4

「…今度は何故に機嫌が悪いのですか…?」

溜め息を呑み込み香坂に問いかけると、勢いよくソファから立ち上がり俺の腕をきつく掴んだ。

「な、なんだよ…!」

緊迫した形相に驚き、逃げ腰になる俺を香坂は力ずくて引っ張ると、ベットの上に放り投げた。

「だからなんだよ!」

このパターンはこちらの意思とは関係なく、無理矢理抱かれるのだろうか。
そうなるとこの男、止まるという言葉を知らずに気絶するまで続けるものだからどうにか回避したい。
じりじりと近付く香坂に、腕をクロスさせ防御のポーズをとってみたが、意外にも香坂はそのまま俺をきつく抱きしめただけだ。

「こ、うさか…?」

意外すぎる行動に呆気にとられる。
ぽかんとだらしなく口を半開きにしたまま、されるがままだ。

「…どうしたんだよ」

「…むかつく」

「は?俺が?」

「全部」

それは子供のような言い分だ。
けれど、俺様香坂様には何もかもか癇に障るときもあるのかもしれない。
気が済むまで力強く施錠した香坂は、そのまま横になりこちらの顔に手を伸ばすと唐突に抓んだ。

「いでっ!なんだよ!」

「むかつくんだよ」

「だから何に!」

「なんか…いや、やっぱいいわ…」

「なんだよ、気持ち悪いな…」

本音を隠そうとするのはいつものことだ。
気になって仕方がなくて無理矢理でも聞き出したい。しかし彼は話したくないときは絶対に話さない。それをわかっているから、無理には聞かない。
俺の顔を抓ってみたり、髪を撫でてみたり、好き勝手に遊ぶ香坂に我慢もしていたが、こちらもそんなに暇ではない。
香坂の腕を振り払い、上半身を起こしてみたが香坂がそれを許さない。
腕を引かれ、またもやベットの上へと逆戻りだ。

「俺帰りたいんですけど…」

横になりながらも向かい合い、ぼそりと呟けば香坂は目を丸くした。

「お前、帰るのか?」

「ああ、正月も近いのに人様の家にいるほど俺は常識外れではないんで」

「…今日帰るのか?」

「その予定」

「だめ。朝も言っただろ。今日は泊まれよ」

「なんで」

「どうせ親父も綾も今日は泊まってくるだろうし、いいだろ」

「…でも」

「でもはなし。絶対に泊まれ」

「…じゃあ明日は必ず帰るからな」

こんな風に香坂が俺を求めるのは珍しい。
お前の好きにしろ、と自分からは求めない奴だ。
引止めるという行為が大嫌いなはずなのに。
なんだか、今日の香坂は甘えん坊だ。

薫と弟君に遣えるだけの気を遣ってしまった俺は、精神的にかなり疲れていたようで、ベットに横になると眠気がだんだん襲ってきた。
布団の中にもぐりこみ、瞳を瞑ろうとしたが、またもや子供に退行してしまった香坂に邪魔をされる。
香坂も布団の中にもぐりこんできた。

「…お前、どうしたの?なんか変じゃね?」

「別に、いつもと変わんねえだろ」

「いや、全然違いますけど。なんか…余裕がないっていうか…」

言った瞬間香坂は黙りこくってしまった。
禁句かもしれないと気付いたが後の祭りだ。
またもやこいつの機嫌とりに翻弄される羽目になるのは勘弁だ。

「…離れてたから…」

小さく呟いた言葉は聞き取れなくて。

「…なに?」

「…離れてたからだよ。なんか、お前がどっか行きそうな気がする…」

弱気な発言をするなんて、本当に今日の香坂はどうにかしている。
完璧しか見せない男なのに。自分の弱味など、決して他人には悟らせない男なのに。
しかし、そんな香坂にがっちりと心を掴まれる俺は、誰よりも単細胞な生き物だ。

