6
短い溜め息を自室の扉の前で吐き出した。
溜め息を吐く毎に、香坂への想いは増すばかりで思考回路もぶっ壊れたのだと知った。
ドアレバーに手をそえ、蓮の前ではせめても笑顔を作ろうと無理にでも落ち込んでいた気持ちを封じた。
「ただいまー」
部屋の中を見渡しながら言えば友人が揃っており、ラフな部屋着姿で寛いでいる。
「あー、おかえりー!」
景吾がお菓子をつまみながら笑顔で迎えてくれる。
「おかえり、楓」
俺の姿を見て、安堵したように蓮が微笑んだ。
それに連動するように、帰りを待っていてくれた秀吉も、ゆうきも、微笑んでくれた。
「ただ、いま…なに、どしたんだ?全員揃って…」
「別にー、ただ、明日から冬休みだしちょっと来てみました!」
「…そうか」
一年の狭い部屋の中に五人も揃えばそれはそれは窮屈だ。
けれど孤独を埋めるように、友人の姿がそこにあることに幸せを感じた。
大方気遣ってこうして集まってくれたんだろう。
お節介で、馬鹿で、温かくて、どうしようもない奴等だ。
「楓ご飯食べたー?」
「いや、まだだけど」
自分のベットを占領して寝転んでいる景吾の傍に腰をおろした。
首だけをこちらに向けて話す景吾の口回りには、チョコレートがあちらこちらにくっついている。
「じゃ、今日は五人で行こー!」
「景吾腹減っとるん?」
「勿論!」
「今食べとるやん…」
「これはお菓子だから別腹なんですー」
「…さよか…」
「そうと決まれば早速行こうー」
ベットから起き上がる景吾に腕を引っ張られ、ほぼ強制的に立ち上がった。
蓮の腕も引っ張り、それを呆れるように見つめる秀吉と、無表情のままのゆうきが後ろからついて来る。
そういえば五人揃っての夕飯は久しぶりだ。
明日から冬休みになるのだし、暫くはそれぞれの生活に戻る。
そう思うと、この夕食が尊いものに思える。
最後の晩餐だと大袈裟に思った。
離れていても電話はできるし、会おうと思えば会えない距離ではない。
学校に行けばクラスメイトが笑顔を向けてくれるし、部屋に戻れば当たり前のように蓮がそこにいてくれる。
そのお陰で精神を保っていた。安定剤に似た効力を期待しながら過ごしていた。
母親と離れる小さな子供のような感覚を初めて味わった。
冬休みに入れば、本物の母親に会えるのにおかしなものだ。
相変らず、五人揃えば賑やかさも五倍。笑い声が絶えない輪の中にいる自分を、もう一人の自分が冷静な眼差しで見つめていた。
輪の中に自分は確かに存在しているのに、けれど、心はここにない。
笑い合って、相槌を打ち、会話にも参加するけれど、一線を引いた場所からそんな自分を眺めているような不思議な感覚が常に付き纏う。
情緒不安定、そんな言葉で片付けられるのなら容易いものだ。
一息つき、緑茶を啜り、部屋に五人揃って戻る。
香坂に会わなくてよかったと、帰りの道でぼんやり考えた。
部屋についてからも、騒々しさは変わらない。
隣の部屋から苦情がきやしないかと冷や冷やしたが、明日からは冬休みなので大半の者は今日帰省しただろう。
景吾は俺のベットで満腹のお腹を庇うように寝転んでいる。傍に腰掛け、わざとぽっこり出ている腹をつついた。
蓮のベットの上には、蓮と秀吉が仲良く隣同士で座り、ゆうきは勉強机に備えられている椅子に着いた。
「そういえばさー、もうすぐクリスマスだねー」
「あー、言われてみれば」
毎日の生活で精一杯で、世の中のイベントなどすっかり埋没されていた。
香坂と付き合っていたのなら、プレゼントは何にしようか、どう過ごそうかと必死になっていただろう。
そうできないことを残念に思う自分と、手間が省けたとほっとする自分がいる。
「蓮は先輩になにあげるの?」
「んー、実はまだ決めてないんだよね…」
「でももうすぐだよ?明日あさっての話なのに」
「うん…でも、何もいらないって言われて…何か買おうとは思ってるんだけど…」
「そかー、ゆうきは?」
「…別に、なにも」
「ゆうき、それはあまりにも冷たいとちゃう?」
「いいんだよ、俺は」
恋人には欠かせないイベントの話題で盛り上がり、それを苦笑しながら眺めた。
羨ましいなんて思わないけど、けど…。
「秀吉はー?」
「俺はなんもないでー」
「でも、神谷先輩は?付き合ってんでしょ?」
「はぁ!?聞いてねえぞ!」
景吾がさらりと発した言葉に驚き、喰いついた。
「マジかよ!?」
「…あー、まあ…」
言葉を濁され、何故そんな大事なことを教えてくれないのだと口を開こうとして、その意図を察しすぐさま閉じた。
自分がこんな風だから、言わないようにしていたんだ。
鬱陶しいくらい熱烈に神谷先輩を想い、やっと気持ちが通じた。秀吉の性格ならば大喜びした挙句にこちらがうざいと言うまで惚気話しをしただろう。
ちゃんと、おめでとうと盛大に祝ってやりたかったのに、そうさせたのは自分だ。
しっかりしろ。何度言えばわかるんだ。大事な人まで苦しめるな大馬鹿者。自分を叱責する。
「あの、さ…」
