Episode19:兄弟



求愛されるとはどのようなものなのだろうか。
机上に頬杖をつき、ぼうっと考えた。第一に頭に浮かんできたのは、「僕のこと好き?」と首を傾げながら可愛らしく強請るような視線を向ける蓮。
そして第二に「俺のこと好きだろ?」と傲慢な態度でにじり寄る香坂だ。
そこではたと気付いた。自分は過去に女性から求愛されたことがない。
女とは無縁の世界で生きているとしても、あんまりだと、今度は頭を抱えた。

「楓、どうしたの?百面相」

軽やかな仕草で机上に座りながらパンを頬張っている景吾に問われ、いや、と首を軽く振った。ゆうきは相変わらず窓の外へぼんやりした視線を向けている。
教室の壁に掛けられている時計に視線を移した。そろそろ浅倉がいつものテンションの低さで名簿を持参し、教室にやって来る頃だろう。

昨日の弟君からの告白から一夜明けても、気分は一向に晴れない。晴れるわけなどないのだ。香坂はむしろこうなることを望んでいたような態度で、碌な相談相手にもならない。
一生懸命に知性をフル稼動して考え抜いてみたものの、結局は香坂の弟に告白された、ただそれだけの結果だけが頭の中にぽっかりと浮かんだ。それ以外は何もない。
胆略的な答えの裏には、面倒な人間関係が絡んでおり、答えは明確であるものの、頭を抱えたままだ。
何故、男なんかに求愛されなければいけないのか。
香坂の弟というだけで、行動も思想も読めない。やんちゃ盛りで、血気盛んで、たかが一歳の差ではあるが、だからこそ若気の至りというものも存在しており、彼が何を仕掛けてくるかは未知数だ。
香坂と同じ血が流れていると考えただけでも、ぞっと背筋が凍る。
まさか、香坂と同じような行動に出られた日には、どう対処していいのかわからない。
早い話しが、香坂自らが弟君の誤解を解き、誠心誠意お付き合いしていますと言ってしまえば済むのに、彼はそれを絶対しないという確信もある。
噂を誠だと思い込み、弟君の中の僅かな同情と人情によって俺はこんな風になっているというのに。
どうにか誤解を解く方法はないものかと模索してみたが、自分が何を言っても香坂に飼い慣らされた犬として、玩具として、精一杯の虚勢を張っているようにしか思われないだろう。
それはそれでプライドが許さないし、益々同情を買うことになり兼ねない。
それだけはどうしても避けたい。

思いあぐねていると、浅倉がおはようとトーンの低い声を発しながら教室の扉を開けた。
HRが終われば一限が始まり、放課後までどうにか堪えて椅子に座っていればいいだけの毎日は、昨日あっさりと去ってしまった。
今日一日、問題を直視しては面倒臭いと何度もごちることになる。

四限が終了する頃には、知恵熱でも出そうな勢いだった。
考えすぎて、蒸気機関車のように頭の天辺から湯気が出そうだ。
机にべったりと頬をつけ、腕をだらしなくぶら下げていると、景吾が後ろから背中を小突き、お昼だよと声を掛けた。

「…ああ、昼か…」

今日は特別香坂と約束をしていないので、景吾や、もしかしたら秀吉や蓮と一緒に昼食を摂れるかもしれない。
久しぶりに五人揃うかもしれないと思えば、多少気持ちが浮上した。

「早く学食行こうよー」

ゆうきの腕を引いた景吾に急かされるが、指先一本動かすのも億劫で、ゆったりとした仕草で上半身を起こした。
そこへ、教室の扉から聞き慣れた心地よい関西弁が鼓膜を揺する。

「楓ー、景吾ー、ゆうきー」

声のする方を見れば、秀吉が蓮を引き連れてこちらへ軽く手を振っている。右手を上げ、それに応えつつ、そちらにだらだらと近づいた。

「今日は五人で食べれるんだ!なんか久しぶりだねー」

「そうだね」

蓮と景吾は素直に昼食を喜んでいるが、生憎自分はそんな気分にはなれない。
四六時中五人でいられた去年とは違うのだから、昼食くらい折角揃った面子に嬉々として臨みたいところなのだが。