「…どこにも行かねえよ」

香坂の頬を両手で包んだ。俺の意思では絶対に香坂からは離れない。否、離れられない。
俺の言葉を噛み締めた様子の香坂は、瞳を伏せた。長い睫毛が影をつくる。

「お前が言うとおり、なんか余裕ねえんだよ。そんな自分にむかつく。お前が京と話してるだけで気に入らない。嫌なんだよ。こんな自分…」

香坂の本音に言葉が出なかった。
それは、常日頃俺が感じている想いと同じだったから。
相手を信じていないわけではない。
誰よりも信頼している。
けれど、いつもどこかで相手を疑って、周りの人間すべてが敵に見えて、誰にも香坂をとられたくなくて。だから、姑息な手段を選んだりして。
けれど、そんな自分が嫌いで嫌いで仕方がなくて。
自己嫌悪に陥って、情人に八つ当たりをしてしまって。
また、自己嫌悪に陥って、いっそのこと憎んだ方が楽なのに、それでも嫌いになれなくて。

「香坂…」

言葉にするのは難しい。だから香坂を抱きしめた。
自分からは珍しく優しいキスを一つ贈る。

「どこにも行かねえし、お前を好きだから」

こんな単純でシンプルな言葉しか思い浮かばない。
色んな言葉で飾り付けても、結局は好きという気持ちしか伝わらない。それすら伝わらないかもしれない。
香坂の瞳を見詰めた。
綺麗な琥珀色をしたそれに、何度吸い込まれそうになったことか。

「お前だけだから」

素直に伝えれば香坂が微笑んだ。

「俺も」

言葉でお互いの気持ちを確認するのはなんだか気恥ずかしくて、あまり得意ではなかった。
けど、言葉に出さなきゃいけないときもある。きっと今がそう。
お返しとばかりに、香坂も俺の唇を奪った。
見詰め合うだけで、触れ合っているだけで、幸せすぎて恐かった。
以前は、傍にいるのが当然で、手を伸ばせば触れられて、そんな毎日が平凡すぎて忘れていた。
触れるのを許された存在というのは、尊いものなのだ。
それを思い出したから、だからこんなにも胸が満たされ、幸せで仕方がないのかもしれない。
じわりと涙が滲みそうになった。
香坂がこんなに近くにいるのに、それでも足りなくて、近くにいるからこそ、遠くにいるように感じる。そして、近づいて欲しいからこそ、もっと、もっとと求めるのだ。
好きだ。度が過ぎると碌なことはないとわかっていながらも、気持ちを封じる方法がない。

「お前、痩せたな」

腰に手を回した香坂が呟いた。

「…すぐに戻る」

まるで、それは自分のせいだと言わんばかりに悲しそうな顔をした香坂を見ていられなくて、笑って誤魔化した。

「ほんとに、悪かったな。俺のせいで」

「お前のせいじゃないだろ」

「いつもの俺ならあんなことしなかったのに、お前に別れるって言われて気が動転したんだ」

「…誰も悪くない。今一緒にいれるんだから、いいじゃん。その分、大事なことわかった気がするし」

「…まあな。お前に励まされるとは…」

「どういう意味だよ!」

「お前もガキじゃねえんだよな」

「当たり前だろ。お前と一つしか違わない」

香坂からしてみれば、歳の差は一つでも、その一つには果てしない距離があるのかもしれない。精神年齢は人それぞれだ。
けど、俺だって多少大人になっていると思う。蝸牛の歩みかもしれないが。

「そうだよな」

今日の香坂はよく笑う。こんな風に柔らかく笑うのは珍しい。
そのたびに、胸が締め付けられることを知っているのだろうか。
そのたびに、また惹かれていくことを知っているのだろうか。

どうしようもなく相手が欲しい瞬間は、恋人同士ならば誰しもが抱く感情ではないだろうか。それが一方通行の場合もあるかもしれないが。

今、俺は香坂が欲しい。
世界中でこいつしか見えないほどに。
けれど、それをどう表現していいのかはわからない。
まだ夜というには早すぎる時間で、向かいの部屋には弟君もいる。
状況は良好とは言えないが、冷静な判断の裏に潜む欲望には勝てない。
香坂の首に自分の腕を絡ませ、じっと瞳を見詰める。
これだけでわかってくれなんて言わない。
言葉にしないといけないことだとわかっている。
今日くらいは素直になれよと、もう一人の自分が言っている。
そして、珍しくもそれに賛同する。

