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すると、テーブルの上に置きっ放しだった携帯が七色に光っていた。
メールか着信があったようだ。
携帯を開いて確認をすれば薫から着信と、その数分後にメールが入っている。

"楓ちゃん帰ってこないの?暇死にする"

受験生のくせに暇とはなんたることか。暇があるのならばその時間を有効に勉強にあてろ。心の中で思うが、薫はこれ以上勉強しなくても平気だと思う。
そのメールを香坂に見せると、ふっと笑い、弟も呼べよと言う。
どちらかというと呼びたくはない。自分はこのまま家に帰宅すれば済むはなしだ。
綾さんとの約束は反故にするが、おじさんもいるのだし家族だけで過ごすのが一番いい。

「薫は家で大人しくしてればいいと思います」

「自分は遊びほうけて弟は勉強漬けか?可哀相だな」

「薫は勉強しなくても受かるから大丈夫だ」

「ああ、お前と逆で頭いいんだっけ」

「うるせえな!俺が家に帰ればすむ!」

「は?帰んの?やだ」

「やだ、って…ガキか…」

「ガキだよ。ガキだからやだ」

馬鹿なことを言うなと何度も繰り返したが、その度に嫌だと駄々を捏ねられた。
いつも俺をガキだと馬鹿にしては鼻で笑うくせに、これではどちらが子供なのか。
数十分押し問答を繰り返した挙句、ついにこちらが折れた。
嫌味をたっぷり含ませて溜息を吐きだす。

「わかったよ、クソガキ」

そうと決まれば薫を呼べと急かされ携帯を耳に添えた。
何コールか目で薫がはーいと、だらけた口調で電話に出た。

『楓ちゃん、昨日泊まるなら言ってよー。母さん大変だったんだよー』

「悪い、疲れて寝てた」

『疲れるほどはげむのもいいけど、連絡はしてよー』

間違った想像をしているようだが、あえてそこはスルーする。

「お前勉強は?」

『あきた。昨日からやる気ない』

「あ、そう…香坂と出掛けるけど、お前も来るかって、香坂が言ってるけど」

『マジ?行く行くー!』

いつになく薫が乗り気だ。こんな薫も珍しい。随分香坂には懐いているようだ。

「あ、そう…じゃあどうしよう…どっかで待ち合わせするか…?」

「面倒だから家まで来いよ。タクシー代は出してやる」

横から香坂が口を挟み、それは薫の耳にも届いたようで、さすが香坂さんという声が響いた。

『じゃあ準備して行くね』

こちらが返事をする前に、通話は終了。相変わらずマイペースな弟に手を焼く。

「よく薫の面倒みれんな、香坂」

「…まあ、お前に似てるしな」

「は?俺と薫が?正反対じゃん。性格も見た目も似てるなんて言われたことない」

「まあ、性格は違うけど見た目は似てるとこあるよ」

そんなものだろうか。
周りにはこんなにも似ていない兄弟も珍しいと言われていたが。
血は確かに繋がっているのだから、似た部分も勿論あるのだろうが。

「京も起こさなきゃな…」

浅く溜め息を吐いた香坂は、弟君の部屋へと姿を消した。
扉を蹴り上げる音の次には弟君の怒鳴り声。どうやら寝起きが最悪らしい。
香坂相手によくそんな口が利けるものだ。
開けっ放しの部屋の扉からこっそりと中を覗けば、弟君が布団に包まっている。

「早く起きろ!」

「うるせえ馬鹿兄貴!昨日も勉強してたんだよ、好きにさせろよ!」

「綾にに面倒みろって言われてんだよ」

「るせえな…いいからどっか行けよ…」

香坂にそんな風に口を利く人を見たことがないため、新鮮に感じる反面恐ろしくもある。兄弟なのだから、多少の小競り合いは当然だろうが。
香坂もよくキレないで対応するものだ。
と思いきや、香坂は布団を無理矢理はがすと、弟君の胸倉を掴んで自分に手繰り寄せた。

「お前、誰に向かって口利いてんだよ。いい加減にしろ。そろそろキレんぞ」

やはり、香坂は香坂だった。可愛い弟でも勝手は許さないらしい。
弟だろうが、恋人だろうが容赦はない男だ。
眉間に皺の寄った顔を見て、やっと目が覚めたか弟君は黙って首肯した。
哀れな弟君よ。香坂の弟に生まれた事を後悔するがいい。

そっとその場を離れ、そのまま風呂場へ向かった。
四六時中、綺麗なお湯がはられている香坂家の風呂に浸かって満足し、タオルで豪快に髪を拭いていると、突然バスルームの扉が開いた。

「……あ…」

そして弟君と鉢合わせ。今俺は生まれたばかりの状態。
男同士だし、別に恥ずかしがる事は一つもないが。

「悪い、あんた入ってたんだ」

「あー、別にもうあがるし、入れば?」

「んじゃそうする」

寮には大浴場もあるし、こんなことには慣れているが、香坂の弟となるとなんだか気恥ずかしい。
スウェットを脱ぎ捨てた弟君の背中をちらりと見れば、香坂までとは言わないが薄っすらと筋肉がのり、けれども未発達な男の身体そのものだった。
その後姿は少し景吾に似ている。背丈が似ているからかもしれない。

