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最近追加された習慣は、週末予定がない日は必ず香坂の実家へ向かうこと。
日々成長を続ける綾さんのお腹の中の赤ちゃんに会うためと、綾さんの手助けをするためだ。
家事全般は一応できるし綾さんも助かると喜んでくれている。
香坂も決まってついてくるのだが、少しも働こうとしないので俺の中でも綾さんの中でも、大きく邪魔な荷物として認知されている。

今日も金曜から香坂家に居座り、土曜日の朝の清々しい風を全身に浴びながらスーパーまで買い物に出かけた。香坂はなかなか起きようとしないので、綾さんに買い物リストとお金をもらって一人で近所を探検気分だ。
しかしながらこの街は非常に坂が多く、尚且つ急勾配だ。
これは妊婦には辛いだろうし、お年寄りにもあまり優しくはない。
けれどもここに住んでいる限りは車での移動が当然なのだろうし、坂の頂上へいけばいくほど、お金持ちの証しとして坂もステータスの一部となっている。
そんなものに関心がないこちらにしてみればこの坂は大迷惑だけど。
片手に持ったエコバックからは、野菜がひょっこりと顔を出している。
散歩と運動を兼ねているから、これくらい高校男子にとっては何てことないお手伝いではあるが、やはり家に戻る頃には肩で息をした。

「…やっと、着いた…」

オートロックの門に、六桁の暗証番号を入力すれば自動でゆっくりと門が開く。そして玄関も同じように暗証番号を入力して開けるのだが、この数字を覚えるのも一苦労で携帯にメモをしている。

「綾さん、帰りましたよ」

リビングに顔を出せば、本を開きソファに座る綾さんと視線が交わる。

「お帰りー。本当に助かったわ。ありがとねー」

「いえいえ、これくらい!」

「そこら辺に置いてくれればいいから」

「はい」

まさか、人様の冷蔵庫を勝手にあけるわけにもいかず、キッチンカウンターにバックを置いた。
すると、綾さんが寒かっただろうと温かいコーヒーを淹れてくれる。
ソファに二人で戻り周りを見渡すが、香坂と弟君の姿はない。どうやらまだ眠っているようだ。お昼も過ぎているというのに。

「綾さん何の本ですか?」

「これー?これね、赤ちゃんの名前が載ってる本よ」

「あー、そっか、名前…って、まだ性別わかんないのにですか?」

「どちらも考えておこうと思って!」

「へー、なんか楽しそうですね」

「でしょー?楓君も何かいいのあったら言ってね」

とは言われたものの、香坂家の息子の名前といえば、涼と京。どちらも男らしいカッコイー名前だと思う。楓という自分の名前はあまり気に入っていない。どちらかと言うと楓という響きから連想されるのは女性ではないだろうか。もう少し男らしい名前が良かったといつも思う。
香坂兄弟はどのような過程でつけられた名前なのだろうか。

「涼って、なんで涼なんですか?」

「涼はねー…私が高校生の頃憧れてた人が"りょう"って名前だったの。だからそこからとっちゃった。字は違うんだけど」

微笑みながら綾さんは言うが、それをおじさんが聞いたら激怒してしまうかもしれない。
なんといっても、高校生である俺に嫉妬するくらいに綾さんを愛しているのだから。

「…じゃあ弟君は?」

「京はー…色々考えたんだけど、段々面倒になってきて、涼の漢字から一つとっただけー」

「なるほど…」

これもまた、安易な考えではあるが、似合っているから文句も言えない。
名前は一生ものだし、きちんと考えるべきなのだろうが。
うちの母など、出産後入院しているとき窓から楓の木が見えたから楓とつけたと悪びれもなく言うのだ。
そんな名前のつけかたあるかと抗議をしたが、その適当加減が母らしい。

「女の子だったら可愛らしい名前がいいわー」

「そうっすね!女の子らしいのがいいですね!男だったらー…」

「男の子だったら…そうねえ…なににしようかしら…」

最近は変わった名前も多いし、何でもありのような気もするが、涼、京ときているのだから、関連性のあるものがいいかもしれない。

「けど、なーんか女の子のような気がするの。だからさっきから女の子のページばっかり見ちゃって」

「あ、俺もです。俺も女の子のような気がします!」

「やっぱりー?どちらも一文字だから、一文字の漢字で可愛いのがいいんだけど…」

「可愛い名前かあ…」

「桜もいいなーって思ったんだけど、涼が悲しがっちゃ可哀想だしね」

「あー…そう、ですね…」

桜さんのことは別に気にしていないけれど、複雑な部分もある。

「色々考えなきゃ!息子はあの通り、全然協力してくれないから、楓君だけが頼りだわ」

「いや、俺も大したことできませんけど…」

「そんなことないわよー。家事やってくれるし。すごく助かってるのよ?」

「それくらいは…妊婦さんは労わらなきゃ罰当たりますって」

「さすがだわー。楓君はきっといい旦那様になれるわ!」

「はは…」

自分が旦那と呼ばれるのは非常に違和感がある。未来などわからないし、いつかは、もしかしたら普通に結婚して、自分の子供ができるのかもしれないが、今は香坂で手一杯で先など考える余裕がない。

