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無言のまま、カフェラテのストローに齧りつきながら、全面硝子張りにされた学食から見える庭を眺めた。
春本番の今は、庭に咲き誇る花々のどれもが瑞々しく美しい。
弟君との沈黙に耐えられないと焦る心は不思議と湧かず、未だ飯を胃袋にかきこむ姿を横目で捉えていると、再び後ろから肩をぽんと叩かれ、そちらに首を捻れば薫の姿があった。
しかも、その隣には中学から可愛がっていた後輩の悠也がいた。
これには瞠目し、齧っていたストローがあいた口からぽろりと零れた。

「何で楓ちゃんこいつとご飯なんて食べてんの?」

天使の笑みを浮かべながら悪辣な物言いをする薫に、弟君も薫を一度睥睨した。
そんなことよりも、俺は薫の隣の悠也に気をとられ、今は二人の喧嘩の仲裁に入る暇などない。
椅子から立ち上がり、益々背が伸びた悠也に向き合う。

「悠也ー、また背でかくなったなー!」

綻んだ笑顔で言えば、はいと素直な返事が返ってきた。
この真っ直ぐで馬鹿正直な悠也といると、ほっと心が落ち着く。
自分よりも頭一つ分高い頭をわしゃわしゃと撫でれば、薫も目を丸くしてこちらを眺めている。

「…知り合い?」

「ああ、中等部の頃から可愛がってた。なんだよお前、薫と仲良くなったのかー?」

意外な組み合わせだと思ったが、薫のことだから当たり障りのない月島薫君を演じているのだろう。
悠也は悠也で、人の好き嫌いがないし、いい奴だから外部入学の薫を気に掛けてくれたのだろう。

「はい。楓先輩の弟だって聞いてびっくりしましたよ」

「そうそう、俺の弟なんだ。愚弟だけど仲良くしてやってくれよ」

「はい、クラスも一緒ですし、仲良くしてもらってます」

裏も表もない悠也と、裏ばかりが目立つ薫の気が合うのか首を傾げたくなるところではあるが、悠也がいるなら薫の心配も半分に減る。
悠也は太鼓判を押したくなるほど、真っ直ぐで、兎に角いい奴だ。
悠也を見習って、薫のひん曲がった性格が少しでも良くなれば、とも期待した。

「部活忙しいだろうけど、俺の部屋にも遊びに来いよな!たまにはよ」

「はい、是非今度!」

「おう、いつでも来い!」

去って行く間際まで薫は弟君に鋭い視線を向けていたが、対照的に悠也はほんわりと微笑んだまま、手を振っている。
学園は広大な土地の上にあり、学園内で他学年同士が顔を合わせられる機会は滅多にない。その中でもチャンスがあるのが学食だろう。
久方ぶりに悠也と話し、機嫌は急に右肩上がりで終始笑顔が抑えられない。

「…なんだ、あいつ」

やっと昼食を摂り終えた弟君は、俺が差し出したカフェラテにストローを指しながら眉を顰めた。

「あいつって…?」

「さっき、あんたの弟の隣にいた奴」

「ああ、悠也な。俺が中等部の頃から仲良くしてる後輩」

「仲良く…?」

「ああ、下級生とはあんま絡むことねえけど悠也だけは違う。遊びに行ったりとかもしてたし」

「…ふーん」

机に頬杖を着き、唇を尖らせながら弟君はストローに口をつけた。

「仲、いいんだ…」

「…まあ」

「でも別に俺みたいなのじゃねえんだよな。普通の先輩後輩として仲いいだけだよな?」

「…は?」

問われた内容の意味がいまいち理解できずに聞き返せば、じれったいとでも言いたい様子で、弟君は声を潜めながら言った。

「だから…!恋愛うんぬんじゃねえよなって聞いてんだよ」

「恋愛?悠也と?…まさか、ないない」

手を左右に振って否定すれば、弟君はそれなら別にいいんだけどと、それでもまだ不機嫌にしながら言った。

確かに、弟君に好きだと昨日言われたが、暫く時間が経てば恋愛感情ではないと気付いてくれるはずだと願っていた。
しかし、俺もそこそこ恋愛経験を重ね、今弟君がどんな心境に置かれているのかわからないわけではない。
きっと悠也に対して嫉妬しているのだ。そしてその嫉妬という、ものものしくもどろどろとした気持ちを包み隠さず全身で物語っている。

本気で弟君は俺に恋心を抱いているのだろうか。首を捻って暫し考えてみるが、現実から目を逸らすようにそうではありませんようにと天に頼む。
兄弟揃って求愛されたところで、自分は元々ストレートで、香坂だから男でもいいかと腹を括った。
香坂に恋心を持ったのはきっと自分が先で、紆余曲折あってここまでやってきた。
この短い一年間は濃厚で、信頼関係もそれなりに築けたと思う。
そこへ別の男、香坂の弟で、彼に酷似している奴だとしても、心の針が振れることはない。
香坂の顔に惚れたわけでもなく、薄っぺらい感情で付き合っているわけでもない。
いくら兄弟といっても、恋愛対象の範囲に弟君を入れるかと問われれば答えは決まってNOだ。
弟君には非常に申し訳ないのだが、早く夢から覚めて欲しい。
普通の先輩、後輩関係を築きたいというのならば、両手を広げて歓迎していたかもしれないのに。

「…今日さ…」

「あ?」

頬杖をつきながら混雑する学食内を見渡し、弟君が口を開く。その顔は尚も不機嫌そのものだ。

「帰り、一緒に帰れるか…?」

「帰りって…」

弟君は果てしなく俺の貴重な友人と過ごす時間をかっさらっていくつもりなのだろうか。
今日は香坂と一緒に帰る約束もしていないから、久しぶりに景吾あたりとコンビニにでも寄りながら帰ろうと思っていたのだ。
しかし、こう正面きって誘われれば、断るのも可哀想かと、八方美人な性格が表面だってしまう。
まだ弟君は入学したばかりで、全寮制で特殊なこの学園にも慣れてはいないだろう。
実家が恋しくなることもあるだろうし、不安な部分もあるのかもしれない。
そう思うと、お節介な性格が疼く。年下のこの可愛い坊やを放っておけないと思ってしまうのだ。
つくづく、自分の性格が憎らしくなる。八方美人もいい加減にしろと香坂に説教を喰らいそうだ。

「…わかった」

「じゃあ昇降口で待ってる」

「ああ」

「ついでにここら辺の案内してくれよ。まだ地理感つかめてねえんだ」

風貌には似合わない可愛らしいお願いに、まいったと思いつつも頷いた。
先輩ぶって面倒を見てやるのも悪くはない。
そこに、面倒な恋心が挟まらなければもっとよかった。

「んじゃ、俺五限移動だからそろそろ行くわ…」

カフェラテを最後に啜りながら立ち上がった。
五限が移動なのは嘘ではない。真実なのだし、まだ残っている昼休みの間に教室に戻らなければ間に合わない。
俺の言葉に捨てられた犬のような瞳を一瞬見せられ、ぐさりと良心が痛んだが、仕方のないことだ。

「…わかった。じゃあな」

「ああ」

軽やかに手を軽く振り、弟君の傍から無事に脱出できた。ほっと安堵の溜め息が零れたのは言うまでもない。

きっと、言うべきなのだ。自分は香坂以外の男には絶対に靡かないし、元々ストレートで、君にいくら求愛されても心は動かないと。
しかし、言えば言ったでその後の弟君の言葉も大概想像できる。

「そんなのわかんねえだろ。だって兄貴を好きなら俺のことも好きになるかもしれねえじゃん」

香坂と血が繋がっているのならば、平気でこんなセリフを言ってのける。
一度決めたらてこでも動かない。頑固者で、傲慢で、大胆。それが香坂家の血筋なのではないかと思う。
無駄な言い争いはしない方がいいと思いながらも、勘違いの恋心をいつまでも持たれても困ってしまう。
機会を窺ってそれとなく言ってみようと思う。
途端に、両肩がずんと重くなった。何故俺がこんなに苦難しなければいけない。
香坂涼という男と付き合いだしてから碌なことがないと悪態をついたが、それでも別れられないから性質が悪い。

教室へ戻れば、既に景吾とゆうきの姿があった。移動教室へ向けて、教科書を手に持ち、談笑している。
机に戻れば、こちらに気付いた景吾がおかえりと声をかける。それに適当に応え、自分も机の中から教科書を取り出した。

「香坂先輩の弟君との昼食どうだった?」

軽やかに言われ、元はといえばお前のせいで…と文句の一つも言ってやりたかったが、事情を知らない景吾に悪気はない。

「普通に飯食って終わり」

「ふーん、香坂先輩とちょっと似てるよね。あと一年か二年くらいしたら先輩そのものになりそう」

期待を含んだ口調で景吾は言うが、容姿は似ても性格は似ないことを願う。

「あ、でも、香坂先輩は甘い感じだけど、弟君の方はちょっと強面かもね。いいなあ。俺もあんな顔に生まれてればな…」

景吾は冷静に分析するが、容姿のことはこの際どうでもいい。
もう、友人に事の成り行きを説明して、弟君とはあまり関わりたくないのだと暴露してしまおうか。
友人にも気を回してもらい、今後、今日のようにクラスに押しかけられても断る口実を作ってもらいたい。
しかし、言えば言ったで皆に爆笑されるのは目に見えている。そしてそれをネタに当分は冷やかしを受けることも。
やっぱり止めた。今はまだ自分自身でどうにか対処しよう。自分の手に負えなくなったときは仕方がないから、友人の手を借りることにして。
けれども、この愚痴を誰かにぶつけたいのも確かだ。やはり、秀吉辺りには話しておこうかと思う。
彼ならば嫌味にならない程度に空気を読んでくれるし、軽やかな関西弁で俺と弟君の仲裁に入ってくれるかもしれない。
こんな時くらいしか頼りにならない秀吉の顔を思い浮かべ、移動するために三人で廊下を歩き出した。

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