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秀吉の部屋まで、肩を下ろしながら歩いた。
何だか今日一日で一生分の精神的苦痛を味わった気分だ。こんな日には秀吉に当り散らしてうさ晴らしをするのが一番効果的だ。
秀吉は大切な友人だとわかっているが、皆よりも少しだけ大人な分、全員から八つ当たりを受けるのもまた、いつものことだ。
扉を二度ノックする。
当然秀吉が出てくれると思っていたが、顔を出したのは秀吉の同室者である三上だった。
「…あ、の…。秀吉、いる…?」
三上に動揺しつつも言えば、三上は扉を全開にし、中に入れと短く言った。
三上はソファの上に着き、雑誌を広げた。
入れと言われたのはいいものの、秀吉の姿を探しても何処にもいない。
「あの…」
相変わらず掴みどころのない三上にたじたじになりながら口を開く。
「秀吉は部屋。座って待ってれば」
「はあ…」
部屋にいるならば直接そちらへ行こうかと考えたが、三上が言うなら座るしかない。
柴田と並んで最強最悪と噂される人物だ。下手に逆らって右ストレートが飛んできたらどうしよう。
三上と向かい合う場所に腰を下ろす。
勿論、楽しく会話などできる仲でもないし、空気も重い。
三上は気にした様子もなく、こちらの存在を無視して雑誌に目を向けている。
一人でてんぱっていても仕方がない。秀吉が出てくるまで待つとしようと諦めたとき、扉が開く音がして秀吉がリビングに顔を出した。
「…あれ?楓来てたん?」
「…ちょっとお前に用があって」
「あ、ほんま?」
寝室の扉を後ろ手に閉めると、秀吉は三上の隣に腰を下ろした。
「で?用って?」
「…ちょっと相談、なんですけど…」
できれば秀吉の部屋で二人きりで話したい。ちらりと三上に視線を向ける。
「…ああ、部屋に行こかって言いたいとこなんやけど、今神谷先輩が部屋で寝てるんよ」
「はあ?お前神谷先輩に何してくれてんだよ!」
ゆうきほど神谷先輩に懐いているわけではないが、俺も一応は神谷先輩のファンだ。
見た目もさることながら、あの温厚で大人な性格も素敵だと思う。
過去に神谷先輩が香坂を好きで…なんて因縁もあったが、それでも俺を憎むわけでもなく、恨むわけでもなく、あっさりと身を引いてくれた。
見た目に反して中身は誰よりも男前のような気がする。
そんな神谷先輩が秀吉の部屋で眠っているなんて、やったことは一つしかないだろう。
これが俺で感謝して欲しい。ゆうきだったら秀吉に一発、二発はくれているところだ。
「ちゃうて!変な想像すんなや!ただ眠い言うから寝させてるだけや!」
「…ほんとかよ…」
じろりと恨めしい目で見れば、秀吉は何度も首を縦に振る。
「…ま、へたれなお前はそう簡単に神谷先輩に手出せねえか…」
「…お前嫌味言うために来たん?」
半分泣きそうになっている秀吉の言葉に漸く本題を思い出した。
しかし、三上が一緒となると話しにくい。
本人は俺たちの会話など興味がないだろうし、むしろ耳に届いていないかもしれないが、それでも気になってしまう。
ちらりと三上を見れば、ばっちりと視線がぶつかってしまった。
「…あ、俺邪魔?」
「いえ、そんなことはないんです、が…」
「あ、そう」
はっきりと邪魔だと言えない俺の馬鹿。チキン。小心者。
しかし、何を考えているのかまったくもってわからない三上に反抗するのは怖すぎる。
取って食ったりしないだろうが、彼の独特な雰囲気も怖い。
木内先輩とは違った意味で苦手だ。
「で、相談て何?」
「あー…。えっと…。香坂の弟、のことなんだけど…」
「ああ、京君、やったっけ?三上見たことあるー?香坂先輩の弟が一年におんねんで」
「…ああ、一回ちらっと見た」
「いじめたらあかんでー」
「誰が香坂先輩の弟に手出すかよ。そんなことしたら俺死ぬわ」
「あは、ほんまやなー。で、弟がどうしたん?仲良さそうやん」
「…仲良…くもねえけど…。なんと言いますか、その…」
言葉を選ぶが的確なものが見付からない。
三上がいなければあっさりと言うのも簡単だが、三上がいるとなると気を遣う。
やはり二人きりで話したいが、今更自分の部屋に秀吉を招くのも面倒だ。
「なんやねん、楓らしくないなー。ずばっと言えや」
