3
近場のファミリーレストランに入り、四人席に俺と薫、向かい側に香坂とその弟君。
見た目が妙に異なる四人が揃ったものだから、周りの好奇の視線を思う存分誘っている。
通常ならばその視線に耐えかねるが、今は然程気にならない。
険悪な雰囲気はそのまま持続され、取り繕おうと必死に頭を回転させているからだ。
不機嫌丸出しで頬杖をつきながらメニューを興味なさげに見つめる弟君と、そ知らぬ顔で窓の外を眺める香坂。
嬉々として何を食べようかと目を輝かせる薫に、この場から一刻も早く立ち去りたい自分。
「こ、香坂何食べるか決まったのか?」
ここは助けを求めるしかないと香坂に話を振ったが、香坂はそんなお人良しではない。
「お前と同じものでいい」
「そうか…薫は?」
「んー…迷い中。食べたいの沢山あってさ」
「そ、そっか…はあ…」
「お前、ファミレスで食べたいなんて、余程貧乏なんだな」
弟君の受験勉強でのストレスは、どうやらうちの薫をいじめる事で発散されるらしい。
けれども、これが典型的ないじめられっ子で、相手のちょっとした嫌がらせに涙を流すような素直な子ならよかったものの、うちの薫はそんなにやわじゃない。
自分がいじめられる立場など考えられないのだ。
「君はお金持ちだもんね」
微笑んだ薫は、意外にも相手の言葉を鵜呑みにした。
「まあな」
「ま、それは君の両親が頑張っているせいで、君の力じゃないだろうけど。折角お金持ちなのにどんな遣い方してるんだか…」
「関係ねえだろ!」
「僕ならお金はもっと有効的に遣うよ。勉強するでも、留学するでもしてね」
「俺の勝手だろ」
「毎晩遊び歩いて、そんなの何のためにもならないよ。今はそれでいいかもしれないけど、今君が馬鹿にしているがり勉に将来頭を下げるようになる。将来的を考えれば勝つのは真面目に生きてる人だよ」
「手前…ほんとにむかつく野郎だな…」
「誉めてもらって光栄だよ」
ああ、やっぱりこうなる。わかってたよ。
けど、もう少しお互いの長所に目を向けて友好的にはできないものか。たとえ表面上だけでもいいから。
「薫はしっかりしてんなー」
香坂もそんな呑気なこと言ってないでどうにかしてほしい。
「と、とりあえず注文しようぜ。な、ほら、ボタン押しますよー」
今のこの雰囲気にはとても似つかわしくない間抜けな電子音が響けば、すぐさま可愛らしいアルバイトの店員がこちらへ駆けつけた。
「お決まりですか?」
「あ、はい、えっと、俺きのこハンバーグセット。香坂もそれでいいのか?」
「ああ」
「じゃあそれ二つと、あとドリンクバー四つけて下さい」
「かしこまりました」
「僕カルボナーラ」
「弟君は?」
「兄貴と同じのでいい」
「あ、すいません、じゃあハンバーグ三つで…」
「かしこまりました。ドリンクバーあちらになりますので」
「あ、はい、どうも…何か飲むの持ってくる。何がいい?」
「俺も行く」
名乗り出たのは香坂だ。
がしかし、この二人を置いてテーブルを離れるのは危険な香りがする。
「い、いいよ香坂は。座ってろよ」
「一人じゃ持てねえだろ。いいから早く行こうぜ」
ソファから立ち上がった香坂は、俺の腕を引いた。
「じゃあお願いします…薫は何飲む?」
「僕アイスティー」
「弟君は?」
「…なんでもいい」
俺の気苦労など知らん顔で香坂はドリンクバーへと歩き出した。
それを足早に追いかけ、腕を引っ張る。
「なんだ?」
「お前さ、なんで助け舟出さねえんだよ!俺一人でめっちゃ頑張ってんじゃん!」
「なにが?」
「薫と弟君だよ!もう少し雰囲気和らげてくれよ!お前ならできる!できるさ!」
「…いいんじゃねえの?あれはあれで」
「よかねえよ!弟君が、薫の抹殺したいリストに入ってみろ、恐ろしい結果を招くぞ!」
「なんだ、そのリスト…」
「あいつの事だからいつか抹殺してやるリストとか絶対作ってんだよ!」
「お前、自分の弟を…」
「弟だからわかる!」
ネタではなく、真面目な話。あいつの事だから黒魔術とか使えるようになりそうで恐い。
ドリンクバーの前につき、グラスに氷を入れていると、真剣な面持ちで香坂がじっと、目の前の機械を睨み付けている。
何を考えているのかはわからないが、ようやく俺に協力してくれる気になってくれたのだろうか。
「どうした?」
「…いや、何を持ってけばあいつが嫌がるかと思って…」
期待した俺が馬鹿だった。こいつは自分の弟をからかう行為に全力を尽くしている。
