Episode15:愛したり愛されたり

双眸をあけると自宅の天井だった。
頭がぼんやりと白んでいて、とても重苦しい。
昨晩の出来事を丁寧に思い出し、自分は苦しみから解放されたのだと確認する。
寮並みに狭い自分のシングルベットの上、隣にあるであろう熱を探すように手を伸ばしたが、どこまでいっても冷たいシーツだけで、そこに情人の姿はない。
まさか、昨日の出来事はすべて夢で、自分が願う物語をそのまま反映しただけではないのかと、一抹の不安に乗っ取られる。
そうであってたまるかと、勢いよく飛び起きた。
目覚まし時計で時間を確認すれば、随分眠っていたのか、もうお昼を過ぎていた。
焦るながらもパジャマのまま部屋を飛び出し、リビングの扉を乱暴に開けた。

「あ、楓ちゃんやっと起きた」

「楓、遅いわよ。まったく、冬休みだからって…」

朝一番から、母さんの小言は重い頭によく響く。

「…香坂は…?」

縋る思いで、ソファの上で寛ぐ母と薫に聞いた。

「ここだ」

背後から聞き慣れた低音が響いた瞬間、胸に渦巻いた不安がふっと霧散していく。

「な、なんだよ、いたのか…」

安堵の気持ちを込めて口にしたのだが、自分以外には嫌味を孕んだ風に聞こえたらしい。あちらこちらからブーイングのように言葉が降ってくる。

「すいませんね、居座ってて」

「楓ったら、涼君に失礼じゃない!」

「そうだよ楓ちゃん」

自分がすやすやと気持ちよく夢の世界にいる間に、我が家は香坂にすっかり懐柔されていたようだ。
香坂の手に堕ちるのが早い。同じ単細胞の母親ならばまだしも、薫までもがすっかり懐いた様子だ。
計画通りに物事が進んで機嫌が良い香坂とは反対に、なんとなく項垂れてしまう。
そんな俺を尻目に、香坂は自分の家かと思うほど自然な仕草で母の隣に腰を下ろした。
マダムキラーはまだ続行中らしい。
そして、母もまんざらではない様子で、母親から女の顔に変わるのだ。
妙な光景にげんなりしつつ、自分も薫の隣に腰を下ろした。

「ってかさ、母さん仕事は…?」

「休んだわよ」

「やすっ…」

「ここで有給を使わないでいつ使うのよ」

香坂の存在は有給を消化するに値するらしい。息子が熱を出しても会社を休まなかった母親なのに、だ。

「母さん、エステに行くんだって」

「は…?」

「涼君がね、是非って」

語尾にハートマークがついているように感じるのは、気のせいではない。

「綾さんの…?」

「そう!」

「綾に電話したら、すぐにでもって言われてな」

家族で交流を持つのはできれば阻止したい。
後々のことを考えるとあまり深い仲になっても面倒が増えるだけだと思う。
綾さんは善意で母を招待してくれたのだろうが、自分と香坂の関係を思うと素直に喜べない。香坂はそんなことを気にする様子もない。
自分が考えすぎているだけなのだろうか。何にも怯えず、香坂のように堂々としていた方が物事はすんなりと治まるのだろうか。
ちらりと香坂の覗き見れば大丈夫だと言わんばかりに頷かれた。
思慮深い香坂のことだから、抜かりはないと豪語しそうだが、心配事は尽きない。

「だから皆でお出かけするの。楓も早く着替えなさいよ」

「皆でって…母さんだけじゃなくて?」

「受験勉強で疲れてるだろうって、母さんがエステに行ってる間に旨いもの食べようって香坂さんが誘ってくれたから」

「へ、へえ…」

母だけではなく、薫の扱いも熟知しているところに恐ろしさを感じる。
餌にほいほい釣られる弟ではないが、餌を撒かれれば美味しい部分だけを食べ、去っていくような人間だ。

「だから早く着替えてらっしゃい」

「へえ…」

「返事がおかしいぞ」

「しゃきっとしなさい!」

母におもいきり背中を叩かれ、渋々支度にとりかかった。

「迎えがもう来てる」

着替えを済ませリビングに再び向かえば、三人は既に準備万端だった。
香坂を先頭に、マンションを出る。

「運転手付きの車なんて、セレブだわあ…ご近所の皆さんの噂になっちゃう」

なんて言う割には頬が緩んでいる。
乗りなれた車に乗り込み、目指すは香坂の自宅から一番近い綾さんの店だ。
エステで頭がいっぱいの母は終始ご機嫌だが、今更そんなに頑張って一体誰に見てもらう気だろう。
父…ではないだろう、絶対に。
女というものは、いくつ歳をとっても綺麗でありたいと願う生き物なのだろうか。
美への概念が薄い俺には到底理解はできないが、それは女性には普遍的なものなのだろう。

車内でも騒がしい母に、香坂も飽きずに愛想笑いを浮かべては相槌を打っている。
運転手さんもこれには苦笑を浮かべるしかない。綾さんと然程変わらない年齢にも関わらず、この差だ。品というものがごっそりと欠如している。申し訳なくて、居た堪れなくて一刻も早く立ち去りたいと願う。

店の前に横付けされた車から窓の外を眺めると、綾さんが入口の前でこちらに手を振っている。
いち早くそれに気付き、車が停車した瞬間にそちらに駆けだした。

「綾さん!」

「楓くーん!久しぶりね。最近全然来てくれないから淋しかったのよー?」

「あ、すいません、色々立て込んじゃって…それより、うちの母が我儘言って申し訳ないです…」

「あら、いいのよー。楓君のお母様ならいつでもいらして欲しいわ。楓君には涼がお世話になってることだしね」

「世話だなんて、そんな…」

深々と頭を下げると母が駆け寄り、挨拶もそこそこに浮かれながら何度も礼を言っている。
雑誌でしか見たことがない人をこうして近くで見ることができただけでも気分が最高潮に達していると想像する。

「じゃあ母さん行ってくるから」

「楓君、今度ゆっくり泊まりにきてよー!絶対だよー!」

店に歩きながらも大きく手を振る綾さんに笑顔で応える。
相変わらず年齢不詳でとても美しいのに飾らない性格だ。
自分の母の後姿と、綾さんを比べて、溜め息が出そうになったのは言うまでもない。
こうも違うと、むしろ可哀相だ。
同じ女というカテゴリに入れる事すら恐れ多い。
きっと、クローゼットの中から、一番高い服を引っ張り出してきたのだろう。
勝負服というやつだろうか。
母の無駄すぎる努力に乾杯でもしてやろう。

「さて、じゃあ俺らは飯食いに行くか」

「楓ちゃんが起きるの遅いから僕お腹ぺこぺこ」

「す、すいません…」

「近くでいいよな」

「香坂さんに任せます」

にっこり微笑む薫に、香坂はぽんと頭を撫で歩き出した。
自分の存在が段々薄くなっているように感じるのは何故だろう…。
むしろこの場に自分は必要なのだろうか。
折角仲直りした翌日にも関わらず、コブ付きのデートとはいかがなものか…。
香坂のアホ。

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