男は我が物顔で湯につかりながらのんびりと、それはそれは優雅な様子。せっせと掃除をする私とはまるで別世界にいるようだ。

「そのときサッチの奴が、」
「あのさ……」
「ん?」
「毎朝毎朝、営業時間外に来るのいい加減やめてくれない……!?」
「なんでだよ。問題があるようには見えねェが」
「あんたどこまで空気読めないの……!? 問題あるよ! 仕事の邪魔!」

あれから毎日、朝と晩にやってきては船に誘ってくるのだ。夜はまあいいとして、問題は朝。大忙しで動きまわって重労働をこなしているというのに、そんなこと一切お構いなしでずっと話を振ってくる。相づちをしないと「聞いてんのか」としつこく迫ってくるから、もうとにかく邪魔だしめんどくさい。
いつも男湯を張り終わるころにやってくるため、一度だけ、時間ぎりぎりまで浴槽を空けておく戦法を実行してみた。さすがに入湯できなければ諦めて帰っていくだろうと思っていたら、大まちがい。困惑する様子もなく浴槽のフチに腰をかけて、それまでと同様話しかけてきたからこいつには何をやっても無駄だ、と悟った。

「それとすり込ませようとしてるのか知らないけど、タイチョーだとかタイインたちの名前とかエピソード話すのやめてくれない……!?」
「知っておいたほうがいいだろ。親近感も湧く」
「湧かなくていい」

男は度々、その仲間たちを「家族」と呼んだ。私にとっての家族は未だ療養中のばあちゃんただひとり。だからいくら誘われても、仮に私がその話に興味を持ったとしても。たったひとりの家族を残して、ましてや海賊船に乗るなんてあまりにも非現実的すぎて笑えるレベルだった。

「あとさ、文句が尽きないから言うけど、いつまでものんびり入ってないでたまには手伝ってくれてもいいんじゃない……!? 私がこんなに、息切らしながら掃除してんのに……!」

勧誘するなら、少しくらい親切心を見せろと悪態をつく。おかげでさらに息は切れる。それを聞いて改心したのか、勢いよく立ち上がった男は湯船から出てこちらに歩いてきた。

「お、手伝う気になった? その前に服着てね」
「いいや。手伝わねェ」

じゃあなに!と聞いても、したり顔かつ素っ裸のまま距離を詰めてくるから困惑してしまう。

「ちょ……なに、脱衣所はあっちでしょなんでこっちに来……いやそれより前隠してよ……!」
「おれたちの船に来いよ」
「またそれ!? しっつこいな! 行かないって言っ……」

くるっと踵を返して脱衣所に退散しようとしたとき。
相変わらず恥ずかしげもなく全裸で向かってくるこの男に、私はかなり動揺していた。それで、見事に足を滑らせた。体勢が崩れ、転ぶ!と思った瞬間真うしろにいた男にしっかりと支えられ、腕のなかに閉じこめられているとわかったときには私の全細胞が、蜂の巣をつついたような大騒ぎ状態。

「なあああ!ちょっ、な、だ、」
「風呂屋の孫でも滑るんだな」

耳元で愉しげな声がひろがる一方、男の胸におさまって言葉にならない声を発する私は、捕獲された宇宙人のようだ。自分で自分が心底気味わるい。この状態でも、そんなことだけははっきり思うことができた。

「お前さんが一緒に来るって言うまで、おれはここに来ることをやめねェし掃除も手伝わねェ」
「な……! そんな身勝手な宣言ならしなくて結構!」

我に返って腕を振りほどく。どこまでもマイペースな男に腹が立った。それに振りまわされ、いちいちうるさくなるこの心臓にも。

この日からぴたりと誘いがなくなった。押してだめなら引く作戦なのか、いやそれにしても二週間以上なにも言ってこない。それともただ単に諦めたのか。どちらにしろ私にとっては好都合。
朝晩やってくるのは変わらないし、一方的なおしゃべりも続いているけれど、気はかなり楽になった。



