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すっかり通い慣れてしまった道順にうんざりする。これが最後でありますようにといつも願う。
今までその願いが叶った事はないけれど。

ノックをするのも癪で、施錠されていないのをいいことに、無礼も承知で唐突に扉を開ける。

「あ、いらっしゃーい!」

同じく制服のままの水戸先輩は、扉まで駆け足で来ると笑顔で頭を撫でた。

「触んな」

それを手で振り払うのも毎度のことだ。

「相変らず素っ気ないなー」

言葉ではそんな風に抗議をするが、笑顔は崩れない。
そんな水戸先輩を尻目に、無遠慮にどかどかと部屋の中に入る。いつもの定位置であるL字型ソファの端に腰を下ろす。

「楓君ー、冬休みどう過ごすのー?」

簡易キッチンから声が響く。どうでも良いが、語尾を伸ばす話し方はどうにかならないものか。

「関係ねえだろ」

「教えてくれたっていいじゃん!実家教えろとまでは言わないからさ」

教えたならば、実家にまで押しかけてくるのではないかと危惧していたので、心底ほっとした。

「…別に普通に実家に戻るけど」

「明日?」

「まだ決めてない」

「そうなんだー。寮にいるなら会いたかったけど…」

そこで一旦言葉を区切り、はいと、ココアが入ったカップを手渡した。

「俺今日帰っちゃうんだよね」

「へえ、それはよかった」

「酷いなー……寂しかったらいつもで俺の家来ていいからね」

「ふざけんな」

「あは、そう言うと思った」

「…今日帰るなら俺別に来なくても…」

「うん、でも実家近いから夕方になったら帰ろうと思って」

「あ、そ…」

素直に実家に帰ってくれるようで、心の中では万歳をした。
寮にいる限りは怯えながら生活をしなければいけないのだろうかと思っていたが、安心して暮らせそうだ。

「楓ちゃんは実家近いの?」

「都内だけど…」

「そっか、久しぶりに帰るから家族も嬉しいだろうね」

「どうだかな」

うちの家族は日本を象徴するようなごく一般的な家庭だ。
サラリーマンの父と、共働きの母に、生意気でも可愛い弟。
家族仲も悪くなく、弟は反抗期らしいが、それもごく普通のレベルだ。
帰省して喜ぶかはわからないが、弟には会いたいと思う。
勿論両親にも会いたいが、兄弟仲は良好で弟も受験生だから、手伝えることがあればと思っている。

「…兄弟とかいるの?」

「…弟が一人」

「そうなんだ!俺も弟いるんだ!一緒だね」

あまりにも幸福そうに笑うので、目が丸くなった。男二人の兄弟なんて、別に珍しくないのに。香坂や木内先輩だってそうだ。

「いくつなの?」

「中三」

「俺の弟も中三ー!」

この偶然に益々嬉しそうに笑うけれど、こちらは逆に地獄に堕ちた気分だ。
水戸先輩の弟までもが東城に入学したらどうしよう。運悪く弟同士が同じクラスになってしまったら。いくら生徒数が多いといっても、クラスが同じになる確率だってあるわけで。
それは香坂の弟も同じだが、学年が同じというだけで顔を合わせる機会はいくらでもある。
僅かな関わりも持ちたくない。先輩が卒業したらそれで終いになればいいと思っていたのに。
自分の不運をかこって嘆息を零した。

「まさか、ここに入学すんの?」

「んー、どうだろね、まだ迷ってるみたいだよ」

たのむから別の高校に進学してほしい。
神様は願いを聞いてくれないから、せめてこの小さな願いくらいは叶えてくれてもいいと思う。
初詣の願いはこれにしようと決めた。

暫く取るに足らない話しをし、時間が過ぎるのを待った。
ちらちらと時計を見ては、なかなか進んでくれない針に苛立った。
早く時間が過ぎて欲しいと願うときほど、一層遅く感じるものだ。
カップに残った粉っぽいココアをぐっと飲み干したとき、こちらの心とは裏腹な軽快な音楽が響いた。

「あ、電話だ…」

電話は構わないが、着信メロディーが子供向けアニメのテーマソングとはどういうことだ。
益々目の前の男がわからず呆れ気味でそちらをちらりと覗けば、ディスプレイを見た水戸先輩は、今まで見たこともないような顔でふわりと優しく微笑んだ。
それは一瞬の出来事だったが、微かに感じた違和感だなんだろう。
何かがおかしい。何かが違う。
こちらに気付く様子もなく、先輩は嬉々として通話ボタンを押した。