弟君が一番可哀想だと思う。自分の兄にいじられ、薫にも攻撃され。
なんだか、自分を見ているようでついつい同情してしまう。
「やっぱオレンジジュースだな…」
どうやら決まったようで、弟君へのオレンジジュース、自分のアイスコーヒー、薫と俺のアイスティーを持ち席へと戻った。
もう香坂には何も期待するまい。俺一人の力でどうにかこの場を切り抜けてみせる。
二人きりにされた薫と弟君は、一言も話さずじっとその場に座っていた。
ぴりぴりしている雰囲気が嫌という程伝わってくる。
「京、お前の大好きなオレンジジュース持ってきてやったぞ」
香坂が差し出せば、弟君は眼前の原色色に眉を寄せた。
「オレンジジュースが好きなの?」
それを小馬鹿にしたように薫は鼻で笑う。
「ちげえよ!」
「なんでだよ、お前オレンジジュースがなきゃ駄々こねて泣いてたじゃねえかよ」
「へぇー…」
「違うっつーの!いつの話だよ!」
「さあ、つい最近だったような気がするけどな…」
「幼稚園くらいのときだろ!」
香坂は本当に人が悪い。いじれるものはいじり倒す。
高杉先輩をからかって遊んでいたときにそれはわかっていたものの、まさか自分の弟までも。可哀想に、こんな兄を持った弟君も不幸としか言いようがない。
助けてあげたいのは山々なのだが、香坂と薫、そして弟君と俺では力の差は歴然だ。
人を跪かせる事に快感を覚える、根っからのサディストの薫と、地球で一番偉いのは自分な俺様香坂に、俺が敵うわけはない。
その内料理が運ばれてきたのをいいことに、全員がそれに集中してくれ、俺も一時休戦状態だ。
もう、ずっと何か口に含んでいて欲しいくらい。
飯を食べ終えたらすぐに店を出て、薫を帰して、弟君に謝って、そして俺も帰ろう。
俺の計画ではそうするはずだった。
これ以上香坂兄弟に関わるのはよしとしておこおうと。
がしかし、薫のデザート食べたい発言から、主食を食い終えた後もだらだらとファミレスに残る羽目になってしまった。
「楓は甘いの食わなくていいのか?」
「…俺はいい…」
とてもデザートなんて食べられる心の余裕はない。
「香坂さんて、紳士なんだね」
頬杖をつき、微笑みながら尊敬の眼差しで香坂を見つめる薫に身を乗り出した。
「「どこが!」」
薫の発言に驚いたのは俺だけではなかったようだ。
「だって、楓ちゃんのことちゃんと考えてあげてるじゃん。さっき飲み物とりに行くときだってそうだし、今だってそうじゃん?」
それだけで紳士というならば、世の中の八割は紳士だ。
こいつの俺様香坂様ぶりを知らない薫だから言えることで、香坂は決して紳士などではない。紳士というのは須藤先輩のような人をいうものだ。
「薫はほんとに俺のことよくわかってんな」
薫の頭を撫でた香坂はご機嫌だ。
とてつもなく危険な交友関係が結ばれてしまったような気がする。香坂と薫が手を組むのは非常に危険だ。
それは、有馬先輩と須藤先輩が手を組むようなもので。いや、それよりはましかもしれない。
「香坂さんくらい顔も性格も頭もよければ、変な気起こすのもわかるかも」
「う、うん!」
いかにもわざとらしい咳払いをしながら薫の足をテーブルの下でぎゅっと踏みつけた。
「っ、いった…」
こちらを振り返る薫の瞳を睨み付け小さく首を振る。
弟君に喧嘩を売るのは構わない。しかし、俺と香坂の関係を安易に吹聴されては困る。
いくら弟でもそれ以上は本気で怒る。
薫も察してくれたのか、すっと瞳を逸らすとそれ以上は何も言わなかった。
嫌な汗を掻きながら、ゆっくりと弟君を覗き見たが、そ知らぬ顔で香坂が持参したオレンジジュースを飲んでいる。
よかった、何も疑問に思っていないようだ。
香坂は薫の発言を咎めることなく、頬杖をつきながら相変わらずの上機嫌だ。
そして薫は薫で、香坂をえらく気に入っていて、そちらが本当の兄弟なのではないかと思うくらいに慕っている。
年上への憧憬かもしれないが。
薫の場合は特に、自分がしっかりしているせで、周りの同年代の友達を馬鹿にしているふしがあるし、香坂のようなタイプは、そうそういるものではない。
自分よりも勝っているのだと認めた上で、素直に尊敬しているのかもしれない。
それは、俺にしてみれば恐ろしいのだが。
尊敬するあまり、薫が香坂に似てしまったらと思うと。
良くも悪くも香坂の影響力はすごいものなのだ。