◇◇◇



とある日の晩。だいたいいつもと同じ時間にやってきた男に、番台から声をかける。

「いらっしゃい。ばあちゃん復帰したよ」
「おー良かったな。お前さんはもう引っ込むのか?」
「まさか。病み上がりに重労働はさせられないよ」

私とイゾウが喋っていると、脱衣所で常連さんとおしゃべりをしていたばあちゃんが戻ってきた。ばあちゃんは男を一目見るなり、目をまんまるくさせて声をあげる。

「……あらやだっ、いい男!」
「ばあちゃんが休んでるあいだから、よく来てくれるようになった常連さんだよ」

かなり鬱陶しい常連さん。と小声で付け足したけれど、美男に見惚れるばあちゃんの耳には届いていないようだ。イゾウを見ると、これまでに見たことのない無邪気な笑顔をばあちゃんに向けているから、目を疑う。

「初めまして。居心地が良いのか、朝晩と気づいたらここに来てるんですよ」
「ま〜ありがとうねぇ。こんっな美男が通ってくれてるなら、もっと早く戻ってくれば良かったわ!」
「おいおい婆さんそりゃひでェ話だ! 美男なら四十年も前からこうして見てるだろうよ!」
「なに言ってんのよ。話になんないね」

馴染み客とばあちゃんの会話に男は眉尻を下げて笑った。

「笑える」
「いつもあんな感じだよ」
「元気そうでなによりだな」

ああそういえば初対面のころも、よく笑う男だと思ったなあ。
いろんな雰囲気を持っているけれど、きっとどれも本当の姿なんだろう。

「なあ」
「ん?」
「ばあちゃんの身体が落ちついたら、飲みにでも行かねェか?」

これまでとはちがう誘いに正直驚いた。まあ、船の勧誘も諦めてくれたことだし、最近ずっと働きづめだったし悪い話ではない。

「いいよ。ただし、最高に美味しいお酒を出すところにしてね」
「まかせとけ」

ちょっと嬉しくなってしまうのは、ばあちゃんも戻って安心し、久しぶりにお酒が飲めるからだ。そう思うことにしよう。



◇◇◇



「……ねえ」
「どうした」
「飲むって、ここで飲むの……?」

約束した翌週、今夜どうだとお声が掛かったのでふたつ返事で了承した。
待ち合わせ場所から港へ向かって歩き、これ以上先にはもう店なんてないと言いかけたとき。見たこともないほどの、大きなクジラの形をした船がそれはもう堂々と君臨していて目を見張った。

「最高にうまい酒を出すところって言ってたろ」
「言ったけど! これは、その、ちがうでしょう!」
「ちがわねェよ。いまこの島で最高の酒が山ほどあるのは、この船だけだ。行くぞ」
「行かないよ!」

まんまとはめられた。おとなしくなったと思って油断したのがまちがいだったか。
この船に乗れば、またしつこい勧誘攻撃をくらうのではないか。最悪、そのまま出港でもされたら自力では絶対に逃げられない。

「参考までに聞くけど……」
「なんだ?」
「船員たちは今現在、全員ここに乗ってるの……?」
「いいや。まだログ溜まってねェし、それぞれ宿取ったり好きにしてる」

言ってることが本当なら、最悪の事態は避けられそうだ。

「もしかして……そのまま連れ去られるとでも思ってんのか?」
「そりゃ思うでしょ!」
「ははっ! 心配すんな、そんなことしねェよ。しつこく誘ったりもしねェ」
「ほ、ほんとに……?」
「ああ。前に話した、コックのサッチって奴がうまいつまみ出してやるって張りきってる。まァちょいちょいクルーが茶々入れてきたりするかもしれねェが、みんな気のいい奴らだから」

先にタラップに足をかけ、こちらに手を差しだす姿は絵本のなかの王子様みたい。だとすれば、その屈託ない笑顔は魔法だ。
嘘はどこにも見当たらないから、私も笑って手をかさねる以外にないだろう。


to be continued.
thanks/にやり・レイラ
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