風情ある昔ながらの銭湯。と言えば聞こえはいいけれど、ただの廃れた銭湯だ。
ここは祖母が経営していて、ふだんは彼女が番台に座っているのだけれど先日腰を痛めてしまい、ちょうど仕事を辞めてヒマを持てあました孫の私が代理を務めている。
ちなみに、そんな廃れた銭湯の客層は私が生まれた頃から知っている、年配かつ近所に住む顔なじみばかり。そしてたまに、山賊とか海賊とかマフィアといったいわゆる荒くれ者たちも。最近はこの島にもやたら設備が充実した、スパだの健康ランドといった施設が増えたせいで、昔に比べて客足がかなり減ったのが現実だ。

「ん!? おめェが番台なんて珍しいな! 婆さんはどうしたよ」
「腰痛めて療養中」
「そりゃ大変だ! 明日にでも見舞いに行くって伝えといてくれっ」
「うん、ありがとう。……ちょっと待ってお金は!? どさくさに紛れてとぼけないでよ!」
「はっはっは! 抜かりねェな!」
「あたりまえでしょ早く払え!」

「おばあちゃんの腰はどう?」
「うーん痛みは引いたけど違和感はまだ残ってるみたい」
「あらそう。いつも頑張りすぎなのよ。無理しないでゆっくり休むよう伝えてね」
「うん、わかった」
「そうそう、これ。よく効く湿布持ってきたから渡してくれる?」
「わーありがとう! きっと喜ぶよ!」

「これで牛乳ひとつくれるかー。しっかし番台姿も板についてきたなァ」
「おとといから始めたばっかりだけどね」
「よしっ、ばあちゃんに代わって頑張るおまえに1本奢ってやる。これでな」
「やったーありがと! でも50ベリー足りない」
「ええ? なんでだよ」
「私牛乳よりフルーツ牛乳派だから」

子どもの頃はよくこの場所に座っていた。正しくは、番台に座る祖母のひざの上だけれど。それに飽きれば浴室をうろちょろしてお客にかまってもらったり、脱衣所で牛乳を奢ってもらったり、いわば看板小娘。おかげで他人の裸を見ても、なんとも思わない感覚が育ってしまった。

「おっ! 若い姉ちゃんが番台か!」
「いや〜照れちまうなァ〜」
「ンなこと言っておめェ、日頃鍛えてるのがやっと報われたと思ってんじゃねェのか? がははは!」

ああ、それともうひとつ、海賊にも慣れてしまった。
彼らのような者はスパや健康ランドとやらに行きたくとも、島でのそういった施設では入場禁止の対象となっている。だからうちのような銭湯に来るしかない。こちらもお金を払ってくれるなら誰でも歓迎する方針だし、それに金目のものがなにひとつ無いこんな場所で暴れるような奴は、いくら荒くれ者でもそうそういない。

そうして数人の海賊らしき男たちに混じって、浴衣、いや着物?のような服を着た黒髪の女が入ってきたため、慌てて呼び止めた。

「あ、待って!女性はそっちじゃ「おれァ男だ」

ふりかえった顔はとても端正で、唇には真っ赤な紅がひかれている。しかしぶっきらぼうな物言いと声。鋭い目つき。体格。よく見れば男だ。

「ごめんなさい。ぱっと見だったからてっきり女の人かと」

男は返事をすることなく、また前を向いて進んでいった。先を歩いていた他の男たちは気にする様子でもなく、それぞれ好きな場所に散ってお喋りを続けながら服を脱いでいる。よくあることなのかもしれない。
もう一度、今度は心のなかでごめんなさいと謝ると服を脱いだ男たちの身体には、白ひげ海賊団の刺青が刻まれていた。

ぼんやりしたり常連客と会話をしていると、海賊たちが湯からあがってきた。なにが楽しいのか、ぎゃははと大笑いをしていてやたら騒がしい。ただでさえ声がでかいというのに、はっきり言って困る。
男女の脱衣所を見渡すと、女性側にいた、常連さんの孫である幼い女の子の表情がみるみる強張っていくのが見えた。さっきまで笑顔で牛乳を飲んでいたのに、いまは直立して壁一枚隔てた男側の脱衣所、つまり騒ぎ声のするほうを見つめて微動だにしない。


