Episode14:泣き虫ヒーロー


携帯の電子音が響いたのは丁度お昼過ぎだった。
いつもの顔ぶれで本格的に入った冬休みをだらだらと有効活用していた。
やはり長期休みの醍醐味といえば、勉強の心配などせずこうして無駄に過ごせる時間だ。
週末のように限られた休みではないのだから、自堕落しようともちっとも勿体無いとは思わない。
常に勤勉で真面目な性分の蓮ですら呆けた顔をしている。

昨夜、皆に本音をぶつけ大泣きしたことで気恥ずかしさと馴染まない空気が漂ったが、気持ちがだいぶすっきりしている。
凪いだ午後の海のように穏やかで波紋はどこにもない。
香坂に焦がれる気持ちは変わらないが苦しさが少しだけ減ったような。
皆が苦しみを吸い取ってくれたような。

床に乱暴に捨て置いた携帯に腕を伸ばす。
ディスプレイを見れば、憎き水戸先輩からだった。
折角冬休みになったのに呼び出しでもされるのだろうかと思うと、凪いだ心が土砂降りへと一瞬で変化した。
実家は学園から近いと言っていたし、今度は家まで来いと言うのかもしれない。
僅かな休戦だと思っていたのはどうやら甘かったらしい。

「…出ないの?」

煩く鳴る携帯片手に自失していると蓮が不思議そうに首を傾げる。

「出る…」

本当は心の底から出たくはないのだが。出ない限り永遠と鳴りそうだ。

「…もしもし」

『あ、楓ちゃーん?俺おれー』

「…なんだよ、冬休みまでかけてくんな」

『相変わらず冷たい!』

口調で相手が水戸先輩だと察したのか、部屋の中は軽く殺気と緊張感に包まれる。

「…用件はなんだよ」

『うん、あのね、楓ちゃんに飽きたからもう好きにしていいよ』

「……は?」

『だから、もう好きにしなよ。何もしないし。あ、でも、楓ちゃんが俺と一緒にいたいっていうなら遊んであげてもいいよー』

「ふざけんな!」

『あはは、威勢がいいねー。関西弁の彼みたい』

「…関西弁?」

『そ、甲斐田君って言ったっけ?王子様フェイスの彼だよ』

水戸先輩と秀吉に何か接点があっただろうか。
秀吉が転校してきたとき一躍有名人になったから、秀吉を知っていてもおかしくはない。けれど、水戸先輩の言い方は秀吉と親しく話したかのようなものだ。

『ま、それは置いといて、これからは好きにしな?』

「……なんで、急に…」

そんな言葉など信じられるか。
どうせ気紛れでそんな風に言って、気分が変わるごとに玩具にされるかもしれない。

『んー、色々あってねー。香坂君にも何も言わないし。ってか、俺楓ちゃん犯ってないから安心しなよ』

「…は!?だって…お前…」

『うん、犯った風に言ってたけど、あれ嘘。玩具は入れたけどそれだけ』

「…ふ、ざけんな!なんだよそれ!」

怒号に心配した様子でちらちらとこちらを眺めている。けれど、今は構っていられなかった。彼が話している内容は真実なのだろうか。
それともまた騙されているだけ…?

『ごめんね、あの時はそうするしかなくて。俺基本女の子好きだから、いくらなんでも男は抱けないし。抱いたこともないしねー』

「……何、言って…」

『だーからー、香坂君の所へ戻りなよって言ってんの。罪悪感を感じる事なんてないでしょ?操は守ってるわけだし。んじゃ、そういう事で』

「え、おい!ちょっ――」

電話の向こうからは、聞きなれた電子音が無機質に流れている。
携帯を耳に当てたまま瞬きをするのも忘れていた。

「……楓、何かあった…?」

蓮の問いかけすらも頭の中には入ってこない。

「…楓?」

土砂崩れのように予期せず流れてきた言葉に思考回路はぶつりと切断される。
頭の中は真っ白になり、次に色彩を完全に無視した多彩な絵の具がぶちまけられた。

水戸先輩は香坂に黙っているとう交換条件を提示し、そしてそれに従った。
それがすべて嘘で無駄というのか。
それなら何故そんなことをする必要があったのだろう。
何故、あんなに手間をかけてまで俺を玩具にしたのだろう。
好きだったというなら最悪辻褄は合うのに、男など抱けないと言う。
わからない。わからない。わからない。
解放された喜びなど味わう暇はなかった。
疑問符が次々に飛び交い、渦の中に巻き込んでいかれる。

