。

「京?」

「…亜季」

振り返る前に弟君が名前を口にし、やっと自分も振り返ってその声の主を瞳に移した。
仄かに茶色く染められた、肩くらいの長さの髪を緩く巻き、ショートパンツからのぞく脚はすらりと長く、細かった。
綺麗な女性だと素直な感想が浮かぶ。所謂お姉ギャルという格好だろうか。
肌の露出は多いにも関わらず、清潔感すらある。
こんな綺麗な人と知り合いだなんて、やはり香坂兄弟は女に苦労しないらしい。
ちょっとした嫉妬も混じる。

「何してるの?こんなとこで」

亜季と呼ばれた彼女は、気さくな笑みを浮かべながら自分へと視線を移した。

「…高校の先輩と飯食ってた…」

「ああ、そっか。東城に入ったんだもんね。初めましてー」

「…どうも」

自慢ではないが、女性と接するのに慣れていない。
男子校という理由もあるが、モテ期などきたためしがないし、香坂や木内先輩のようには振る舞えない。
だからモテないんだと自分を叱咤した後、彼女の発言に驚愕した。

「京の彼女の亜季っていいます」

「…彼女!?」

弟君を勢いよく振り返れば、罰の悪そうな表情をしていた。
ああ、そういえば彼女がいると言っていたっけ。そしてそれは香坂の元遊び相手だと。きっとこの近くの高校に通っているのだろう。
しかし、こんな綺麗な人だとは思わなかった。しかも多分、年上だ。
にこやかに微笑みながらいくつ?なんて聞かれ、その度短く返答した。
彼女との会話で、彼女は今高校三年生で香坂と同い歳だと把握した。
弟君からしてみれば二歳年上だ。
さすが香坂兄弟、得る女性のレベルが高い。
この女性も香坂と関係があったのかと思うと、ちょっとした嫉妬も覚えるが、自分と出会う前の話だからと払拭させた。
ずっと黙っていた弟君だが、自分と彼女さんを交互に見詰めると、一つ深呼吸をしながら言った。

「…亜季、悪い。俺この人が好きなんだ。だから別れてくれ」

「はあ!?」

これに声を荒げたのは彼女さんの方ではなく自分だ。
何を言っているのだろうか、この子は。
一時の気の迷いでふっていいような女性ではない。
この女性と交際したいと願っている男など掃いて捨てる程いるだろう。
それをせっかく手にしたのに、そんな簡単に終わらせていいものか。しかも自分なんかが理由で。
両手をばたばたとさせ、前言撤回しろと言いたいが、上手い言葉が見当たらない。

彼女さんを見れば、目を丸くしたまま言葉が出ない様子だ。
それはそうだ。彼氏にいきなり別れ話をされた上に、その彼氏が選んだのが男とくれば。
自分なら三日は寝込む事態である。

「……ああ、そう…」

正気に戻った彼女さんは、変わらずにっこりと微笑み、俺の腕をぎゅっと握った。

「じゃあ、この人と話し合うから貸してくれない?」

「え、え…。ちょっ…」

「やっぱりこういうことは当人同士で話し合わないとね」

女って何を考えているかわからない。世の中で一番恐い生き物かもしれない。
しかも自分は当人ではない。普通ならば恋人同士で話し合う必要がある。
自分は彼氏を奪った男として公園のトイレ裏に連れ込まれ暴力の限りを受けるか、もっと陰湿な嫌がらせでもされるのかもしれない。
俺には関係ない。大声で言いたかったが、言えない悔しさ。

「じゃ、行きましょう?」

俺の腕をぐっと引くと、彼女さんは弟君にひらひらと手を振っている。
弟君も鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔で、救出してくれそうな気配はない。

「楓君って言ったっけ?私亜季。改めてよろしくね」

腕を引きながら彼女は微笑む。
何を考えているのだろう。そして自分はどうなってしまうのだろうか。
あらゆる最悪を想像しては冷汗が出る。
相手が女性というだけでこちらは手を出せない。
女って卑怯だ。

「あそこでいい?」

ファストフード店を指差して彼女が言う。
自分を拉致って何を言うつもりなのだろう。
大事な彼氏を返して、というのならばその意見には大賛成だ。
弟君は意地になっているだけで、自分を好きなんて一時の気の迷いだ。
先ほどファミレスを出たばかりだというのに、また飲食店の中で亜季さんと向かい合って腰を下ろした。
こんな綺麗な女性を連れて歩けるのならば、もっと違った場面でお願いしたかった。

「ごめんね急に」

外見が綺麗な分高飛車なのかと思いきや、言葉や表情からとても気さくな人なのだと思えた。
性格は顔に出るというし、綺麗な人はその分性格も良いのだろうか、なんてぼんやりと考える。
腹は減ってなかったので、注文したドリンクのストローを齧った。彼女は自分の顔をその丸く大きな瞳に映している。

