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「…で、なんでお前がいるんだよ」

「なんでって…香坂さんに呼ばれたから」

ソファの上でにっこりと微笑みながらも相手を威嚇する薫と、リビングの扉の前で項垂れる弟君の対照的な様子を見て、どっと疲れたのは自分だと思う。
香坂はつい数時間前に言った。

「そういえば最近薫の顔見てねえな。呼ぶか」

もう二度と薫と弟君の間に挟まれたくない。薫など絶対に呼ばないと抗議をした。
その度に弟が可哀想だとか、受験でストレスが溜まっているのにとか、優しくない悪い兄貴だとちくちくと詰られた。
自分だって弟君をからかって遊んだり労わる言葉の一つも掛けないくせに。
香坂に比べれば自分の方が兄貴としてましだと声を大にしたが、それならば自分で呼ぶからいいと言われた。
いつの間に薫の携帯番号を知ったのか。
二時間も経たない間に薫はこちらに到着し、香坂とリビングのソファに座りながら談笑したり、勉強道具を持ち込み、香坂から個人レッスンを受けたりと、とても楽しそうだ。
もしかしたらこいつ、俺よりも薫の方が好きなんじゃ…。と邪推してしまうほどに仲が良く、二人の放つ雰囲気も穏やかなものだ。
夕飯のメニューに香坂が注文をつけてきて、肉じゃがを作るためのじゃが芋の皮をむく俺などほったらかしだ。
カウンターからそんな二人を見て苛立つのは兄として情けないけれど。
そういえば昔から薫は俺のモノを横取りするのが好きだった。大のお気に入りの玩具は喧嘩しながら力ずくで奪われ、そして泣き叫べば母に言われるのだ。

「お兄ちゃんなんだから貸してあげなさい」

母に甘えたくなり擦り寄れば、薫が俺を押して母の胸を独り占めしてみたり。
それならばと父の方に向かえば、薫もまた父に甘えだすのだ。
強かに笑みを浮かべていつも邪魔をされてきた。
それでも嫌いになれず、今に至る。
お互いだいぶ大人に近づいてきて、昔のように喧嘩をしたり、物を取り合ったりはしなくなったが、たまにこうして思う。
もしかしたら香坂をとられてしまうのではないかと。
香坂に限って俺を捨てて薫へ…なんてことはないと信じたい。

「兄貴、教えて欲しいんだけど」

「どれ」

「ここ」

三人並んで教科書を広げるのは微笑ましい光景かもしれない。それが、薫と弟君の仲がよければ。

「…そんなとこもわかんないの?」

見下したように薫が言えば、弟君の額に青筋がたつ。

「じゃあお前ならできんのかよ!」

「当然じゃん。君とはここのできが違うんだよ」

人差し指で自分の頭をとんとんと叩き勝ち誇った様子だ。

「んだと手前!」

「はいはい、喧嘩しないように。面倒くせえから京も薫に教えてもらえよ」

「は?なんで俺がこんな奴に!」

「僕だってできの悪い奴教えるのは嫌だな。だって何百回同じこと言ってもすぐに忘れそうだもんね、君」

「…お前、一回ぶっ殺す」

「頭が足りなさ過ぎてできないんじゃない?」

薫と弟君が顔を合わせればいつだってこうだ。喧嘩が始まり自分が仲裁しなければならない。
香坂はおもしろくていいじゃないかと傍観を決め込むからだ。
今回は何回仲裁しなければいけないのかと思うと頭痛が響く。
すべての野菜をむき終わったところで、未だに舌戦が続く二人のもとへ行こうとすると、リビングの扉が開いた。きっと、綾さんが帰って来てくれたのだと、安堵してそちらを見れば、益々面倒な人が立っていた。

「…木内、先輩…」

「おう、なんだ、楓もいたのか。涼、綾さんは?」

「会社」

「なんだ…親父に頼まれて出産祝い持ってきたんだけど」

「まだ生まれてねえのに?」

「名目はなんだっていいんだよ。とにかくおめでとうってことだ」

「…相変わらずだな、お前の親父も」

香坂に分厚いご祝儀袋を投げつけた木内先輩は、エプロン姿の俺を瞳に映すとにんまりと微笑んだ。

「楓若奥様ごっこか?」

「いや、これには深い理由がありまして…」

「楓に晩飯作ってもらってんだよ。こいつ意外に料理できるから」

「じゃあ俺もご馳走になってみようかな」

ああ、面倒くさい人が増えた。
しかし愕然としていたのは自分一人で、薫は木内先輩をじっと見詰めて値踏みしている。
敵に回すか、味方にするか、頭の中で猛スピードで計算しているに違いない。

