9


翌日の朝、ベットサイドに置いていた豪快な着信音で目を覚ました。昨日はそのまま香坂の部屋へ泊まり、例の如く散々身体を弄ばれた挙句の果ては、酷い腰痛と睡眠不足だ。
こんな朝から誰だよと顔を顰めながら携帯を開けば、我が弟からの連絡だった。

「へーい」

寝起き特有の鼻にかかった声で電話に出れば、薫は呑気におはようと言う。

「はよ。朝からなんだよ」

欠伸を交えて答えれば、薫は一瞬息を潜め、次の瞬間には鼻で笑った。

『弟君に知られたみたいだよ?』

「…は!?」

『昨日の夜、問い質されたよ。噂は本当なのか、てね…。やっぱりあいつの耳に噂が入るのは時間の問題ってことだったね』

「…お前は何て言った?」

『本人に直接聞けば?って』

くすくすと電話口で笑う薫を本気で殴りたいと思った。真意を知っているくせに、弟君が苦難するのを喜んでそんな風に曖昧な答えを出したのだ。本当に性格が悪いにも程がある。

「…マジかよ…」

寝起きで冴えない頭で、状況を察するまでに数分時間がかかった。

『ま、そういうことだから。じゃあねー』

呑気な声で言う薫には非はないが、八つ当たりしてやりたい気持ちで一杯だ。
電話を終え、急いでベットから上半身を起こした。その瞬間に電流のように腰から響く痛みに眉を寄せながら。

「香坂!」

隣で事の成り行きを知らずに平和な顔で眠っている恋人を叩き起こす。

「…あー?まだ眠い…」

そんなの自分も同じだ。昨日寝たのが何時だったかくらい、自分でも覚えている。
寝惚けた調子の香坂は使えないし、とり合えず自室へ戻ろうと、床に投げつけられていた衣服を手繰り寄せた。
もしかしたら弟君が部屋へ殴りこみに来るかもしれない。紳士然と対応しなければいけない義務ある。
急いで衣服を纏い、バスルームへ向かう。寝癖を水で直し、冷水を顔に浴びた。まるで試合前のボクサーになった気分だ。

「香坂!俺帰るからな!」

まだ布団に包まり、瞼を下ろしている香坂に告げれば曖昧な返事。
本当に遣えない奴だと心中で悪態をついて部屋を飛び出した。
息を切らして自室の鍵を開錠し、扉を開けたが柴田の姿はない。閑散としている部屋で右往左往しながら、弟君への言い訳を考えた。

「…ダメだ…」

いくら考えても、彼が納得してくれる言葉を自分が言えるとは想像できない。
とり合えず、落ち着いて脳味噌を覚醒させるために珈琲でも飲もうとキッチンへ向かう。
いつものように砂糖とミルクをたっぷり入れたカップを片手に、再びリビングを歩き回る。
髪を乱雑に掻き、溜め息を漏らす。
香坂が言うように、言葉で丸め込めないならば、一発くらい殴られてもいいかと、半ば諦めが芽生えた。
一発で済むならば安いものだ。それで彼の心中が落ち着いてくれるかはさて置いて。

ソファに豪快に腰を下ろし、頭を抱えた。その時だった。ノックもせずに、扉が豪快な音と共に開けられ、大方柴田だろうと首だけを捻り、疎ましげな視線を向けた。しかし、そこにいたのは柴田ではなく、血相を変えた弟君の姿だったのだ。
それに瞠目し、即座にソファから立ち上がる。
噂が耳に届いていることは事前に薫から知らされていた分、それ程動揺せずにいられるが、弟君の顔色を見ると、やはり余程のショックを受けたのだろうと容易く想像できる。そんな彼に何という言葉を捧げればいいものか。

「…ちょっと、いいか」

「…ああ、こっち座れよ…」

ソファへ促し、弟君の分の珈琲を淹れた。ブラックでいいと言われ、カップに入った漆黒のそれを差し出す。
弟君はそれを両手で持ちながら、だらんと首を垂らしている。もしかしたら綾さんに子供が出来たときよりもショックが大きいのかもしれない。

無言の時間が数分過ぎ、その間も俺は弟君の首筋を観察する以外に何もできなかった。あちらから口を開くまで待とうと思っていたのだ。

勢いよく弟君が首を擡げると、ぱくぱくと言葉にならない声を発した。
軽く首を捻ってみたが、だいたい把握できる。実兄がホモだったのか、そしてその相手はただの後輩だと思っていた俺なのか。そのすべては真実であり、嘘偽りがない分、後ろめたさが存在する。