「私ちょっとお昼寝するわ…もう、眠くて眠くて……夕飯は何か美味しいもの食べにいきましょ!手伝ってくれるお礼がしたいし」

「そんな、気にしないで下さいよ。綾さんは自分の身体を考えてくれれば俺それでいいですから」

「私も気分転換に外出たいの。デートしましょう!」

「…綾さんがそう言うなら…」

「よかった。それまでは涼と遊んでて。うちの馬鹿息子はまだ寝てるみたいだけど」

「はい、わかりました」

本を閉じ、リビングを抜ける綾さんはぶつぶつと兄弟に対しての愚痴を並べながら寝室へ向かった。
香坂の部屋に戻っても何もすることがないため、綾さんが置いていった本を手にとった。
様々な名前が並び、季節ごとにわかれていたり、字でわかれていたり、一日読んでいても飽きなさそうな本だった。
字画や苗字との合わせ方も考えると、名前は難しいものだ。

「…女の子だったらやっぱ可愛い名前がいいな。愛ちゃん、とか?華とか綺麗な漢字だし…うーん…」

一人で悩んで唸っていると、突然上から本を取り上げられてしまった。
そちらに視線を移せばパジャマ姿の香坂が欠伸をしながら立っていた。

「何読んでんだ?」

「名前の本。それより寝すぎ」

「しょーがねえだろ、若いんだから」

「関係ねえだろ!」

「楓、俺にもコーヒー」

「…へいへい…ってかお前の家なんだから自分でやれよ、それくらい…」

「なんか言ったか?」

「いえ、別に!」

悪態をついても結局敵わないのだから仕方がない。
マグカップにコーヒーを注げば、今度は弟君が同じようにパジャマ姿でリビングに顔を出した。
どうせだから弟君の分もと、マグカップをもう一つ用意する。

「はい、どうぞ」

並んで座る二人にそれぞれ差し出せば礼の一つもない。さすが兄弟。奉仕されるのが当然と思っているところが憎たらしい。

「へえ、結構おもしろいな、この本」

香坂が意外にもその本に興味を示し、ぱらぱらとページを捲っている。

「なに、それ」

「名前の本。赤ちゃんの名前決めんだろ」

「あー、そっか…」

対照的に弟君は興味なさげだ。ブラックのコーヒーを啜りながら目を擦っている。
くまがはっきりとできているところを見れば、きちんと勉強に励んでいるらしい。
一息ついたら洗濯物を片付けて、それからお風呂の掃除も今のうちにしておこう。夕飯は外食をすると言ってたからいいとして。
コーヒーを飲み込みながらこれからの予定を頭の中で整理した。香坂と遊んでと綾さんは言っていたが、香坂と遊ぶなら家事をした方が余程有意義だ。

「楓くーん」

寝室に向かったはずの綾さんの声がリビングの扉が開くと同時にして、そちらに首を捻った。

「ごめん、会社から電話がかかってきて、私今からそっち行かなきゃいけないの。夕飯は涼たちと行ってきて頂戴」

「わかりました」

「ごめんね、本当に…」

「いえいえ!全然気にしてないっすから!」

「ありがとー。今度はちゃんとデートしようね」

最後にウィンクをして、ぱたぱたと出かけて行く綾さんを見送る。
また香坂と二人で外食することになりそうだ。

「今日も外食かよ…おい、楓、夕飯お前作れ」

「は?俺?」

「そう、久しぶりに食いたい」

「…別にいいけど…」

弟君も食べるかと質問すれば、どっちでもいいと、素っ気無い返事が返ってきた。
料理は嫌いではないし、美味しいと言ってくれたときのあの嬉しさを思えば、なんてことはない。

「…あんた料理できんの?」

「まあ、普通には…」

「こう見えて楓の飯はうまいぞ」

「こう見えてってどういうことだ…」

「へえー、意外な特技ってやつ?んじゃ、楽しみにしてるわ」

弟君はソファを立つと手をひらひらとさせながらリビングを出た。きっとまた勉強に入るのかもしれない。受験生は本当に大変だ。

「で、香坂はいつまでパジャマのままなんだよ」

「…別にいいじゃん。出かけるわけでもないし…」

「よくない。顔洗って歯磨いてしゃきっとしろ!」

「…お前、綾みたいだな」

「ぐちぐち言わないでさっさと行動する!」

だらだらと過ごすのも好きだが、弟君もいるとなれば、そういう雰囲気に持ち込みたくはない。
香坂のことだから聞こえないから大丈夫、とか適当な言い訳をしていいように扱うのだ。昼間だろうと、夜だろうと。

「あ、これいいじゃん」

しかし、彼はこちらの忠告も無視して本を指差した。

「なに?」

隣に寄り指差したところへ視線を移す。

「雛…?」

「そう、可愛いだろ?」

「…まだ女の子って決まったわけじゃないけど…」

「だってお前も綾も絶対女だって言うじゃん」

「まあ…けど、うん。可愛いかも。雛ちゃん」

「だろ?俺が決めたんだから可愛いに決まってんだよ」

「…決まったんだ…」

「当たり前だ。はい、決定。妹の名前は雛でいく」

「ああ、そう…」

香坂は上機嫌で本を閉じると、鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気で洗面所へ向かった。

「雛ちゃん、か…香坂雛……可愛いな…」

彼のことだから奇抜な名前を好むのかと思いきや、女の子らしくて、可愛らしい名前ではないか。
自分もとても気に入ったし、綾さんも気に入ってくれると嬉しいなと微笑んだ。

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