今日は天気がいいから購買に行くか、学食に行くかと話し合っている間も、自分はどちらでもと投げやりな態度で話し合いには参加しなかった。

「んじゃ久しぶりに購買にする?中庭で食べよっか!」

景吾の意見に全員が賛成したところで、購買へ向かうべく足を一歩踏み出したときだ。
きょろきょろと首を左右に振りながら、こちらへ近づいて来る影を視界に捉え、思わず足が止まった。
彼はこちらに気付いたようで、僅かに頬をゆるめながら足早にやってきた。

「…人多くてなかなか見付かんなかった」

そんな風に前置きをし、弟君は昼食を一緒に摂ろうと誘い文句を口にした。

「…楓、誰…?」

こそこそと景吾が手を翳しながら耳元で囁く。

「あー…。えっと、香坂の弟…」

紹介がてらに言えば、弟君は意外にも景吾たちへ向かってぺこりと頭を下げた。

「…えっとー…。こっちは俺の友達…。景吾と蓮と、秀吉…ゆうきは知ってんだよな?」

それぞれを指差しながら言えば、弟君は俺の友達が物珍しいのか、それぞれをじっくりと眺めながら一人一人に頭を下げた。

「香坂先輩の弟なんだー!言われてみれば似てるかも!俺相良景吾ね、よろしく!」

底抜けに明るい景吾は、さっと右手を出して握手を求める。弟君もおずおずとそれに応じ、握った手を景吾はぶんぶんと上下に振った。

「夏目蓮です。よろしく」

「甲斐田秀吉ですー」

それぞれが言えば、弟君も「香坂京です」と自己紹介を済ませた。
勿論ゆうきは弟君に興味などないのだろう、一言も言葉を発しないまま、蚊帳の外にいることを選択したらしい。

「んで昼飯なんだけど、悪いけどさ、今日こいつらと一緒にと思ってて…」

折角のお誘いだが、丁重にお断りしようと口を開いた。
嘘ではないし、断って当然なのだから、毅然として言うが、余計なことに景吾が口を挟んだ。

「折角来てくれたんだからさ、行ってきたら?ほら、外部入学だし色々案内がてらさ!」

ばしんと背中を叩かれ、その部分がひりひりと傷む。咄嗟に背中を反らせ、叩かれた場所を手で擦った。

それにしても、何も知らないから仕方がないとはいえ、余計なことを言ってくれた。
昨日の今日で、どんな顔して弟君に会えばいいのかもわからないし、勿論会話など見付からない。
楽しく五人で過ごせるランチが、地獄の時間へと変貌しようとしている。
ちらりと、弟君について相談した秀吉は苦笑を浮かべるが、上手いフォローは思いつかないらしい。つくづく遣えない奴だと心中で悪態をつきながら、否と答えようとしたのだが、それよりも一歩早く弟君が行動に移した。

「それじゃ、遠慮なく」

いつだって弟君はこちらの言葉に聞く耳を持ってくれない。
またもや右腕をぎゅっと握られ、そのまま強制的に連行されるような形になった。
後ろでは、またねーと景吾の呑気な声が聞こえる。
何故自分はいつもこう、いいように懐柔されてしまうのだろうか。
香坂と名の付く人にいいように振り回されている気がする。
学食へ向かっているのであろう弟君の背中にかける言葉は見付からず、盛大な溜め息だけを零したが、それすらもきっと彼には届いていない。

学食の食券売り場の行列の最後部に辿り着いたところで、漸く腕を離してくれた。
いつも思うのだが、年下とはいえ、その力は相当なものなのだろう。
無遠慮に握られるため、放された後は腕がひりひりと痛む。
前方に並ぶ弟君の背中を眺め、溜め息を呑み込んだ。
彼はこちらを振り向くでもなく、会話を楽しむわけでもなく、ただ前を見ている。