「もしもし」

声までもが、俺や景吾に向けられるおどけたようなものではない。

「あー、うん……え?わかったよ…」

短く言うと携帯を閉じ、そして俺に向き合った。

「ごめんね、ちょっと急用ができちゃった」

「別にいいけど…」

「呼び出したのにごめんね。もっと楓ちゃんと一緒にいたかったんだけど。なんてたって離れ離れだし…」

「せーせーするわ」

「もー、寂しいとかないの?」

「ねえよ」

先輩はちぇっと口を尖らせた。そんな仕草をしても可愛くない。
カップをテーブルに置き、早々に退散すべく扉へ歩いた。
ドアレバーに手をかけ、開けようとした瞬間、背後からぎゅっと抱きしめられた。

「ちょっ…」

肩に額をのせるようにして、無言のまま抱きしめた腕に力を入れる。
頬にかかる先輩の髪が、くすぐったかった。

「…おい…」

問い掛けても返事はない。
こんなことは初めてで、戸惑っていいるとぱっと腕がほどかれた。後ろを振り返ると、貼り付けたような笑顔であった。

「じゃあね、楓ちゃん。離れてるのは寂しいけど、三学期になったらまた遊んでね」

「…お前の気が冬休みで変わることを祈るよ」

「まあまあ、三学期になったら卒業しちゃうしさ、その前まで俺の相手してよ」

ウインクまでしてきて、げんなりしながら今度こそ部屋を出た。
先輩が最後、どんな表情をしていたのかは知らない。わからないが見たくなかった。
僅かに感じた違和感が胸の中で気持ち悪くうずめき、舌打ちした。

とぼとぼと水戸先輩の部屋から自室への道を歩く。
明日からは短い冬休み。そして短い休戦だ。
ほっとする心とは反面、実家に帰るのだろう香坂を思うと、少し寂しく感じた。
今まで長期休みは一緒に香坂の家に行き、綾さんの顔を見て、平凡に過ごしていたのに。
学園にいたくない、同じ空間にいたくないと思ったものの、学園の中にいれば香坂の動向は把握できるわけで。
それに安心感を持っていた部分があった。
けれど、冬休みはあいつがどこで何をしているかなんて、知るよしもない。
もしかしたら、適当な女性と遊ぶかもしれないし、お気に入りが見付かるかもしれない。
交友関係は広いだろうから。
とやかく言う資格がないとわかっているけど、俺だけの香坂でいてほしい。虫のいい、厚かましい願い。
よからぬ妄想をしては、嫉妬の嵐に狂ってしまいそうになる。

香坂を想うときはいつだって周りが見えなくなる。俯き加減で歩き、視界に映るのは真っ白な床だけ。
ポケットに手を突っ込む。頭の中では香坂がループしている。

あんなことがあった、こんなこともあった。
くだらないことでよく喧嘩もしていた。
俺の我儘や嫉妬にもつきあってくれて、傷つけられてもその度に甘やかしてくれた。
愛してるとたまには言ってくれた。
その度に胸が張り裂けそうなくらい嬉しくて、他になにもいらないと思えた。
あの声も、あの顔も、あの身体も、全部が好きだった。
俺様に嫌気がさしたりしたけれど、それでも嫌いにはなれなかった。
腕の中は驚くほどに心地よくて、そのくせ唇は熱かった。
自信満々な態度に呆れたが、何処かでその傲慢さに憧れていた。
他の者を圧倒する存在感があった。触れることすら戸惑われるほどに、香坂の雰囲気は高貴なものだった。
一つ一つの思い出を噛み締め、そしてそれは傷となる。
頭では理解しているのに、想わずにいられない。
突然すぎる別れに、香坂が赤の他人になった実感がわかない。
ついこの前まであんなに深い付き合いをしていたのに、別れた瞬間に他人に戻れるわけがない。少なくとも自分にはそんな器用な真似はできないらしい。
そう思うと、恋人たちは誰もが危うく、綱の上に立っているのだと思った。
幸福を孕んだ笑顔を見せあっていても、明日、明後日にはどんな関係に変わっているかはわからない。
そして自分たちはそれを学んでしまった。

一刻も早く立ち直りたい。
香坂がいない毎日が早く日常になればいい。出逢うその前まで、時間が戻ってくたらいいのに。
女々しい自分がとても嫌いだ。自覚しているからこそ、それを嫌う。
香坂を思い出す努力をする時間があるのなら、忘れる努力をするべきだ。
いっそのこと、記憶喪失にならないだろうかと馬鹿みたいに思った。
神頼みもしたが、そんなことに意味はないとわかっている。
縋るべき人も場所もなく、それでも何かに縋らないと心の均衡が保てない。

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