Episode18:新緑
何を何処から文句を言えばいいのかもわからない。
掲示板に張られた、寮の部屋割り一覧表を前に呆然と立ち尽くした。
「あー、部屋別々になっちゃったね」
始業式一週間前に発表される、新しい部屋割りを見に蓮と来たのだが。
隣で落胆する蓮の可愛らしさに胸をときめかせる余裕もない。
何故だ。
何故こんなにも生徒数が多いのに柴田と同じ部屋になってしまったんだ。
掲示板に両手を貼り付け、悪夢でありますようと願うが現実なわけで。
「何故よりにもよって!あれなら三上とかいう奴のがましだ!」
こんな悪戯があるだろうか。神は自分の何処を憎んでこんな仕打ちをするのだろう。
頭の中で神に十字をきってみるが、これは既に決定事項であり、何か大きな問題がない限りは部屋を替えることはできない。
「なんでだー!」
「楓、うるさいよ。どうしたの」
「俺!柴田と一緒じゃんかよ!」
「あー、あのちょっと恐そうな」
「蓮は!?蓮は誰!?」
「僕は、泉君っていう人。名前は順位表で見たことあるけど、話したことも見たこともないな」
「俺と部屋を替わらないか?」
「えー…柴田君怖そうだから嫌だよ」
ですよね。そうですよね。柴田と喜んで一緒の部屋になりそうなのは潤くらいなもので。
あいつもよく一年も同室でいられたものだ。しかも一年の部屋は一部屋しかないから、四六時中一緒だ。自分なら逃げだす。
二年の部屋はリビングの他にそれぞれに個室が備わっているし、自分の部屋に逃げ込めば大丈夫かもしれない。
しかし、同じ部屋の空気を吸っていると思うだけでも嫌気がさす。
悪人面で笑いながら見下す柴田を思い出し、勝手に苛々した。
「木内先輩の力をもってしてもこれは無理なのか」
頭を下げて、どうにかこの部屋替えを白紙に戻してほしいが、それは以前一度失敗に終わっている。
「まあ、部屋自体は僕たちとそんなに離れてないし。景吾とゆうきも別々になっちゃったけど、皆近いじゃん」
「俺もその泉なんとか君と同じ部屋だったらこんな文句も言いませんよ」
「でも、決まっちゃったことだから…」
「くそ…誰だ、これを決めたのは」
がっくりと肩を下ろし、半分泣き、半分怒るという珍芸を見せていると、後ろからぽんと肩を叩かれた。
恨めしげにそちらに視線を移せば、今正に時の人である柴田皇矢の姿がそこにあった。
「おう、同室らしいな。俺とお前」
「誰がお前なんかと同室してやるもんか!」
「俺も、どうせならもう少し静かなやつのがよかったんだけど」
「うるせえ!この俺様と同じ部屋になれることに感謝しろ!」
「こっちのセリフだ。猿が」
「誰が猿だこのヤロー!」
「キーキー言ってるところが猿っぽい」
こんな奴と一年間も同じ部屋で過ごさなければいけないのか。
ストレスがどんどん溜まって爆発する。
「楓」
今度は別の方向から名を呼ばれ、香坂と木内先輩の姿があった。
今すぐにでも香坂に泣きつきたいところだ。誰も見ていなければ。
「お前何騒いでんだ」
「だってこれ!部屋割り!こいつと一緒なんだよ俺!」
「ああ。俺が仁に頼んでそうしてもらったんだ」
「え…なんで?教えて!理由を教えて!」
「なんでって…柴田なら番犬にぴったりだろ?」
「ふざけんな!この元凶はお前か香坂ー!」
「喚くな。これはもう決定事項だ」
「汚え…職権乱用だ…」
「使えるもんを使っただけだ。柴田、こいつのこと頼むぜ」
香坂の言葉に柴田も思い切り嫌そうな顔をしている。
誰も俺の気持ちなんてお構いなしだ。
そんな風に裏から手を回せるのならば、今年も蓮と同じ部屋にしてくれればよかったのに。