香坂のクローゼットから拝借した新品の下着をはき、着ていた服をまた着用する。
同じ服を着るというのは気持ちが悪いが、香坂の服はサイズが合わない上に趣向も違うのだから仕方がない。
タオルを首にひっかけ部屋へ戻った。
ソファに座り、不機嫌そうに肘掛に肘をつく姿に面倒くさい展開になると悟る。
香坂の機嫌をとるのは苦労する。一度へそを曲げると、幼稚なくらいに直らないから。

「香坂?」

「なんだ」

「弟君に怒ってんのか?」

「…別に」

とは言ってはいるが、十中八九そうだろう。まったく、こういうところは大人気ない。

「機嫌直せよ。出掛けんだろ?弟君も寝起きだったから」

「わかってる」

「じゃあ、仲良く一緒に風呂でも入れば?」

「アホか。なんで俺が京と…」

「折角皆で出掛けんだから、楽しくしようぜ。な?」

隣に座り、ぽんと頭を撫でれば、視線だけこちらへ向け小さく首肯した。

「よしよし」

たまに子供っぽい態度をみせてくれるようになったのも、信頼してくれているからだろうか。
香坂も、いい意味で背伸びをしなくなってきているような気がする。

「じゃあお前の言うとおり、一緒に風呂でも入るか」

そして、薄っすら笑いながら立ち上がった。

「は、マジで?」

「あいつは嫌がるだろうけどな。その嫌がる顔がおもしれえし。からかって遊んでくる」

まったく、いい趣味してる。

「あ、それからお前、俺の服でよければ貸すぞ。それか、京のでもいいし」

「あー、いいよ、これで」

「そうか」

弟君の服なら、サイズも合うかもしれないが、申し訳ないし、夏場と違って汗もそんなに掻いてはいないだろうからこのままでも構わない。

「それか買いに行くか?」

「結構です」

「あ、そう。弟君がきたら、タクシーにこれ払っとけよ」

香坂は万札を数枚テーブルの上に置くと部屋から出て行った。
随分羽振りがいいことで。羨ましいやら困るやら。
その金銭感覚は社会に出て、自力で金を稼ぐようになった時どうするのか。
このままでは破産してしまう。
香坂ならどうにかなるかもしれないけれど、多少なりとも心配はしてしまう。その頃、一緒にいるかどうかはさて置いて。

「…ぼんぼんが…」

嫌味たっぷりで吐き捨てると、薫からの着信で家の前に着いたと連絡があった。
タクシーへ近付き、代金を払う。
車から降りた薫は、嬉しそうに腕に飛びついた。

「香坂さんがどっか連れてってくれるんでしょ?」

「みたいだな。どうせ、飯食うだけだと思うけど」

「それでも暇だったからいい」

「お前、そんなに余裕かましてると落ちるぞ」

「僕が?はは、そんなまさか」

薫ならそう言うと思っていたが、これでも心配だ。挫折を知らない薫がここで躓いたら立ち直れないのではないかと。

「これ香坂さんの家?」

「そうだ」

「でっかいね。さすがお金持ち」

「中もすげーぞ」

色んな意味で。
玄関を抜け、薫は物珍しそうに周りを見回しながらついて来る。
家の周りのクリスマスに浮かれた装飾に、同じように嫌悪の色を表しながら。
玄関を抜け、リビングの扉を開け、あれを見ろと指差すと薫の口から残念な声がもれる。

「うわあ…これはまたいい趣味をお持ちで」

「普段は普通の家だけど。クリスマスは特別らしいぜ」

「僕だったら文句たらたら言うかも」

意見は同じらしい。さすが兄弟といったところか。

「香坂の部屋行くか」

階段を上り、香坂の部屋へ招きいれる。

「香坂さんの部屋は普通なんだ」

「香坂の部屋もファンシーだったら恐えだろ」

「…確かに」

ソファに座らせ、香坂が風呂から上がるのを談笑しながら待った。
暫くすれば香坂が戻って来た。

「お、着いてたのか」

「あ、どうも。タクシーの代金、ありがとうございました」

「どういたしまして」

勘違いではない。香坂は薫に甘い。俺の弟だからか、単純に薫が可愛いのか。
確かに、薫は年上に好かれる。愛想もいいし、人当たりもいい。長い物には巻かれる主義だ。

「香坂さん、今日は何処いくの?」

濡れた髪を後ろに撫で付ける香坂に、薫が嬉々として問いかける。

「さあな…何処に行きたい」

「とりあえず飯!腹減った!」

横から口を挟むと、薫に考えていたのにと怒られてしまった。

「今日は俺の弟も一緒だけど、いいか」

「香坂さんの弟も…?ああ、僕と同い年の」

「そう、同じ受験生だし、受かったら同級生だ。仲良くしてやってくれよな」

「僕でよければ」

この薫と仲良くできるのは相当の猛者だ。
景吾のようにあっけらかんとした奴か、蓮のような母親タイプか、はたまた秀吉のようなお兄さん系でなければ。
そのどのタイプにも当てはまらない香坂の弟君と薫は馬が合わないような気がする。
どちらも我が強いというか、引くことを知らないというか。
着替えて、髪を乾かした香坂は準備が整ったようだが、弟君が自室から出てくる気配はない。