「おーい楓ー?」

景吾にがくがくと肩を力いっぱい揺さぶられ、力の入っていない首が前後に揺さぶられる。

「楓!おーいっ!」

頬を軽く叩かれ、やっと視界に景吾を映した。

「……景吾…」

「どうしたの?そんなにぼうっとして。何かあった…?」

「……水戸先輩が…」

「水戸先輩また何か言ってきたの!?」

「…俺を、自由にするって…」

「……え!?」

皆の驚いた声が鼓膜に響く。
何故このタイミングで、いきなりそんなことを言い出したのかわからない。
昨日休みが明けたらまた遊ぼうと、獄中生活続行の宣告をされたばかりだ。
元々掴み所がない男だから、気紛れで急に飽きたと言い出したのだろうか。
本人の口から詳しく説明してもらいたいものだが、きっと彼は何も話してはくれない。

「なんで…なんでなんだ…?」

「……わ、かんない…けど、よかったじゃん!喜びなよ楓!」

単純な景吾からしてみれば結果がすべて。その過程の理由はすっ飛ばして、結果オーライならばノープロブレム。そう言いたいのだろう。
けれど、俺はそうじゃない。
こんな簡単にあの水戸先輩が俺を手放すなんて、何か裏がありそうで怖い。軽く人間不信になっているのかもしれない。
もしかしたら俺を捨て、景吾へと標的を変えるだけなのではないだろうか。
あらゆる最悪をいくつか並べて嫌な汗を掻く。

鼻歌混じりの景吾の笑い声だけが室内に響く。
ゆうきも蓮も、呆然とこちらを見詰めている。思いは同じだろう。

「あれ、なんで皆そんな顔してんの?なんで喜ばないの?」

景吾のように楽天的だったなら。捻くれてしまったおかげで、すぐさま邪推してしまう。

「…あいつはなんて?」

「…俺に飽きたからって…」

ゆうきは浅く溜め息を零し、眉間に寄った皺を指でつまんだ。

「…飽きたって…それだけ?」

「それ以上は何も…」

「…まあ、なにはともあれ、よかったよ、楓」

蓮も柔らかく微笑んでくれたが、俺とゆうきは未だ彼の言葉を信じていない。
散々躍らされてきたからこそ最後の最後まで信じないし、期待もしない。
悪魔のような男が次は何を企んでいるのか常人には想像もつかない。
すべてを把握していたいが、彼は掴ませてくれない。だから常に怖いのだ。
知恵熱でも出るのではないかと思うほど、頭を回転させた。

どうしたらいいのかまったく出口が見えない。秀吉に相談してみようか。そのよくできた頭で答えに辿り着いてくれるかもしれない。
水戸先輩の気持ちまでは知る由はないとわかっているが、秀吉ならば納得できるだけの言葉をくれそうで。
居ても立っても居られず、秀吉の部屋を訪ねようと決めた瞬間、ノックの音が響いた。
絶好のタイミングであちらから来てくれたのだろうとすぐさま立ち上がり、扉を開けると、視界に飛び込んできたのは綺麗なブロンドだった。

「こんにちは」

「……こんにちは…」

ゆうきにでも用があるのかと思ったが、神谷先輩は綺麗に微笑するだけだ。

「あの…」

「楓君、ちょっといいかな?」

「俺ですか?」

「うん、ちょっと話したくて」

神谷先輩と特に仲良くはしていなかった。会えば挨拶する程度の仲で、所謂先輩、後輩の枠に収まった関係だ。

「……わかりました…」

会話の内容は見当がつかないが、断る理由も見つからない。
ゆうきは軽く手を振った神谷先輩に面映ゆそうに応えている。
友人ですら稀にしか見れないゆうきの態度に驚いた。どうやらゆうきは神谷先輩にすっかり懐いたらしい。あのゆうきが、だ。
携帯だけをポケットに突っ込み、神谷先輩と廊下に出た。

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