「…噂、聞いたんだ…」

やっとのことで弟君が言葉にした。

「…その…。なんて言っていいかわかんねえけど…。兄貴とあんたができてるとか、なんとか…」

ここで潔くYESと言えれば自分は余程肝の据わった男だろう。しかし自分は言葉を選んでしまう。嘘はつきたくはないが、真実を伝えるにも言葉一つで受け取り方は変わってしまうはずだ。

「…えっと、それは…」

「他にも女がいるって…あんたは学校にいる間の暇つぶしだって聞いた…」

「あー…。えっと…」

「あんた、それでいいのかよ!」

「へ…?」

「兄貴には他にも女がいるんだろ!?あんたはただの遊びだって。それでいいのかよ!」

鬼気迫る様子で弟君は身を乗り出して言う。
自分の兄が男にも手を出していたショックよりも、俺の身を案じてくれているらしい。
意外と純情で、見た目に反して子どもらしい発言だった。

「…兄貴が信じらんねえ。昔から女遊びは酷かったけど…」

「でしょうね」

「けど、あんたは色々兄貴に尽くしてきたんだろ!?家に泊まりに来てもそうだった…。料理作ってくれたりとか…。母さんが妊娠したときだって親身になって話し聞いてくれた…。それなのに…」

なるほど。弟君のショックは兄貴が男に手を出していたことと、俺が甲斐甲斐しく尽くしているのに遊びという不埒な関係へ向けてらしい。
どうやら殴られるわけでもなく、罵声を浴びせられるわけでもなく、他の一年と同様に俺は同情されているらしい。

「弟君…。いや、京君、俺が香坂とそういう関係なことは確かだ」

「やっぱり…。あんた、いいように使われてんだ…」

「いや、あのね――」

香坂には女の影はないし、真剣に交際中だ。多分。
いかんせん不埒な男で、女にだらしがない奴ではあるが、今は自分一筋だと信じたい。

「兄貴が女と遊んでんのは散々見てきたけど、誰にも真剣になってなかったし、そういう関係も気にしてなかった。けど、兄貴のために尽くしてるあんたを遊びにするなんてあんまりだろ」

「だからね――」

「あんたもそれでいいのかよ!俺が口挟むようなことじゃねえけど…」

弟君は終始興奮した様子で、こちらの言い分など一切聞いてはくれない。
噂通り、自分は男妾として香坂に可愛がられ、けれども香坂には本命の彼女がいて、所詮愛人の立ち位置にいると信じきっている。
怒りの標的にされるどころか、同情されるなどとは考えていなかった。一発くらい殴られてもいいと覚悟した決意は取り越し苦労となったわけだ。

「兄貴のことは嫌いじゃなかったけど、そういうところは気に喰わねえ」

こちらの言い分も聞く耳持たずな弟君に、どう説明をすればいいのか、ちっぽけな脳味噌では簡単に答えを出せずにいる。

「あんたは?兄貴のことマジで好きなのか?」

「…まあ…」

「なら尚更こんな関係やめた方がいいだろ!兄貴が他の女きらないなら別れた方がいい!」

「いや、えっと…」

「自分が可哀想だろ!」

自分のためにそこまで思ってくれるのは素直に嬉しいし、弟君の純粋な部分が垣間見れてこちらとしても安堵した部分もある。
しかし、弟君は大事な部分を見落としている。
俺は遊びの関係に甘んじる性格などではないし、香坂とは真剣にお付き合いをしている。
もしかしたら、香坂のことだから、過去に浮気をしたこともあるかもしれない。
たまには女も抱きたいと、俺には知られないように上手くやってきたのかもしれない。
けれども本命は俺だとはっきりと言う言葉を信じてきたし、俺も同じだと躊躇せず言える。

しかし、ここで俺が香坂は俺に本気なのだと言ったところで、そんな言葉にまんまと騙された可哀想な悲劇のヒロインに成り下がって終わりだ。
弟君の誤解を解くのは香坂本人しかいないのだ。

弟君の興奮は冷めやらぬまま、カップの珈琲をぐっと飲み込んでいる。

益々面倒臭い展開になってきたような気がしないでもないが、自分が言えることは今は何もない。
何を言っても、益々弟君の同情を買うだけだ。

「…今から兄貴の部屋に行こう」

弟君は腹を括ったように言い、鋭い鷹のような視線をこちらに向けた。
自分の家族に関しては責任を取ると、香坂は言ってくれた。この弟君の妙な勘違いも、きっと解いてくれるに違いない。
しかし、興奮状態の弟君を引き連れて、自分が香坂の部屋に行き、何がどうなるのだろう。
こんな状態の弟君を前に、香坂は打開策を見つけてくれるのだろうか。
果てしなく面倒な事の成り行きに、些末な事態では済まなくなったことへの頭痛が一気に頭を襲い、眉間に皺を寄せた。


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