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悪い知らせというものは、探す手間もなく自分の耳に入ってくるものだ。
香坂の弟君と薫が自室でバトルをしてから数日後、またもや暇つぶしに部屋へ遊びに来た薫は、ブラックの珈琲を口に運びながら思い出したように言った。

「あ、そういえばさ」

テレビに向けていた視線を薫へと移す。
柴田は今日も放課後着替えを済ませて何処かへ去ってしまった。

「なんだよ」

「香坂さんの話題、一年の間でも結構すごいよー」

「なんだ、それ」

「ほら、僕外部入学だったから、中学から東城の奴らが東城の色んな噂教えてくんの」

「なんて?」

続きを聞くのが怖いような気もしたが、薫を促した。

「香坂さんは年下からしてみれば憧れの先輩だってさ。その姿を校内で見れた日はラッキーらしいよ」

「は?神様か」

「似たようなもんじゃん?」

「あ、っそ…」

素っ気無い返事を返したが、心の中では悪態をついた。それは、香坂の中身を知らないから言えることなのだと。
確かに、表向きはいいかもしれない。美形だし、近寄りがたい高嶺の花的な要素もある。しかし、中身はただの俺様野郎で、見た目に反して子供っぽいところもある。
現実を知らないとはある意味幸せだ。
噂話に花を咲かせる一年共に言ってやりたい。香坂は君たちが思っている程の人物ではありませんよと。

「んで、楓ちゃんの話も聞いたよ」

「俺?なに」

「香坂さんのお気に入りだってさ。他に女性の本命がいるのだろうけど、男妾なんだって」

「はあ?俺はいつから愛人になったんだよ」

「さあ。面白い話題だったからあえて何も知らないふりして聞いたけどね。香坂さんクラスになると男も女も両方手を出すものらしいね?」

意地の悪そうな笑みを浮かべながら薫は言う。おもしろくて仕方がないといった様子だ。
そんな噂も、そんな情報も、できることなら耳にはしたくなかった。しかし、悪い噂というのはいつだって電光石火の速さで自分のもとへと届くものだ。

「香坂さんのお気に入りの楓ちゃんはすごい人らしいよ」

「…ああ、そうですか…」

最早聞くに堪えない。
何とでも言ってくれ。呆れというよりも、諦めの気持ちでテレビに再び視線を移したが、はっと気付いた。

「その噂って結構すごいのか!?」

「さあ。よくわかんないけど」

「まさか弟君の耳にも…」

「届いてるんじゃない?」

言われた瞬間、顔面からさっと血の気が引くのがスローモーションでわかった。
何て言い訳をしようかと、頭の中はそればかりだ。
まさか、実の兄と自分がそういう仲だと知れば、思春期真っ只中の弟君はどんな反応をするだろう。綾さんの耳にでも入った日には…。
世界が滅亡するに等しい衝撃を与えられ、開いた口が塞がらない。
人類が皆薫のような特殊な人物ではないのだ。博愛主義だからと傲慢に言ってのけるような肝は据わっていない。

「…やばい。非常にやばい…」

「時間の問題だし、いつかはばれるって」

「わかってたけど。ああ、どう説明すれば…」

「フォローしてあげてもいいけど?」

随分上から目線ではあるが、この際そこは突っ込まずにおこう。それどころではないのだ。
しかも、薫のフォローなど期待するだけ無駄だ。持論を振りかざし、ショックを受ける弟君にこう言うのだ。

『それくらいで騒ぐなよ。小さい男だな』

そして益々激昂する弟君に自分は半殺しにされるのがオチだ。
頭を抱えて唸れば、薫はカップを机上に置き、薄っすらと笑みを浮かべた。

「ま、色々大変そうだけど頑張って。じゃあ僕はそろそろお暇するよ」

最悪ばかりをまき散らして薫は扉へ歩いて行く。
人事だと思いやがって、と背中に悪態をつきたいところだが、その言葉すらも出てこない。
香坂弟が部屋へ乗り込んでくる日はそう遠くない。
殴るだけで気が済むのならばいくらでも殴ってくれて構わないが、それだけでは済まないとわかっている。
多感な時期に兄がホモでした、なんてあまりにも酷い話だ。

「…逃げたい…」

一人になった部屋でぽつりと呟いた。
とりあえずこの状況を打破する方法を見つけようと、携帯を手繰り寄せた。
電話をしたのは勿論香坂本人だ。
ワンコールで繋がったそれに、自分でも呆れるほどに動揺した声が出た。

「こここ、香坂!」

『…なんだよ』

電話の向こうで香坂はさも面倒と言わんばかりに溜め息を零し、こちらの動揺を益々煽る。

「おおお、弟君の耳に入ったかも!」

『なにが』

「俺らの関係!一年の間で噂になってるって!」

『ああ、そうかよ』

「そうかよじゃなくて!」

『わかってたことだろ』

「けど!いざそうなると…」

やけに冷静な香坂との温度差を感じつつも、この焦りをぶつけられるのは香坂しかいない。

『そんなに焦ることか?』

「焦るわ!実の兄がホモだと知ったらどれだけのショックを受けるか…」

『俺はホモじゃねえ。普通に女が好きだ』

「俺とつきあってたら同じことだろうが!あああ、どうすれば…」

『どうって…。別にお前がどうこうすることじゃねえだろ。とりあえず落ち着け』

「落ち着いてられますか!」

『付き合ってんのは俺らだし、京は関係ねえだろ』

「じゃあお前がフォローしろよ!」

『フォローって?好きになったものはしょうがねえだろって言えばいいのか?』

ああ、ダメだ。こいつに言っても無駄だった。自分を中心に世界が回っているのだ。弟だとしても、自分に反するものは排除していくのが香坂という男だ。
確かにこいつならば、男を好きになって何が悪いと胸を張って言うだろう。