「あ、あの…」

「あ、ごめん。イケメンだなーって思って」

「へ?いや…」

香坂兄弟を見た後に自分なんかを見てもちんけな虫にしか見えないのではないだろうか。
彼氏が弟君ならば、大抵の男など野菜と同等だ。自分が女だったら思う。
香坂兄弟ほどイケメンという言葉が似合う人はいないと思う。

「東城ってレベル高いってうちの高校でも有名だけど、なるほどねー」

何か納得したように、腕を組み数度頷いている。

「で、京があなたを好きって本気?」

「いや、たぶん違います。だからあの、別れるって言ったのも撤回してやって下さい」

何故俺が頭を下げなければいけないのかと思うが、これも弟君を真っ当な道へ導く使命だ。

「私は京に好きな人ができたならそっちと幸せになればいいと思ってるけど。別れるときは後腐れなくが私たちのルールなの」

「いや、好きとか違うと思うんで…」

どうか、どうか別れないでやって下さいと願う。
自分だったらこんなに綺麗で性格もよさそうな彼女がいたら何があっても離さないのに。
ましてや男を好きになったりなどしない。
気の迷いって怖いと改めて実感する。

「京と知り合いってことは涼とも?」

「はい」

「私も昔涼とちょっと遊んでたのー」

「香坂から聞きました」

「そっかそっかー。最近涼全然遊んでないし、本命の恋人ができたって聞いたけど…」

亜季さんは唇に指を持っていくと、改めて自分をまじまじと見詰めた。

「…もしかして、それって君…?」

「な、なんで…」

「京が好きになるってことは涼のモノなのかなーって…。ごめん、違った?」

否定も肯定もできずに下を向いて固まるしかできない。

「あ、私男同士とか、女同士とかあんま深く考えない人だから大丈夫だよ」

とは言われても、やはり世間体というものを考えるわけで。
否定しなければ、そうですと言っているようなものだが。
しかし、事情が事情だし、弟君の彼女さんならばことの真相を知っていていいと思うのだ。
むしろ、知って欲しい。そして別れるという言葉がどんなに馬鹿げているか理解して欲しい。
決心し、俯いていた顔を勢いよく上げた。
そこには相変わらず美しい顔面が真っ直ぐに自分を見詰めている。
何時間見ていても飽きなさそうだ。

「あの、実は…」

何から話せばいいのかわからなかったし、説明も上手くいかなかったが、たじたじになりながらも発端を話した。
亜季さんはうんうん、と頷きながら聞いてくれて、相談相手がいなかったので多少ほっと安堵した。

「なるほど。昔から京は涼のモノを欲しがったからねえ。今回は楓君の奪い合いってわけだ…」

今回は、ということは亜季さんも兄弟でとりあったのかもしれない。
そして結果弟君が勝利した、と。
今回だって香坂が自分に本気でなければ早々に弟君に差し出していたのかもしれない。

「楓君、男の子なのに大変だね。女だったら、あの二人に迫られれば嫌な思いしないだろうけど、男の子だもんね…」

そうなんです。亜季さんわかってくれますかこの心境。
同じ境遇を歩んできた者同士の妙な一体感と親近感が一気に湧き上がる。

「でも京はこれって言ったら突っ走るし、私に別れるって言ったのも本気だと思うよ」

「でも、もし間違いに気付いてよりを戻そうって言ってきたら…」

「うーん、京に限ってないと思うけど。その時私に好きな人がいなかったら戻してもいいけど」

その答えを聞いて安堵した。
亜季さんの理解が得られれば、後はどうにか目を覚まさせるだけだ。
できれば亜季さんの協力も仰ぎたいものだが、亜季さんもしょうがないと呆れ半分、諦め半分な様子だ。

「まあ、京とはこれからも連絡取るよ。別れ話があんな数秒で終わるのもあれだし」

本当にできた女性だ。
よくも私の彼氏をとったわね、なんて罵声を浴びるのだろうと予想していたのに。
それとも亜季さんもそこまで弟君に本気ではなかったのだろうか。

最後に、折角だからと亜季さんは連絡先をくれて、何かあったら相談に乗るよと力強い言葉までくれた。
これは所謂女友達というものなのだろうか。
今までそんな存在がいなかった自分としては天にも昇るほど嬉しい。しかもそれがこんな美人ときた。
美人は見慣れている。ゆうきや神谷先輩を見てきているせいで。
しかし、やはり男の美人と女の美人は違う。

「今度涼と三人でご飯でも行こうねー。話せて楽しかったよー」

手を振りながら亜季さんは言った。
それに笑顔で応えながら思った。女性は強い生き物だ。
彼氏が男にとられたというのにあの余裕だ。
自分と同じような境遇に立った亜季さんだからかもしれない。

香坂と関係を持った人。なんて嫉妬もしたが、亜季さんくらい顔も性格もいいならば仕方がないだろうと、最後には亜季さんの肩を持つくらいにその魅力を理解した。

棚から牡丹餅とはこのことだ。嬉々として帰路についたが、弟君の一件はまだまだ先が見えない問題なのだと寮の部屋へ戻って愕然とした。

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