ゆうきと景吾が離れたのも、俺と蓮が離れたのも、香坂たちが故意的にしたに違いない。
常々、友人関係にしては普通ではない、異常だと訴えてきた香坂たちだから。
だからと言って、こんな仕打ちがあるか。
お先真っ暗だ。せめて、クラスは柴田と離れることを祈ろうではないか。
「ああ、そういえば楓」
木内先輩に声を掛けられ、じろりと下から見上げた。
「お前の弟と涼の弟、お望み通り別のクラスにしたからよ」
その一言に、絶望的な気分でいたのが、一気に晴れた。
「マジすか!ありがとうございます!」
「おう。その代わり部屋は一緒にしといたからよ」
「てめえこのヤロー!」
もうやだ。木内先輩も香坂も、何を考えているのかわからない。楽しければそれでいい。おもしろければそれでいい。彼らの頭の中はそれで占めていて、相手の気持ちなんてちっとも理解しようとしない。
あの二人が同室というのは、自分と柴田よりもとても危ういもので。
嫌気がさして転校でもしてくれればいいのだが。
一通りの暴言を香坂と木内先輩、柴田にぶつけ、半泣きになりながら自室へと戻った。
この一週間を遣って部屋を綺麗に整頓し、尚且つ荷物を運ばなければいけない。
荷造りに勤しみながらも、苛々はおさまらない。
「木内先輩、一生恨む。俺のこともだけど、薫まで」
「まあ、薫君なら誰とでも仲良くできるよ」
「香坂の弟とは犬猿の仲なんですよ!?それでも笑っていられますか!?」
「…大丈夫だよ、きっと」
一生懸命な蓮のフォローも耳に届かない。
進級できた喜びなど遥か彼方へ飛び去った。今はただ、この先の不幸に身を縮めて怯えるしかない。
「楓も、どうしても自分の部屋が嫌なら僕の部屋に遊びにくればいいじゃん」
「…毎日お世話になる確率が高いんですけど」
「まあ、それはそれでいいんじゃないかな」
「もう、本当にやだ。先のこと考えると頭痛くなる…」
「そんな落ち込まないで。部屋自体は近いんだしさ」
「あー!もう!木内先輩のアホ!俺にはそんな権力ないとか言いつつも!あーあー!」
「楓、叫ばないで。どうどう」
「むしゃくしゃするー!」
ベットに拳を叩きつけながら喚くと、扉のノック音と共に景吾とゆうき、秀吉が顔を出した。
「お邪魔しまーす!見てきた?部屋割り!」
「ええ、見てきましたとも。そしてやさぐれ中ですとも」
「俺ね、学と一緒だったー!」
「誰、それ」
「麻生学。ゆうきと離れたのは残念だけど、学ならよかったかなーみたいな」
俺のベットに腰掛けながら景吾は満面の笑みで言った。
いいな。その学君とやらと交換したいくらいだ。
「ゆうきは誰とだった?」
「知らない奴」
「ゆうきの同室の苗字も結城なんやでー。紛らわしいやんな」
「ダブルユウキか!」
「あ、今楓ちょっとおかしいから気にしないでね」
「いつものことやろ?」
「秀吉は誰?」
「俺は三上」
「柴田と一緒なら三上の方がマジでましだし!」
「楓災難やなあ。柴田と同じなんて」
「わかるか秀吉!へたれでもわかってくれるか!」
「へたれは余計や」
部屋の中は、部屋割りとクラス替えの話で持ちきりになり、せめてクラスは一緒だといいねと、皆で口を揃えて言った。そうだ。部屋があれでもクラスまで柴田と一緒になったら、生きる気力をすべて奪われる。
しかも、二、三年はクラスが繰り上げだから、二年で同じになれば三年までということになるわけで。それだけは避けたい。
「ま、クラスが離れても部屋が離れても今年もよろしくってことでいいじゃん!」
景吾が締めくくろうとしたけれど、俺はいつまでもぐちぐちと文句を垂れ流した。
最早、誰も聞いていないけど。
