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「…弟、君」

「…おう」

終に来たかと心音は早まり、一気に熱が上がってしまいそうな程に緊張し、指先一つ動かない。
弟君は視線を床下へ下ろし、首の裏に手をあてる。

「…ど、どうした?」

白々しくも聞いてみる。
どうせ兄貴との関係は?と問いただされるのだろうが。

「…別に。用はねえ、けど…」

怒り狂っていきなり首でも絞められるのかと思えば、意外にも弟君は平静さを保っており、殴られるのはまた次回かと思う。
できることならば追い払って、君のお兄さんとのことに関しては何も聞かずにおいて下さいと頼みたいところだが、そうもできない。
そうっとしておいて欲しいと願っても、弟君からしてみれば真意を確かめたいという気持ちも勿論あるだろう。

「な、中入る、か…?」

ぎこちない笑みを浮かべ、中へ誘導する。その間も弟君は何処か緊張した面持ちでソファに着く。

「あー、えっと…。なんか飲むか?」

「いらねえ」

「そ、そっか…」

どう切り出されるのだろうかと思うと、こちらも気が気ではない。
焦り、動揺すると共に挙動不審になりながら自分もソファに着く。腕に抱いていたスウェットをぎゅっと握り締めながら。

「…えと。何か用でもあったのかな…?」

やんわりと聞けば、弟君は別に、と素っ気無い返事をくれた。

「俺に聞きたいこととかあるんじゃ…」

窺うように、下から見上げれば弟君は一瞬視線を交え、それもすぐに逸らされてしまった。

「なにもねえよ。用がなかったら来ちゃだめなのかよ」

「いえ、滅相もございません…」

いつも通りの態度、とは言い難いが、弟君の瞳には軽蔑や蔑みの色は滲んでいない。
もしかしたらまだ噂は耳に入っていないのかもしれない。それならばいいのだが。万事休すとはこのことか。まあ、どの道遅かれ早かれ弟君の耳にも入るのだろうが…。

「それ…」

弟君の視線の先には、俺が握り締めているスウェットがある。

「ああ、えっと、風呂にでも入るかなーって思ってて…」

「…タイミング悪かったか?」

「いや、別にいいんです。風呂はいつだっていいし。ははは」

微妙な空気が流れる中、空笑いしか口から出ない。
香坂との関係を聞かないなら、何故弟君は部屋へ来たのだろう。
恐らくは薫から逃げるためだと思いつつも、それならば自分の兄貴の部屋へ行けばいいのにと、心の中でごちた。出来れば今はあまり関わりたくはない。
そんな俺の心情を察してくれない弟君は、ソファの肘掛に頬杖をつき、そっぽを向いたまま、うんともすんとも言わなくなった。
沈黙が流れれば流れるほどに空気がぴりぴりと痛い。
これが薫や友人ならば、無言の空気も気詰まりしないのに。
本当に、何の用があってやって来たのだろうか。

「あの…」

「…なに」

「いや、うちの弟はどうかな、と思って…」

「いつも通りむかつくけど」

「で、ですよね」

「俺がどうにかしようと思っても相変わらず口悪いし」

「仲良くしようとしてくれたんだ」

これは意外だと目を丸くして言えば、弟君は焦った様子で言った。

「兄貴に仲良くしろって言われたんだよ。どうせ一年同じ部屋なら喧嘩ばっかりしてんのも疲れるし」

「すいません、性格が悪魔的に悪い弟で」

こんなニュアンスの言葉を、何度彼に言っただろう。
毎度毎度、頭を下げている兄の気持ちになって欲しい。少しは俺を敬おうとしてくれる気持ちが薫に一ミリでもあるのならば、弟君との不仲は解消されるであろう。

「だから、あんたのせいじゃないだろ」

「いや、けど弟の不始末は兄の責任でもありまして。弟君には多大な迷惑をかけていると…」

最早平謝りだ。深々と頭を下げると、弟君は小さく吐息をついた。

「確かに迷惑は迷惑だけど、俺とあんたの弟を同じ部屋にした兄貴と仁兄が悪いだけだし」

「聞いたんだ…」

「ああ、兄貴がおもしろそうだからって仕組んだって言ってた」

そうだ。自分の弟の性格も如何なものかと思うが、同室にした香坂と木内先輩の悪戯心の方が余程問題だ。
あの二人の退屈凌ぎに遣われる弟君も苦労が耐えない。
なんだか同類の気配を感じて涙が出そうになる。

「弟君も苦労してんだなあ…」

俺と同じように。

「っ、あのよ!前から言おうと思ってたんだけど!」

弟君は頬杖を着いていた手を離し、勢いよくこちらへ向かい合った。
終にきたか。終に香坂との関係を聞かれるのだ。そう思い、握ったスウェットに益々力を込めた。
しかし、弟君の口から発せられた言葉は、自分の予想の斜め上を通り過ぎていった。

「俺の名前、京なんだけど!弟君弟君って、いつまでも弟扱いすんのやめてくんねえ!?」

「…は?」

「だから、俺にはちゃんと名前があるって言ってんだよ!」

「はあ…」

「京だよ!わかったか!」

「わかり、ました」

何を言われるかと思えばそんなことで。ぽかんと開いた口が塞がらない。
確かに弟君と呼んではいたが、そんなに気に入らなかっただろうか。

「…帰る…」

まだ来て間もないというのに、弟君はソファを立った。
そそくさと扉まで歩く後姿を、未だ開いたままの口もそのままに見詰める。
扉の前で歩みを止めた弟君は、こちらをくるりと振り返り、最後に言った。

「あんたは特別名前で呼ばせてやるんだからな」

「…はあ」

そしてぱたりと扉は閉まり、またリビングには一人きりだ。
一体なんだったんだ。何をしに部屋へ来たんだ。頭の中にはハテナマークが飛び交っている。
とりあえず、香坂との噂は耳には入っていなかったことに安堵すべきだろうか。
彼の行動が読めずに首を捻るが、今はよしとしておこう。
わざわざ名前を呼べとそれを言いに来たわけでもないだろうに。
さすが香坂の弟なだけあり、言動も行動も不可解なものが多い。

「…風呂、入るか」

緊張から解き放たれ、脱力仕切った身体のまま、ふらふらとバスルームへ向かった。

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