「…何が美味い?」

ちらりと後ろを振り返られながら問われ、言葉を濁した。

「あー…。なんだろ…。結構何でも美味いと思うけど。うちの学食は美味いって評判だし」

「ふーん」

それっきり、食券を購入するまで弟君が言葉を発することはなかった。
楽しく会話という雰囲気でもないが、そうでないならば何故わざわざ俺のクラスまできて拉致ったのだろう。
どうせ昼食を食べるなら、気の合う友人と談笑しながらの方が余程有意義だと思うのに。
俺を好きになれと香坂を彷彿とさせる傲慢な態度で言った彼の言葉をふいに思い出し、それを払拭させるかのように軽く首を左右に振った。
今は何も考えたくはない。面倒事にこれ以上巻き込まれるのは勘弁して欲しい。

お互い、適当にその場の気分で食べたいものを選び、トレイを持って四人掛けのテーブルに腰を下ろした。
生徒の半分は学食で昼食を摂るため、学食は酷い混雑だ。
周りを見渡せば、弟君と同じ色のネクタイを締めている一年の姿が多く見受けられる。
まだ入学したばかりで、きゃぴきゃぴと笑顔を見せては昼食を楽しそうに摂っている。
あれと、この眼前の弟君が同じ年齢、同じ学年なのかと思うと、首を傾げたくなる。
つい先日まで中学生だったと思えない容姿をしているのは当然のこと、まだまだ青いと香坂は言うが、その雰囲気も一年にしてはだいぶ落ち着いている方だと思う。

「…何?何かついてる…?」

じっと凝視していたのを悟られ、急いで視線をそらした。

「いや!別に…」

こうなったら食べることに集中しようと、焼き魚を箸で解しながら引きつった笑みを浮かべた。

「…なあ、あの人…」

俺の肩越しに一点を見詰める弟君の視線の先を辿れば、憎き柴田の姿があった。
今日は潤と、それから三上と共に昼食を摂っているらしい。

「…ああ、柴田な…」

「…あれが柴田先輩…?あんたと同室だよな?」

「まあ、一応…。別に仲良くはねえけど」

「ふーん。なんかよく名前聞くんだよな」

その噂ならば香坂から聞いたことがある。何でも目を合わせると殴られるとか、殺されるとか、物騒なものだった。
噂とは尾鰭背鰭がつくものではあるが、そんな冗談めいたい噂を一年は信じているのだろうか。だとしたら柴田も三上も可哀想だ。何もしていないのに。

「一緒にいるのが三上な」

「…へえ、あの人が」

「言っとくけど、別に目合わせても殺されねえからな。三上は知らねえけど」

「わかってるよ、そんくらい。前あんたの部屋で会ったけど、普通にいい人そうだったし」

「いい人ではない。確実にいい人ではない。木内先輩と仲がいいくらいだから。あと、間にいるのが木内先輩の従兄弟」

「仁兄の?」

目を丸くした弟君は、興味津々といった様子で潤を観察している。
木内先輩と香坂の実家は近く、幼馴染だと聞く。そのために、潤のことも知っているのかと思ったが、この様子を見ると知らなかったらしい。

「…なんか、男なのにすげー綺麗な顔の作りしてんな」

率直な意見に頷いた。潤はゆうきと一、二を争う美少年だ。
見た目は綺麗で清楚だが、中身は見た目に反して我儘放題の女王様だ。しかし、それを弟君に言うのも悪口を言っているようで気が引けるのでやめておいた。

「…楓君?」

唐突に、後ろから声を掛けられ、肩に手を置かれた。振り返れば神谷先輩の姿があり、咄嗟に椅子から立ち上がり、頭を軽く下げた。
神谷先輩には頭が上がらない。威圧的ではないし、とても優しい、いい先輩なのだが、水戸の件でかなりの恩を感じている。