「すみませーん。ちょっと声のボリューム下げてもらえますか?」

私がそう言うと彼らは怪訝な顔をすることもなく、おう、悪い悪いと気さくに返事をして要求に従ってくれた。すると反対側の女の子は安心したようにまた牛乳を飲みだした。同じように私も安心したのも束の間、三分と経たないうちにまた騒がしくなるから、さすがにイラっとしてしまう。でも様子を見ていると話に夢中なだけで悪気はないようだから、いま一度やんわりと声をかける。

「ちょっとお兄さんたち声が大きいですー」
「あっ、悪ィ!」
「他のお客さんもいるんでお願いしますね」
「嬢ちゃん勘弁してくれな! こいついっつもこうなんだ」
「おいおいお前ェだって騒いでただろうが」
「あァ? それはお前が馬鹿なこと言って笑わせだからだろ」
「笑ったのはテメェの勝手だ。だいたい若い姉ちゃんがいるからって、さっきからなに紳士ぶってやがんだ」

くだらない言い争いがはじまって状況は振り出しに戻った。女の子がまた硬直しているのを見て、私もさすがに我慢ならなくなる。

「うるさいって言ってんのわかんないの!? そのしょぼいモンしまってさっさと帰れっ!!」

堪忍袋の緒が切れ、暴言とともに横にあった桶をぶん投げる。するとさすがは海賊。目の前に飛んできた桶を見て驚きの声をあげつつ、さっと避けた。思わずこの口から舌打ちが出た瞬間、宙を突き進んでいく桶はその奥にいた男の後頭部に、鈍い音をたててぶつかった。

「「「「………………」」」」

静まりかえった脱衣所には、桶が転がる音だけがむなしく響いている。
とんだとばっちりをくらったのは、私が女性と間違えてしまった男。袖を通している最中の姿勢で、微動だにしない。はしゃいでた海賊たちはみるみる青ざめていく。

「「たっ、隊長ォ!!!」」
「テメェ……おれがいるのに避けたってことは覚悟できてるってことだよなァ」
「すすすすすいやせんっ!!! まさか隊長が後ろにいるとはっ……!!」
「次の実弾演習楽しみにしてろよ」
「はっ、はい!……いえ! やっ、その……!」

焦る男たちのあいだを通り抜ける顔は、無表情。

「当てちゃって、すみませんでした」
「ありゃうちのが悪い。しかしあんたも客に向かって物ぶん投げるとはいい度胸してんな」
「……まあ、迷惑な客に物ぶん投げちゃいけない決まり、ここにはないんで」
「ははっ! ほらみろ、いい度胸してる」

あ。笑った顔かわいい。




◇◇◇



銭湯の朝は早い。昼過ぎからの営業とはいえ、掃除やなにやら慣れない作業で朝の七時から苦戦し続けもう三時間だ。
洗い場でブラシをかけながら心が折れそうになっていると、番台の横から誰かがドアを開ける音が聞こえてきた。この忙しいときに来るなんて迷惑な奴だと心で悪態をつきながら脱衣所に向かうと。

「あ、すみませんまだ準備中でー……げっ!」
「後頭部から首にかけて痛むんだよなァ。どこかにぶつけたのかもしれねェ」

あるいは昨夜なにかをぶつけられた、とかな。そう言ってにっこり笑ったのは、昨日の、男だ。
ばあちゃんごめん。面倒なことになったかもしれない。

「湯、張ってあんだろ?」
「あー……でも洗い場の掃除がまだ、」
「かまわねェよ。入らせてくれ」

昨夜の申し訳なさも残っていて、そういうことならと了承する。あいにく男子洗い場の掃除以外はすべて済んでいるため、言われたとおりかまわず気にせず掃除を進めた。
ブラシでタイルを擦るのは以外にも体力が必要で、ばあちゃんは毎日こんな大仕事をやっているのかと思うと胸がちくりと痛む。外に勤めず、ここで手伝いをするのも今後の選択肢のひとつに加えるべきかもしれないと感傷的になっていると、背中からくつくつと小さな笑い声が聞こえてきた。