運ばれたデザートも、しっかりと残さず食べた薫はご満悦だ。
店を出て、自ら帰ると言った薫に、香坂は勉強頑張れよと労いの言葉をかけた。
気をよくした薫は、弟君は眼中に入れずタクシーに乗り込む。
まだ遅い時間ではないのだから電車で帰れと言ったのに、香坂が甘やかすのだ。
残された俺と弟君も、香坂の家へと帰路についた。
予定通り弟君に謝って、俺も家に帰ろう。
お正月も近いし、いつまでも香坂の家にいるわけにもいかない。
真冬の寒さは身に凍みたが、タクシーで帰るという香坂の一言を一蹴し歩いた。
充分歩ける距離だし、身体を動かさないとなまってしまう。
何のための若さなのだと歩きながら香坂に説教をするが、この男は空返事をするだけで聞く耳持たずだ。
然程ではない距離と言えども、真冬の都心はビル風が吹き、急激に体温を奪っていった。急いで室内に転がり込み、暖房が効いた香坂の部屋へと逃げ込む。
「さみー…」
「お前が歩くとか言うからだろ」
「贅沢ばっかしてたらだめだっつーの」
「…お前たまに主婦みてえなこと言うよな」
ダウンジャケットを脱ぎながら、手をすり合わせソファに座った。
やっぱり冬はこたつに篭ってみかんが俺には丁度いい。
残念ながら香坂の家にはこたつもみかんもないけれど。
このまま眠れたら幸せかもしれないと瞳を閉じたところで漸く弟君の存在を思い出した。
誰よりも先に家に入り、のほほんと暖まっていた。
「俺弟君の部屋に行ってくる!」
「は?なんで?」
「いや、ちょっと…」
「あ、そう…」
向かいの弟君の部屋の扉をノックする。
「あの、ちょっといいか?」
声をかければ、部屋の扉が内側から開いた。
「なに?」
「えっと、あのさ、ちょっと話したいことがあんだけど…」
「…入れよ」
いくらい香坂家といえども、廊下は寒い。
フローリングは夏はいいかもしれないが、冬には厳しい。
「お邪魔します」
招き入れてもらった弟君の部屋を眺めると、まるで自分の部屋にいるような錯覚に陥る。
脱いだ服は脱ぎっぱなし、雑誌や本もそこらじゅうに散乱し、ゴミもまともにゴミ箱に入っていない。
常に整頓されている香坂の部屋とは天と地ほどの違いがある。
香坂もたまにしか帰らないからあの状態を保っているようなもので、これが毎日暮らしていたら、こうなるのだろうけど。
足の踏み場をどうにか探し、ソファの上に腰を下ろした。
ベットに腰掛けた弟君に、それで?と促される。
「あのー…なんか、色々悪かったな」
「…なにが?」
「弟が…口悪いからさ…性格も悪いけど…」
「なんであんたが謝んだよ」
「いや、一応弟ですし…」
「けど、あんたはあんただし、あいつはあいつだろ。別に、あいつにむかついたからってあんたまでむかつくわけじゃねえし…」
弟君のこの発言には驚いた。
大人の対応というべきか、子供だからこその素直で単純な考えなのか。
大人は、兄弟だからと運命共同体のように、弟の不始末は兄の責任でもある、なんて言うけれど、弟君は意外にもそんな偏屈な考えはしないらしい。
意外に素直でいい奴ではないか。擦れているようで、擦れていない。どんなに飾り付けてもまだ中学生だ。
根はきっと真面目で優しいのかもしれない。
そう思うと笑みがこぼれた。
「なに笑ってんだよ」
きつく、弟君に睥睨され、慌てて表情を引き締める。
「意外に素直なんだな」
「は?素直とかわけわかんねーし!」
そっぽを向いてしまった弟君だが、その耳が真っ赤になっている。指摘はしないでおく。香坂のように意地悪ではない。
「まあ、そういうことだからさ。じゃあ、邪魔したな」
未だそっぽを向いたままの弟君にそれだけ言うと、温かい気持ちを抱きしめながら部屋を出た。
綾さんが毎晩遊び歩いて困っている、と愚痴をもらしていたせいで、やんちゃ盛りの反抗期まっただ中と勝手に決めつけていたが、それはただの固定観念だったようだ。
夜遊びだって、ちょっとした背伸びの証拠だ。
微笑ましいではないか。
中学生は飽く迄も、中学生だ。
これで、何も思い残すことなく家に帰れる。
あとは、薫に軽く説教すれば気も晴れる。
と、思いながら香坂の部屋の扉を開けたのだが、そこには朝と同じように不機嫌オーラを放出させながらソファに座る香坂の姿がある。まるでデジャヴだ。
この面倒の塊のような男を、どうしたらいいものだろうか。
[ 89/152 ]
[*prev] [next#]