「お久しぶりっす」

「久しぶりだね。最近顔見てなかったから…。元気そうで何よりだよ」

朗らかに笑ってみせた神谷先輩は、弟君に視線を向けると、弟君にも微笑を向けた。

「そっちの子は?一年生?」

「あ、香坂の弟で…」

「へえ、涼の。初めまして、神谷翔です。噂には聞いていたけど、早速会えて嬉しいな。涼とは仲良くさせてもらってるんだ」

神谷先輩は天使のように美しい笑みを浮かべ、遠くから呼ぶ片桐先輩の声を聞いてそれじゃあと踵を返した。

「今の人、兄貴の友達?」

「そう、木内先輩と同室やってた人で、木内先輩とも仲良しです」

「…なんか、すげーな…」

「なにが」

「いや、顔が。…あれって地?」

あれ、とはきっと白に近いブロンドの髪と蒼い瞳を言ってるのだろうと察し、そうだと頷いた。クォーターなのだと説明すれば、弟君は眉間に皺を寄せた。

「なんか、思ってた場所と違う…」

「思ってた場所…?」

「男子校だし、もっと学校も汚いし、生徒もそんな感じかと思ってたけど…」

「…まあ、これだけ男が集まればイケメンも多くなるでしょうよ…」

そのイケメンの中には香坂は勿論、兄弟である弟君も含まれるのだろうと思うと、若干苛っとした。どうせ自分は含まれませんよと、自嘲気味になる。

「もっと、なんか殺伐とした雰囲気を想像してたし、喧嘩とか日常的にあるのかと思ってた。上下関係が厳しいとか…」

「…まあ、喧嘩もあるし、部活に入ってる奴は上下関係も厳しいとは思うけど…」

そこで一旦区切ると、木内先輩や片桐先輩、柴田や三上を思い浮かべた。
喧嘩といえばこの面子だろう。校内で騒ぎを起こすことは、それこそ昔に比べれば少なくなったが、ゼロとは言い切れない。
盛大な音が響いたと思えば窓ガラスが割られていたり、顔を腫らした状態で保健室へ駆け込む奴も少なからずいる。
男同士で、血気盛んな年頃だ、小さなことでトラブルを起こしては殴り合いの喧嘩に発展してしまう。
女性の目を気にする必要がないし、遠慮もなければ周りもおもしろがって囃し立てるから、どんどんエスカレートする。
小さな箱の中に閉じ込めておくには、大変苦労する年頃だと思う。

「…片桐先輩とかは結構酷いかもな。さっき神谷先輩を呼んでた人。すぐ手が出るからお前も気を付けろよ」

「ふーん…」

マジで気をつけろと言いたいが、きっと聞かないだろう。
一見先輩に目をつけられそうなタイプではあるが、事実上学園を仕切っている木内先輩や香坂の懐の中だと知れば顔パスできるのだから、幸運なものだ。

「ま、弟君の場合は大丈夫だと思うけどね。香坂の弟だし」

言えば、弟君は再び眉根を寄せた。

「弟君って呼ぶなって言ってんだろ」

「あ、すいません癖でして…」

素直に詫びれば、眉根の皺は薄っすらと消えていき、生姜焼きを頬張りながら、ついでにと口を開いた。

「兄貴の話はあんま聞きたくない」

「は?」

「むかつくから聞きたくねえんだよ!俺と一緒にいるときは兄貴の話しはすんな!」

「…はあ…」

一方的で、高圧的な言い分に呆れて答えるので精一杯だ。
何にむかつくのかと聞ける勇気はない。そこを聞いてしまったら最後だ。
しかし、いつも思うのだが、見た目に反して弟君の性格は純情でいて、子供らしい。
やはり、見た目は大人に近付いているが、つい先日まで中学生だったのだと思い知らされる瞬間だ。
自分が優位に立ったようで、悪い気はしない。
自分の方が大人なのだからと余裕を持っていられる。
この前までは先輩しかおらず、後輩というものがいなかったから新鮮で、尚更そう思うのかもしれない。

昼食を一足先に食べ終えた、いつもの癖で自販機へ向かって、弟君の分と自分用にカフェラテを購入し、再び席へ戻った。
購入した物を差し出せば、短く礼を言われ、お金を出そうとする弟君を制した。
これくらい、なんてことない金額だし、年上ぶらせて欲しい。
それならば素直に貰うと言う弟君に頷き、あと僅かとなった昼休みをどう過ごすかをぼんやりと考える。
まさか、このまま昼休みぎりぎりまで弟君と気まずい雰囲気の中に身を寄せなければいけないのか。
考えただけで溜め息が漏れそうになる。

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