「…まあ、なんと言いますか…。その弟君に求愛、されまして…」
言った瞬間、秀吉と三上は目を丸くしてこちらを見詰め、一瞬の沈黙が部屋を支配する。
ああ、やはり二人きりで話した方がよかった。
神谷先輩と付き合っている秀吉はまだしも、三上はきっとストレートだろうし。
泣きたい気持ちで沈黙に耐えていると、秀吉と三上、二人同時に吹き出した。
「それほんま…?」
「ほんまなんですよ、残念ながら…」
笑うなんてひどいじゃないか。
涙目で言うが、二人とも笑いが止まらないらしい。あの三上までもだ。
「まさか兄弟でそうくるとは…!いや、笑いごとやないってわかってるんやけど…」
一通り笑って、にやける顔で秀吉が言った。
「香坂先輩はなんて?」
「…あいつは――」
弟君に俺と香坂の関係が知られたことから順を追って説明した。
雑誌に夢中だった三上も真剣に話しを聞いている。
「そんな感じで香坂はのりのりです」
「…あれやな、兄弟やから好みも似とるんちゃう?」
「そんなとこ似なくていいわ!何で俺なんだよ、弟君彼女いんだぞ!?それなのに何故俺!?そして何故香坂はあんな態度!?俺どうしたらいい!?」
恐慌状態に陥いり、秀吉は落ち着けと言うが、落ち着いていられないから秀吉の部屋までやってきたのだ。
「楓もつくづく運がないなあ。俺もそれはどうしたらええのかわからんわ。三上どう思う?」
話題を三上にふるのかと内心どぎまぎしたが、意外にも三上は冷静で、抑揚のない声色で言った。
「…どうって…。香坂先輩と話し合うしかねえだろ。弟の勘違いを解決して、すっぱりふればいいんじゃねえの?」
そして正論を当然のように浴びせる。
三上のイメージは最悪に等しかったが、意外にも常識人なのかもしれない。
つるんでいる連中が柴田や潤だから、きっと三上も噂通りの変態なのだと思い込んでいたのだが。
柴田や潤を咎められるくらいには大人の思考を持った人間なのかもしれない。
「せやなあ、それしかないわな。香坂先輩も相変わらず人が悪いわ。弟で遊ぶとは」
「だろ!?そしてそれに巻き込まれる俺!」
「それは…。楓やからしゃーない」
「どういう意味だアホ!」
「とにかく、香坂先輩とちゃんと話した方がいいと思うぜ。もっとややこしくなる前に」
三上は再び雑誌のページを捲りながら言った。
まさに、三上の言う通りだ。このまま行けばもっともっと、ややこしく面倒になるのは間違いない。
そして、一番被害を被るのが自分だということも承知だ。
運がないと皆は言うが、香坂という男に堕ちてしまった時点で運など捨てたようなものだ。
取り返そうと足掻いても無駄で。
「楓は弟君好きになったりせえへんよな…?」
「あるわけねえだろ!男は香坂だけで充分だ。俺は本当は可愛い女の子が好きなの!」
「…せやろなあ…。それなら早めに弟君の目覚まさせな。弟君も可哀想やし…」
「俺も頑張ってんだけど…。俺が何言っても弟君聞かねえと思うし…。やっぱ香坂から言ってもらうしかねえよな。でもあいつ言わない気がするし」
「せやなー。兄弟丼か…。傍から見てる分にはおもろいけどな」
「おもろくないわ!お前だって余裕ぶっこいてると神谷先輩とられんぞ!」
「大丈夫やて。神谷先輩浮気なんてせんし」
「浮気じゃなくて本気でお前が捨てられんぞって言ってんだよ」
「ひどい!怖いこと言わんといて…」
想像したのか、がっくりと肩を下ろす秀吉を鼻で笑った。完全なる八つ当たりだ。しかし、こうでもしないと胸がすっとしない。
さっき散々笑った仕返しだ。
解決策は秀吉ではなく、意外にも三上が出してくれた。
香坂とみっちりと話し合って今後の方針を決めなければ。
話し合いに応じてくれるかはさて置いて。
香坂が弟君で遊ぼうなんて思わなければこんな面倒にはならなかった。
すべての元凶はあいつで、あいつしか弟君を止められない。
「じゃ、俺香坂と話し合ってくる。秀吉と三上も、サンキュー」
ソファを立ちながら礼を言えば、秀吉はまたなと手を振る。三上は相変わらずで、目も合わせてくれない。本当に何を考えているのか理解できない男だ。
頭痛がしそうな頭を抱え、今度は香坂と決戦だと、一人意気込んで部屋へ歩き出した。
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