ベットに手をつき、俯きながら小さく呟いた。
「あの…俺、平気だからさ…」
わかってた。香坂の話題を避けていること、香坂を連想させるような人には極力会わせないようにしてたこと。
でも自分のせいで皆が不自由を味わうなんて、そんなのは嫌で、自分が許せなくなる。
挙句、祝い事すら遠ざけるようにさせるなんて。
「だからさ、いつも通りにしてくれよな!」
極力、今持てる力のすべてを出して笑顔をつくった。
「…楓…」
「そんな顔すんなよ!俺ならマジで大丈夫だからよ!」
空元気なのだと、作り笑いなのだと、悟られてもよかった。本音なのだから。
皆を順に見渡せば表情は硬く、切ない。慌てて益々笑った。
こんな些末なありふれた出来事は平気で、大丈夫なんだよと全力でわかって欲しくて。
だから、だからそんな辛そうな顔しないでほしい。
そちらに流されたら笑顔を保てなくなりそうになる。子供のように大泣きしながら辛いと叫んでしまいたくなる。
「……やだよ…」
おとなしくこちらを見詰めていた蓮が口を開いた。
「…やだよ。そんな風に笑わないで。僕、いやだよ…」
瞳をぎゅっと瞑った蓮の頬に一筋の涙が流れた。
「…なんで泣くんだよ」
それでも、貼り付けられた笑顔を崩さずに立ち上がった。
蓮の前にしゃがみ、柔らかな髪の毛を指に絡ませるように頭をぽんぽんと撫でた。
「だって、だって楓…ぼく、やだよ…」
幼子のように、決まった単語を繰り返すが言わんとしていることはなんとなくわかった。
俺のために涙など流さないでいい。俺はこんなにも笑えるし、普通なのだ。
「楓ー…」
蓮はベットから飛び降りると、俺にしがみつきながらしゃくりを挙げる。
苦笑しながら頭をぽんぽんと撫でてやる。
余計な意地が先走り、人前では泣けない自分の代わりに蓮が泣いてくれている。本当に蓮は他人に優しすぎる。たまに、歯痒くなるほど。
「…楓」
凛とした声でゆうきに名を呼ばれ、そちらに視線を流した。
「…俺も、お前が無理してるの見てらんねえよ。なんでそんなに隠そうとすんだ?俺らってそんなに頼りねえ?」
「……そんな、事は…」
「ほんまやで。ゆうきはともかく俺なんてめっちゃ頼りになるやろ?」
「えー、秀吉より俺のがなるって!」
今度は景吾が背後から抱きついた。首に回された腕が驚くほど温かかった。
「楓、俺ら辛いねん。お前が無理しとるってわかるから。自分じゃ気付かんかもしれんけど、誰の目から見てもぼろぼろやで」
秀吉に言われては何も言い返せない。大丈夫だよと、決まった単語を壊れた玩具のように繰り返せば納得してくれるような奴等ではない。
わかっている。けど、流されて一瞬でも気を緩めたら最後だと思っている。
苦しさを一つにまとめた箱の蓋を少しでも開ければ際限なく溢れ出て、益々痛くなりそうで、皆に縋り自分一人では立っていられないくらい甘え、依存しそうで怖い。
「楓、俺たち友達だよ!だから辛いときは辛いって言ってよ!」
「…楓が強いのはわかってるけど、でも…」
蓮は嗚咽を呑み込みながら身体を震わせる。気持ちがダイレクトに伝わり、蓮の腕をきつく握った。
「俺らがいるだろ?それじゃ、意味ないかもしれねえけど…」
悔しそうに唇を噛み締めるゆうきをぼんやり眺めた。そんな風に感情を表に出すのが珍しくて。
「…お前らがいてくれるだけで助かってるよ、マジで」
「でも、でも楓僕たちに何も言ってくれない…」
「無理して言ってないわけじゃなくて、ほんとに平気だから」
「楓!楓がそうやって無理するたびに、俺たち余計に辛くなるってわかってる!?」
「え…?」
「せやで。お前が無理して笑うたびに、俺らが辛くなんねん。お前に何もしてやれんって、皆思っとる」
ぶんぶんと首を振った。そんなことないのに。本当に、いてくれてよかった、助かったって思っている。お前らがいてくれなかったら、辛さに耐えられなかった。
傍で、いつものように笑ってくれるだけで、生き返ったような気持ちになれた。
香坂と同じくらい、かけがえのない存在だと思っている。
その気持ちは本当で、自分を偽ってなんかいない。
「……んな事、ねえよ。お前らが頼りないとか、そういうんじゃねえんだ」
どんな風に言葉にしても、上手く伝わらない気がして必至に言葉を選んだ。
「ほんとに、傍にいてくれるだけでいいって思ってる。お前らは何も気にしないでいてくれればいいから…」
「…気にしちゃだめなの?」
「え…?」
「僕たち楓が大事だから気になるんだよ。いけない?」
「…いけなくは、ないけど…でも、それで不自由な思いはさせたくない」
「不自由な思いなんてしてないよ!」
「でも…蓮もゆうきも俺についててくれるから先輩たちにも迷惑かけてるし…」
木内先輩と須藤先輩は何も関係ないのに、恋人と頻繁に会えなくなっている。
頭下げて謝りたいくらい二人には申し訳ない。
一番迷惑被ってるのはあの二人かもしれない。
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