『ぐだぐだ考えんなよ。お前は気にし過ぎだ』

「…もう、消えたい…」

『アホなお前が考えてもしょうがねえだろ。いいから早く寝ちまえ。そんで忘れろ。いいな』

ぶつりと切られた電話に、この薄情者と糾弾し携帯をソファに投げつけた。
少しは恋人の悩み相談に乗ってくれてもいいではないか。仮にも恋人なのだから。
こちらは香坂ほど肝が据わっていないし、世界は自分が法律なのだと思えるわけでもない。
いつ、あの扉から弟君が現れるかと思うと気が気ではない。
問われたら何と答えればいいのだろうか。
君のお兄さんとは良いお付き合いをさせて頂いていますって…?
まさか、そんな話しはできない。
頭を両手で抱え、ソファの上で蹲っていると、丁度柴田が部屋へ帰って来た。
今は憎き柴田でも、縋れるものなら縋りたい。涙目のまま相談に乗ってもらいたいくらいだ。人間窮地に立てば、愛も憎悪も同じものになるらしい。

「…なにやってんだお前」

上から見下す柴田を、半泣きのまま見上げた。

「…泣いてんのか?香坂先輩にでもふられたか?」

冗談交じりの彼の言葉に、いつもならば立ち上がって反論しただろう。しかし、今の俺にはそんな力は残っていないし、下らないじゃれ合いを楽しむ余裕もない。

「…柴田」

「…なんだよ、気持ち悪いな…」

「聞いてくれよ柴田!」

がっしりとその服を掴めば、益々柴田は眉間を寄せた。
尋常ではない様子に、とりあえず落ち着けと俺の両肩をぽんぽんと叩き、ソファに着いてくれた。

「んで?何で香坂先輩に振られたんだ?」

「振られてねえよ!」

「なんだ、つまんねえ」

そうだ。柴田はこういう男だよ。自分さえ幸せならばそれでいい。他人の不幸が蜜の味だと言うような薄情者だ。
けれども今はそれでもいい。この嘆きを聞いてくれるのならば、悪魔でも柴田でも同じことだ。

「…香坂の弟君に俺と香坂の関係がばれたかも…」

小さく呟けば、一瞬の間の後、柴田は素っ気無い返事を返した。

「あ、そう」

「あ、そうじゃねえよ!どうすればいいんだよ俺!」

「どうって…。どうもこうもないだろ」

「お前も香坂と同じこと言うのかよ!相談相手としても遣えねえ奴だな!」

「ぎゃーぎゃーうるせえよ猿」

「ゴリラに言われたくねえ!」

「しょうがねえだろ。お前と香坂先輩は付き合ってんだから。事実は事実だ。理解できないならそれはそれだろ」

「…弟君がぐれるかも」

「もうぐれてんだろ。何弟なんかにびびってんだよ。そういうのはな、正々堂々としてればいいんだよ。男同士だけど何が悪いんですかって開き直れ」

「お前も香坂タイプだったか…。繊細な心はゴリラには理解できないのか…」

「誰がゴリラだ。アホらし。聞いて損した」

柴田は言い捨て、ソファから立ち上がった。

「何処へ行く…!」

「シャワー浴びて寝るんだよ」

「俺を一人残す気か!」

「お前も意外と小心者だな。白い目で見られんのが怖いなら最初から香坂先輩となんか付き合うんじゃねえよ」

最後に彼が言った言葉は、刃となって心をずたずたにした。
確かにそうだ。
世間様の目が気になるのならば、最初から男と恋人同士になどならなければいい。
それほどの覚悟が自分にはなかったということだろうか。
一人残されたリビングで呆然としながら考えた。
香坂はそれでもいいと、自分を選んだのかもしれないのに、自分は小さなことでぐちぐちと女々しくも悩んでいる。
けれど、香坂ほど強くない。
客観性と主観性が違うとわかっている。社会はいつだって厳しいし、常に向かい風だ。
開き直った先に幸せがあるとも思えない。

しかし自分も男だ。ここで覚悟を決めなければいけない。
弟君に、どんなに蔑まれようと、軽蔑されようと、それでも香坂を離したくはない。
結論を言えば、そういうことなのだ。
結局のところ、自分と香坂の色恋沙汰の問題に他人が入る余地はない。
それが親兄弟であっても。
たかが高校だけの思い出作りや、ちょっとした出来心で香坂を選んだわけではないのだ。
きちんと好きだし、また彼もそうだと思いたい。
真摯になって想いを告げれば、弟君も納得してくれるだろうか。

香坂に言われたように、何も考えず、無心になって忘れるように努めた方がいいのかもしれない。
考えても仕方がないし、事実は事実だ。問われたら包み隠さず、本心を言おう。
それで納得してくれなければそれまでだ。

冷静でいられる心の一部分はそう言うが、けれども現実は異なり、眠れぬ夜を過ごす羽目になるだろう。

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