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入学式は、二、三年は参加しないので、その日は生徒会以外は休日となる。
ぱちりと眼を開けたのは十時を少し過ぎたところだった。
休日ともなれば昼まで眠る自分にしては、早起きだ。
それもこれも、今日という厄日に怯えているから。
新しい部屋にも漸く慣れてきた。
誰かが隣にいないというのは、若干寂しいものではあるが、柴田と一緒にいるのならば一人の方がましだ。
毎日、夕食後にリビングでテレビを見ていると、深夜近くに柴田が部屋へ帰宅する。
僅かな間共に過ごすのだが、相変わらず舌戦を繰り広げ、仕舞いには殴りあいの喧嘩になるのではないかと思うほどに、ヒートアップする。
勿論、そう思っているのはこちらだけで、柴田的にはこれもコミュニケーションの一つらしいのだが。
俺はとてもそんな風には思えず、自室の扉が開く度にファイティングポーズをとるのだ。
よろよろと覚束無い足でベットから下り、パジャマ姿のまま目覚めのコーヒーを淹れた。砂糖とミルクをたっぷり入れれば、自分流のコーヒーの出来上がりだ。
柴田はまだ眠っているのだろう。
休日は、俺と同じように昼近くになって漸く起きるようだから。
カップを持ち、ソファの上に三角座りをする。
適当にテレビのスイッチを入れ、今頃式はどうなっているのかと思った。
今の時間ならば、式も始まり、理事長の祝辞、来賓の祝辞、そして我らが生徒会長様の有馬先輩の祝辞と、堅苦しい言葉ばかりが並べられている頃だろうか。
前日の夜には、明日からよろしくと薫からメールが入っており、よろしくしたくないと思いつつも、まかせろと、兄貴らしい返事をした。
「あーあ…」
式が終わればSHRがあり、担任から学園についての説明や寮についての説明、部屋割り発表があり、その後各自解散。
自室へ足を運び、荷解きが始まるのだろう。
そのとき、薫は現実に向かい合わなければいけない。
犬猿の仲の香坂弟と同室で、一年間共に生活をしなくてはいけないのだと。
薫のことだから、あの手この手で香坂弟との同室をなかったことに、と戦略を練りそうなものだが、これは職権乱用の賜物であり、いくら薫が解決しようとしても、許可が下りるわけがない。
裏には、学園内の生徒で一番権力を持っているであろう木内先輩がいる。
香坂と一緒におもしろがって同室にしたのだろうが、本当にいい迷惑だ。
こちらの身にもなってもらいたい。
テーブルの上に置きっ放しにしていた携帯が短く震えた。
メールの差出人は香坂からで、夕方になったら薫たちの部屋へ遊びに行こうという内容だった。
自分の弟も含め、あの二人には関わりたくない。
でも見放すわけにもいかないし、薫の機嫌をとるのも兄の立派な仕事だと思い、それを承諾した。
駄々を捏ねるであろう薫を慰め、頑張ろうと励ましてやる。これぞ、兄の威厳というものだ。
昼近くになれば、柴田が寝室の扉を開け、まだ眠たいのか、瞳を擦りながらこちらへ近付いた。
「月島、コーヒー」
「てめえで淹れろ」
「ケチ」
「ケチじゃねえよ!なんで俺が!」
「だってお前俺の手下じゃん」
「お前の手下になるなら死んだ方がましだボケ」
既に日常茶飯事と化したこんなやりとりをしていると、柴田はコーヒーを一杯一気に飲みこみ、身支度を整えると機嫌良好の様子で部屋を去った。
あれですか、デートですか。
嫉妬なんかでは決してないが、柴田は女によくモテるという。
日替わりで女を変えてデートですか。いいご身分ですこと。
いや、決して嫉妬ではないのだが。
適当に部屋にあるもので昼食を済ませ、だらだらとソファの上で雑誌を読みながら時間を潰した。
時計に視線を走らせれば、午後の三時。
そろそろ薫と弟君がご対面していてもおかしくない時間だ。
そう思うと背中に悪寒が走った。
本気で、木内先輩を恨もうと思う。一生かけて根に持ってやろうと。
「楓ー」
ソファの上で腹ばいになっていると、ノックもなしに香坂が部屋に入ってきた。
「お前、一応ノックとか…」
「必要ねえだろ」
「お前と違って二人部屋だっつーの!」
「柴田なら別にいいだろ」