「楓、俺コーヒー」

「…はいはい」

香坂先輩と木内先輩はさすが幼馴染なだけあり、言動も行動も似たところが多い。
こうして命令口調で人に物を頼むところなんてそっくりだ。

「で、こいつは?」

薫を見た木内先輩は言った。

「楓の弟」

「お前、弟なんていたんだな…あんま似てねえな」

「薫は母似で、俺は父似なんで」

「ふーん。東城に入るのか?」

「そのつもりです」

「そうか、じゃあ俺の後輩だな」

「薫、仁は東城の理事長の息子だぞ」

「へえー!そうなんですか」

あ、決まった。敵に回すか、味方にするかがその一言で。味方になることが決定したらしい。
その証拠に薫は猫を被った満面の笑みを見せた。
この顔には俺も弱い。ひ弱な小動物を彷彿とさせるのだ。実際は羊の皮を被った狼なのだが。

「京はちゃんと勉強してんのか?コネじゃ入れねえぞ」

「してるよ…」

弟君は唇を僅かに尖らせ、気恥ずかしそうに俯く。

「京が来るのを楽しみにしてんだ。ちゃんと合格しろよ」

「…ちゃんと勉強するから大丈夫」

「そうか」

木内先輩は弟君の頭を撫でくりまわすと、弟君は微かに頬を染めて眉間に皺を寄せた。
照れを誤魔化すように木内先輩の手を振りほどこうとするが、先輩は面白がってますます豪快に撫でている。

「どうぞ」

先輩の前にカップを置けば、サンキュと短い礼があった。

「先輩、ゆうきは?」

「ゆきは寮。相変わらず景吾にべったりだ」

不貞腐れたように言うその姿に、あの木内先輩もゆうきには敵わないのだと思うと内心嬉しくなった。何かに勝った気分だ。別に俺が得意になる必要はないが。

「京、東城に来てもゆうきには惚れんなよ?」

「…誰それ?」

「楓の友達。びっくりするくらいの美人だ」

「けど東城にいるってことは男なんだろ?」

「甘いな、京。あれは男でもいいかって思わせるくらいの上玉だ」

「だからって男になんて惚れねえよ。俺彼女いるし」

「ませガキ」

肉じゃがを作りながら交わされる会話に耳を立てた。その都度、うんうんと頷きながら。
いくら彼女がいるといえども、その固定概念、東城にくればひっくり返されるときもある。
ゆうきといい、神谷先輩といい、その美しさを目の前にすれば木内先輩の言葉に頷くだろう。

「ゆうきって、真田ゆうきさんですか?」

「知ってんのか?」

「楓ちゃんの写メで見たことあります。すごく綺麗な人」

「そうそう、あれは俺のだから横取りすんなよ?」

微笑を浮かべて言った木内先輩の言葉に薫はすんなりと頷いた。
が、弟君は口をあんぐりと開け瞳を数回瞬いている。

「…俺の、って……」

「だから、俺のだ」

「仁兄そんな趣味あったのかよ!いつも綺麗な女引き連れてたじゃん!」

「昔の話だろ?」

「…仁兄が…ホモ…?」

「なんだそれ。俺はホモじゃない。どっちもいけるだけ」

「…頭の、整理が…」

綾さんに子供ができて大きなショックを受けていたのに、ここにきて憧れの仁兄の恋人が男だと知ったら、ますます弟君はショックで寝込むのではないか。余計なお世話だけれども。

「京、男だ女だって拘ってるうちはまだまだ青いぞ」

「…でも、男って…」

「性別なんて関係ねえよ」

ああ、きっと、弟君はショックのあまりに熱でも出してそして寝込んでしまう。
受験が控えているというのに可哀想だ。こう、畳み掛けるような出来事ばかり。
俯いた弟君に同情をしたが、次に出た言葉は意外なものだった。

「……仁兄…なんか、カッコイー」

おいおいと、心の中で突っ込んだ。
木内先輩ならば何をしても、どんなことでも、きっと弟君にしてみればカッコよく見えてしまうのだろうか。
これは最早、木内先輩の信者と言っても過言ではない。そんな生徒は東城にも多いが、やはり木内先輩は男を魅了する何かを持っているらしい。男が惚れる男ってやつだ。
落し蓋をしながら、味噌汁とほうれん草のお浸しを作る。それよりも勉強をしてくれと願う兄の気持ちは届かない。

「真田さんって、CM出ましたよね?」

「おー、そうそう」

「テレビ見て、似てるなーって思ってたんだよね。先輩も出てましたよね?」

「あー、まあ…」

「仁兄と一緒に出てた人!?あの人!?」

「だから、あれがゆうきだ」

「…会えるの楽しみかも…」

「ゆうきは譲れねえからな。惚れんなよ」

「惚れないって。でも綺麗な人だった…」

「だろ?」

自分の恋人を誉められて気分を害する人はいない。木内先輩も満更ではなさそうな様子で鼻を高くする。
自分にとってもゆうきは自慢の友人で。
無表情で無口で、何を考えているかは未だにわからないし、友人である俺ですらゆうきの笑顔は貴重だと思うほどに、感情を表には出さない。
しかしながら、本当は誰よりも傷つきやすくて繊細で、友達想いで…そんなゆうきだからこそ、こうして仲良くやっていけているのだと思う。
香坂や木内先輩からは、俺たちの友情は普通ではないと言われるが、それがどうした。
友達以上恋人未満が、俺たちには一番お似合いなのだ。

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