「香坂、あの…」

「なんだ?」

「えっと、そのー…」

「なんだよ、煮え切らねえな」

「なんていうか…」

言葉というのは難しいもので。
同じ言葉でも、聞き手によって捉え方が違うからこそ、慎重に選ばなくてはいけない。
語彙が豊富ではない自分にはとても難しい。
その内、だんだん苛々してきた。こんな自分にも、察してくれない香坂にも。

「あー!イライラしてきた!わかれよ!」

「逆ギレか?」

ふっと笑った香坂は、身体を起こし覆いかぶさった。

「アホか、わかってるに決まってんだろ」

ニヒルに笑う姿すら今は愛おしい。
悔しくて、香坂の胸倉を掴み強引にキスをした。

「久しぶりなんだからちゃんと労われよ」

「さあな、お前から誘ってきたんだし、どうなっても文句は言わせねえけど」

そんな風に言っても、実際はちゃんと優しくしてくれるだろう。
丁寧に、壊れ物を扱うように抱いてくれるときもあれば、情熱に任せて乱暴に抱くときもある。どちらも好きだとは、本人には言ってやらない。
見詰めあい、笑いあった。
くすぐるような香坂の指が気持ちいい。
じゃれ合っているだけで幸せ。
たまにはこんな情事もいいだろう。



「腰、めっちゃ痛え…」

「自業自得だ」

全裸のままベットにうつ伏せになる。少しでも腰のだるさを緩和しようと思うが、対処法はまだ知らない。
香坂は下だけスウェットをはき、ベットに腰をかけている。
俺の髪を優しく撫でてくれる指が心地よくてこのまま眠れそうだった。

「こんなに大変なもんだったっけ…?」

「お前も大変だと思うけど、俺だって大変だ。普段使わない筋肉使ってんだから」

「それこそ自業自得。俺を楽しませるためには当然の苦労なのだよ、香坂君」

「お前何様だ。逆になってみるか?お前だったら足つったとか言い出すぜ」

「逆…」

それはつまり、俺が抱く側で香坂が抱かれる側…。
一瞬でも想像した自分を憎んだ。なんというか、気持ち悪い…。
女のポジションが気に入らないと常々思ってはいたものの、香坂を抱く気にはなれない。

「きも…」

「こっちのセリフだ。お前に抱かれるとか、いくら金積まれても絶対やだ」

「馬鹿にすんな!俺だって抱く側だったんだから、そこまで下手じゃねー!」

「いや、そういう意味じゃなくて…やっぱお前馬鹿だな…」

テクニックうんぬんの話だと思ったのだが違うらしい。
男として、やはり抱かれる立場よりは、抱く方が様になるし、それが当然なのだが、今となっては別にどちらでも構わないと思ってしまう。
そんなつまらない問題を気にせず、愛し合えるときに思い切り愛し合いたい。
いつどうなるか、未来はわからないのだと実感したのだし。

「晩飯は?」

香坂に言われてやっと気付いた。
外を見れば真っ暗で、丁度晩飯時だ。
四人でご飯を食べてからそう時間は経っていないものの、運動したせいか小腹が減ったような気もする。
しかし、今は動ける状態ではない。

「減った気がするけど動けねえし」

「なんか持ってくるか?それとも出前頼むか?」

「家にあるのでいい。ついでに飲み物。喉が渇いた」

「随分鳴いてたからな」

にやりと笑い、セクハラまがいの発言をする香坂の背中を思い切り叩いてやった。

「お前…本気は痛えだろうが…」

「鳴いてねえよ!弟君のこと考えて声は我慢した!」

「そう思ってんのは自分だけだぞ」

「いや!今回は頑張った!」

「…そうかよ」

「それより早くとってこい」

「…お前、こんな時しか我儘言えねえからって調子に乗りやがって…」

「"紳士"なら当然だろ?」

「…お前、後で泣かすからな」

すいません、調子乗りました。認めます、素直に謝ります。だからこれ以上は勘弁して下さい。
心の中で呟いてみても、食料を取りに部屋を出て行った香坂には届かない。
飯を食べて、喉を潤して、そして皆が寝静まる深夜になったら、きっとあいつはいつもの香坂涼に戻っている。
そして俺は宣言通り、今度こそ鳴かされる羽目になりそうだ。

[ 90/152 ]

[*prev] [next#]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -