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「じゃあね、楓ちゃん、母さんは任せて楓ちゃんは折角のクリスマスなんだからラブラブしなよー」

「…お、おう…」

もはや何も言うまい。我が弟が口走る事全てに突っ込んでいたらきりがない。
博愛主義だと自分では言うが、兄をからかって楽しんでいるようにしか思えない。
飯も食べ終え一息つくと、薫があとは自分に任せて好きに過ごせと提案をしてきたのだ。
母親はしっかりと自分が送り届けるから、気にする事はないと。ついでに香坂と一夜を共にするのならばうまい事言っておくからとも言われた。
できがいいのか、悪いのか。はっきりと言えることは性格が悪いということだ。
しかしこれは俺にとっては好都合で。
隣に並ぶ香坂をちらりと見上げて、幸福の溜め息をつきそうになった。
すっかりと乙女のようになってしまった心に自重しようと思う。
よりを戻せたから、今は乙女度が増しているだけで、すぐにいつもの自分に戻る。戻ってくれなければ困る。
それまで自分の気持ち悪さに耐えられるかどうかが問題なのだが。

「おい、おーい」

「…へ?」

「へってなんだよ。間抜けな返事だな」

「いや、うん…」

「で、何処に行きたいんだよ。折角弟が気遣ってくれたんだからよ」

そうは言われても、満腹だし、プレゼントも昨日もらったし、これ以上何をすれば。
普通の恋人同士はクリスマスに何処に行くものなのだろうか。
いや、自分たちは普通ではないし、何処へ行ってもカップルだらけの今日、わざわざ出掛ける必要もあるまい。
俺達寂しい独り者同士ですと公言しているようなものだ。
恋人達の視線はそれはそれは冷たい。

「…何処にも行きたくない…」

「珍しいな、出掛けたがりのお前が」

「いい、香坂の家でゆっくりする」

「…んじゃ、DVDでも借りとくか。お前に暇だ暇だって文句言われても面倒くせえし」

「面倒くさいとか言うな!」

「はいはい」

苦笑しながら、俺の頭をぽんと撫でた香坂の存在が、きらきらと光って見えたのは、間違いなく目錯覚。錯覚だとわかっているのだが、それは止められそうもない。
ああ、厄介だ。
これから暫くは、この見慣れた顔にトキメキながら生活しなくてはいけないのだろうか。

香坂の家に行く前に、レンタルショップに立ち寄り映画を数本借りた。
俺の独断と偏見で選んだものばかりだ。
香坂は、自分が見たいと思ったものは購入しているから、特に見たいものはないと言う。
手提げ袋に入ったそれらを振り回しながら、香坂の家までの帰路を歩く。
こんな風に肩を並べて歩くのは、とても久しぶりだ。
別れていた期間は、日数にすればそれ程長かったわけではない。けれど、苦しくて、苦しくて、一日が過ぎるのが永遠とも言える長さだった。
だから、こんな、以前は当たり前だったことに、小さなことに、幸せを感じてしまう。
例えば一緒に歩いたり、益体の無い話しをしたり、DVDを選んでみたり。
日常の風景にすんなりと溶け込むような、然程珍しい事柄ではないそれらが、とても貴重で、ありがたいものなのだと思う。
香坂も、同じように想ってくれたらもっと幸せだ。
離れていた時間と取り戻すように、目一杯甘やかして欲しい。決して口には出さないけれど。

「…お前の家はクリスマスに浮かれ中ですか?」

香坂の自宅前、足を止めれば、玄関にはサンタとトナカイの置き物、ポインセチアが綺麗に飾られている。
玄関にはリースが飾られ、クリスマス一色だ。

「綾の趣味だ…」

ファンシーに飾り付けられた家に、香坂は顔を顰める。

「まさか、家の中も…」

「俺の部屋は死守したから安心しろ」

「ふ、ふーん…」

あんなにシックだった香坂家は、どれだけファンシーになっているのだろうか。
恐いような、見たいような。

「お、邪魔します…」

まず玄関を抜けて、リビングをちらりとのぞいた。
そこには、天井まで届くのではないかと思うほど大きくて、真っ白なクリスマスツリーが飾られている。
そして室内のあちらこちらにポインセチアが配置され、赤と緑で埋め尽くされていた。

「なんか…綾さんの苦労だけは認めたくなるといいますか…」

「何も言うな…」

「これってさ、クリスマス終わったら撤去されんの?」

「いや、親父が帰ってくるまでこのまま。クリスマスは一緒に過ごせねえから、帰ってきて、二人でクリスマス気分味わってから撤去」

「へ、へえ…親父さんと…」

随分夫婦仲が良い事は聞いていたが、そこまでだとは思わなかった。
結婚して何十年経とうとも、変わらないその愛情には羨望すら覚える。
うちの両親とはえらい違いだ。

「上行くぞ」

「うん」

階段を上り、香坂が自室の扉を開けた瞬間に、益々懐かしさが込み上げた。
部屋の香りも、雰囲気も何もかも変わっていない。
革のソファも、ガラスのテーブルも、テーブルの下の真っ白な絨毯も以前と同じようにそこにある。
俺は漸く戻って来たんだ。ここに。香坂のもとに。
感慨深くなると同時に、水戸先輩の顔が一瞬ちらついて、軽く舌打ちをしそうになってしまった。
パソコンのデータのように、綺麗にそこだけを記憶から消すことができたらいいのに。
願っても仕方のないことだし、今は香坂といられる幸福に浸っていたい。水戸先輩のことなど考えるのはやめよう。

「何か飲むか?」

「んー…温かいやつ」

「わかった」

手提げ袋の中から、借りて来たDVDをすべて取り出し、テーブルに並べてどれから見ようかと吟味する。
こういうのは順番も大事だと思う。
香坂の部屋には贅沢にもホームシアターなるものがあり、映画館並みとは言えないが、大きなスクリーンで映像を見る事ができる。
音響設備もしっかりしていて、趣味にはとことん拘るのだと言っていた言葉を思い出す。
けれど、たまにしか帰って来ない家で、こんなにお金がかかるものを用意するなんて、と庶民代表からすれば小言を言いたくもなる。
たまにしかいないのだから、自分ならテレビで充分なのだが。
その分洋服を買いたいし、友人と遊ぶ費用に充てたい。
小遣いが制限されている貧乏学生との格差はこういうところに表れる。
香坂がどれだけ小遣いをもらっているのかは知らないし、どれほどの金を遣っているのかも知らないけれど、それでも庶民とはかけ離れている。
長者番付に載るようなお金持ちではないが、俺からすればその生活が夢のようだ。
恵まれていると思うが、香坂からしてみれば、それが当然のでむしろ庶民の生活が理解できないのだろう。
香坂周りの友人も同じようなものだから、自分が普通なのだと思っていてもなんら不思議ではない。
顔も良くて、金もあって、身長も高くて、頭もそこそこいい。
人が欲しいと思う欲望すべてを手にしているように見えるが、香坂自身はきっと今の自分に満足はしていない。

どこまでも貪欲で、すべてを自分の手中に収めたいと思うような男だ。

コンプレックスという言葉には無縁のように思うが、香坂は香坂なりに、悩みとかもあるのかもしれない。

「…おーい、今度はどこの星に行ってんだー?」

「地球にいますけど!」

「あ、そう。ぼーっとしてるから今度はどこに旅立ったかと思った」

目の前に置かれたカップからは真っ白い湯気がふんわりと踊っている。

「ココア?」

「ホットチョコレート」

「ホット、チョコレート…」

これはまた、女が喜びそうな飲み物だ。
甘いものは苦手ではないが、甘すぎれば話は別。喉にへばりつくような感覚は、眉をしかめたくなる。

「最近これをごり押ししてくんだよ」

「綾さんが?」

「そう」

綾さんが言うならば、きっと美味しいのだろう。

けれど、香坂自身はコーヒーで、俺にはホットチョコレートだ。
飽く迄も、自分は飲みたくはないようだ。
進んで甘い物を口にするタイプではないから仕方がないけれど。

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