起き上がると、香坂は傲慢な仕草で隣に座った。長い脚を組みながら。
「お前さ、マジでおもしろがってんだろ」
「なにを」
「薫と弟君のこと」
「だって一つの部屋にまとめた方が便利じゃん」
「何が!」
「…色々?」
ダメだ。こいつ何も考えていない。
何が便利だというのだ。
香坂が進んで弟君の面倒を甲斐甲斐しく看るとは思えないし、一緒だろうが別だろうが関係ないと思う。
「俺の弟を不幸にすんな!弟君のせいで十円ハゲでもできたらどうしてくれんだよ!」
「そんなやわな性格じゃねえだろ。十円ハゲできるとしたら京の方」
確かに、その通りだけど。
しかし、決まってしまったとはいえ未だに納得できない。
自分の部屋割り然り、弟の部屋割り然り。
いや、まだ自分はいい。憎き柴田と戦っていればいいだけだから。
自分よりも弟の方が気になってしまうのは兄として当然の気持ちだと思うが、香坂に至っては、心配よりもいじって遊ぶことが可愛がり方だと言うのだから恐ろしい。
弟君も色々苦労しただろうにと、同情してしまう。
自分だったら、兄貴が香坂だったらグレると思う。
弟君の、あの挑発的で攻撃的な瞳は香坂が作り上げてしまったに違いない。
意外にも、兄から受ける影響というものは大きい。
「こっちは色々なことに悩んで神経すり減らしてるってのに」
「何に悩んでんだよ」
「薫のこともだし、柴田のこともだし!本っ当に余計な気回ししてくれたよな!」
「薫はともかく、柴田が同室で困ることないだろ」
「あるわ」
「なんで。奇襲かけられても守ってくれるぞ?」
「誰が奇襲かけんだよ!何時代だ!」
「色々考えた結果だ。文句言うな」
「お前何も考えてないじゃん。あー!もう柴田マジでやだ!ストレスたまる!」
「そんな嫌な奴じゃねえって」
「香坂たちにしてみればそうだろうけど」
「いいじゃん。どうせ柴田部屋にいねえだろ」
「夜遅くに戻ってくるけど…って、それじゃ奇襲かけられても意味ないじゃん」
「番犬みてえなもんだ。ほら、家の門に猛犬注意とかあると泥棒に入ろうと思わないだろ?」
「それちょっと違くね?」
今更香坂に愚痴っても、不平不満を言っても、現実は変わらないけど言わずにはいられない。
そんなに俺と蓮を引き剥がしたいのか、この男は。
「薫と京もなんだかんだ上手くやるって」
「楽しんでるだけだろお前」
「だって、お前は俺とお前の関係を京に知られたくねえんだろ?」
「まあ、そうだけど、何の関係が」
「薫なら頭いいし、そこら辺のフォローはしてくれそうだろ?もし、京に知られたとしても、薫がどうにかしてくれそうだろ」
「薫がそんな優しい人間だと思うか?」
「まあ」
「甘い。あいつは傷口に塩を塗り込んで爆笑するような人間だから」
「お前、マジで自分の弟とは思えねえ発言多いな」
「だって事実だもん。俺そうやっていじめられてきたもん」
「どうにかなんだろ。一年も同じ部屋で暮らしてりゃ、その内仲良くなるって」
「ますます仲悪くなるかも」
「かもな」
楽天的に考えられる香坂が羨ましい。
薫の本性を知らないからなのだ。
だってあいつ、どうしても気に入らない奴とかいたら完全犯罪でこの世から抹消しそうだし。
薫の心配というか、香坂の弟君が心配だ。
薫は馬鹿な生き物が大嫌いだ。そして弟君は薫が嫌がるタイプの真ん中だ。
勉強できる云々の話ではない。人間として馬鹿を薫は非常に嫌う。
弟君の、香坂譲りの傲慢な態度も気に喰わないだろう。
自分にとってなんの利益もないと判断した人間への態度は、冷酷なほどに徹底されている。
だから友人もできないし、人間関係を円滑に、荒波が立たないようにもできない。
「そろそろ行くか」
腕時計に視線を落とした香坂が言う。
行きたくない。行きたくない。心の中で唱えるが、けれども気になるのも事実だ。
「鬱になる…」
「お前はいつも考えすぎだ。可愛い弟っつっても、お前と薫は別の人間なんだから」
「わかってるけどさ。お兄ちゃんの苦労は絶えないのね…」
ぶつぶつと文句を言う俺の襟首を握ると、香坂は引き摺るようにして部屋を出た。
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