「あいつ準備に時間かかんだよ。だらだらやるから」

それはまるで女性のようだ。
女性は化粧というものがあるから時間がかかるのであって、弟君の時間の掛け方とは違うのだが。
その内出てくるだろうと悠長に構えていたが三十分経っても出てこない。
これは流石に時間がかかりすぎではないかと、気の短い俺が若干苛々し始めた頃、漸く香坂の部屋の扉が開いた。

「兄貴ー、準備でき、た…」

そして、薫を視界におさめると、呆気にとられている。
さっきおじさんと対面した俺もこんな顔をしていたのだろうか。
傍から見るとかなり馬鹿っぽい。

「…誰?」

俺と初めて会ったその日も、同じセリフを言われたような気がする。

「楓の弟。前に話しただろ」

「ああ、そういえば…俺と同い歳にしてはガキっぽいな」

「京、口の利き方」

薫は怯む様子もなく笑ってはいるが張り付けたそれは逆に怖い。この笑い方をする薫は怖いのだ。頭の中ではどんな最悪なことを考えているのだろう。
最悪の出会いだ。

「君が香坂さんの弟?僕と同い年なんだよね」

「らしいな」

喧嘩になったらどうしようとおろおろと二人を交互に見た。

「東城受験するんでしょ?」

「一応」

「へえ…東城って高校からだと結構難関だって、知ってる?」

馬鹿にするような口調に、弟君がむっとしたのがわかる。

「お前に言われなくても」

「知ってるってことは頭のできも悪くないんだ。さすが香坂さんの弟だね」

にっこり微笑んだ薫は、言葉に充分棘を持たせた。
こんなところが似ていないと言われる要因かもしれない。
薫の中で弟君は敵と判断したらしい。そうでなければ、こんな口は利かない。

「そういうお前はどうなんだよ。脳みそ詰まってんのか?」

険悪な雰囲気に香坂と顔を見合わせたが、口を挟める雰囲気でもない。

「君よりは詰まってると思うけど」

「なんだと手前…」

「あー、ストップ。折角同い年なんだし、喧嘩はやめろお前ら。な?」

へらりと笑い、二人の間に立って両手を広げた。

「なんだよお前。お前なんかにガキ扱いされたくねえよ!」

「楓ちゃんにそういうこと言うと怒るよ」

「なんだお前、ブラコンか?」

「悪い?」

「だせえ」

鼻で笑った弟君に、益々薫の青筋が濃くなった。
だから会わせたくなかったのだ。自分の予想通り、薫と弟君は水と油だ。

「京、お前高校受かったら楓は先輩だぞ。口の利き方考えろよ」

「こんな奴先輩なんて認めねえよ」

「…お前、そんなんじゃ東城でやってけねえぞ」

確かに東城はスポーツ校だし、先輩後輩の上下関係は厳しいかもしれない。
自分も人に言えるほどきちんとはしていないし、クラブに所属もしていないため、大変だと思ったことはないが。

「一回仁にその根性叩きなおしてもらうか?仁も俺も拓海も、弟だからって特別扱いしねえからな。俺がいるから大丈夫とか思ってんなら検討違いだぞ」

香坂の言葉に撃沈した様子で反論しようと口を開いたが、すぐにその口を硬く噤んだ。
やはり、香坂には敵わないということだ。

「さ、じゃあ飯食いに行くか」

「そうだな、腹減ってるから気も立つんだよ。薫も」

「僕は怒ってないけど」

ちらりと弟君を横目で見ると、思い切り睨まれた。しかも薫ではなく俺を。
この兄弟も充分面倒臭い。兄だけではなく、弟のご機嫌伺いまでしてられない。

「薫、何食べたい?」

「んー…ファミレスでいいです」

折角、香坂が好意で言ってくれているのに、ファミレスときたか。

「そんなんでいいのか?」

「うん、僕好きなんです。色々揃ってるし」

「そうか…わざわざこっち来てもらってファミレスもあれだけど、薫の提案だしな」

「なんでこいつの意見だけなんだよ!俺にも聞けよ」

「お前はいつも色んなとこ行ってんだからいいだろ」

香坂が明らかに薫を贔屓するものだから、弟君はご立腹のようだ。
なんだかんだ言って、弟君も子供でブラコンだ。
それにしてもこのメンバーでの食事、楽しくなる予感がまったくしない。


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