その内、薫と香坂の弟君が同室という事実も、自分と柴田が同室という悲劇も、どうでもよくなってきた。
怒りがピークに達すると、人間は考えることを放棄するらしい。
どうにかなるさと、景吾が言うように頭の中でその言葉だけを並べた。
そうだ。どうにかなるさ。現実逃避をしていると言った方が正しいが、問題はさっさと見捨てることにする。
そして、決まった部屋へ数日かけて荷物を運んだ。
二つある寝室のうち、奥を勝手に自分の部屋と決め、段ボール箱に入った衣服やら生活用品を整頓していく。
柴田の姿はなく、どうせぎりぎりになって焦って来るのだろうと、それまでは一人部屋気分を味わうこととした。
入学式まで、あと三日。
それまでに薫対策を考えなければいけない。どう説得して香坂弟と仲良くやれと言おうか。
どうせ、何を言っても言い返されし、聞き入れてくれないだろうけど。
入学式前日、始業式が行われる。
真っ先に、五人でクラス表を確認しに行けば、残念ながら蓮と秀吉は別のクラスになってしまったけれど、ゆうきと景吾とはまた一緒になることができた。
秀吉たちと別れたといっても隣のクラスだし、また皆でご飯を食べることもできるからと励ましあった。
蓮の人見知りな性格からして、俺たちがいないのは不運だと思ったが、同室の泉とは既に打ち解けているようだった。
短時間で打ち解けるのは蓮にしては珍しいのだが、余程波長が合う人物だったらしい。
長ったらしい始業式を終え、教室に入る。
適当に三人固まって席に腰を下ろした。
すると、名簿を持った浅倉がネクタイを緩めながら教室に入ってきた。
「はいはい、皆席につきましょうねー」
「また担任浅倉かよ!」
言えば、それはこっちのセリフだと返ってくる。相変わらず教師にあるまじき発言だ。
ざっとクラスメイトを見渡してみても、良くも悪くもノリが良さそうな奴らばかりで、クラスは外れではなかったらしい。しかも、担任が浅倉とくれば。
「今日から一年お前らの担任を任されました、浅倉です。去年担任した奴らもこのクラスには多いからわかってると思うけど、問題は絶対に起こさないように。マジ面倒だから」
浅倉が言えば、ブーイングの嵐だ。
「生徒のこと一番に考えろ適当教師ー」
「浅倉相変わらずやる気ねえー」
「はいはい、うるさいよ子供たち。先生が若くして禿げたら君たちのせいにするからね」
「関係ねえだろ俺らは」
「関係ある。ストレスと毛根は密接な関係にあるんだから。じゃあHR終わりな。席替えは適当にやって。先生は職員室に帰ります」
浅倉の適当具合は相変わらずだ。
しかし、他の先生が担任になるくらいならば、浅倉はましな部類だ。
どうせならば学園のアイドル、音楽教師の高橋先生が担任になればもっと薔薇色の高校生活だったのだろうが、高橋先生は秀吉たちのクラスの担任になったようだ。
俺もあっちに行きたい。
秀吉のクラスは優秀な生徒ばかりなので間違っても行けないけれど。
席替えは浅倉が言ったように、自分の好きなところに座ることで話が纏まり、俺たちは窓際の後ろを選んだ。
俺の後ろには景吾、その隣はゆうきだ。
本当ならば、俺の隣に蓮がいてくれれば嬉しかったけれど、今更駄々を捏ねても仕方がない。
なんと言っても俺の隣はお祭り男である晃だ。
去年も同じクラスで、景吾と仲がよかったこともあり、俺も普通に仲良くしていたけれど、これは相当賑やかなクラスになりそうだ。
いや、自分の心配よりも薫の心配だ。
明日は入学式。母親と共に東城へ参戦するであろう我が弟を思って、深い溜め息を零した。
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