「…………なに!?」
「いや、悪い。 “しょぼいモン” とはよく言ったなと思ってよ。思いだしたら可笑しくなっちまった」
「あー。見たまんまのことを言っただけ」

ぶはっと噴きだして笑う姿はやっぱり可愛かった。第一印象から無愛想なタイプかと思っていたのに、そうでもないらしい。

「それにしてもこれ、いいペンキ絵だな。名のある職人が描いたやつだろう?」
「さあ。たしかワノ国の職人が描いたって、ばあちゃん言ってたかなあ」
「だろうな。あの国は腕利きが多い。こうして山を眺めながらの風呂もたまにはいいな」

今度は可愛いというより綺麗。壁一面の絵を眺めてなにかを懐かしむようにほほ笑んだ横顔は、さっきの私のようにどこか感傷的になっている気がして、このまま素知らぬふりで掃除を続ける気にはなれなかった。
ブラシを手放して一度脱衣所に戻り、冷蔵庫から瓶を三つほどつかんでまた浴室に戻る。

「じゃあこの絶景を見ながら一杯どうぞ。好きなの選んで」

牛乳、コーヒー牛乳、フルーツ牛乳を浴槽のふちに並べる。

「おっ気が利くな。じゃあこれ」
「あ、私もフルーツ派!一緒だね」

思わず喜ぶと、男はまた小さく噴きだした。その意味はわからなかったけれど楽しそうでなによりだ。

「ここはお前さんが切り盛りしてんのか?」
「ううん。うちのばあちゃん。腰痛めちゃって、代わりに私が出てるの」
「へェ。普段はなにしてんだ?」
「今は求職中だけど……看護師。港の近くに大きな総合病院あったでしょ?あそこで働いてた」

私もひとつ気になることがある。
こっちも聞いていいか、と言えば二つ返事で了承してくれた。

「船長、元気?」
「……おやじを知ってんのか?」
「白ひげを知らない人はいない」

その瞳がほんの少し曇った。警戒するような、なにかを勘ぐるような不信感がちらついているのを見て、これは誤解させてしまいそうだと慌てて言葉を続ける。

「あーちがうの、私子どものころ、彼にここで助けてもらったことがあるらしくてさ。小さすぎて記憶にないんだけどね」
「へェ……おやじがここに来たのか。なんで助けるような事態に?」
「他の海賊に絡まれたところを……とかだったら、私もなにかの主人公みたいで素敵なんだけどねー。ただちょこまかして湯船に落っこちただけ。たまたま居合わせて助けてくれたんだって」

だから命の恩人はいま元気にしてるのか、聞いてみたの。そう言うと男はまた噴きだした。無愛想うんぬんどころではない。よく笑う人だ。

「そういうことか。てっきりお前さんのことを海兵か何かかと疑っちまった。それならいい度胸してんのも合点がいくってな」
「そんなわけないじゃん!」
「ははっ! ま、おやじは元気だよ」
「良かった。海賊王にもっとも近い男って言われてるもんね」

ああ、と返事をしながら湯船から出てくる男は、恥ずかしがるどころかタオルで隠そうともせず涼しい顔で横を通りすぎていく。すると途端に私の心臓はどうしようもないくらい跳ねあがる。
なんだこれ、今まで人の裸を見てドキドキしたことなんてないくせに。なんで硬直して動けないでいるんだ。いやちがう、これはただ、突然立ち上がったことにびっくりしただけで、べつに裸を見たからとかそういうのじゃない。絶対にちがう。……古傷がたくさんあったけど、綺麗に筋肉がついた素晴らしい身体だった。……いやいやいや!

「あ。お前さん求職中って言ったよな」
「……え? ああ、うん」
「うちに来いよ。ナースが不足してるんだ。面識があるならきっとおやじも喜ぶ」
「ちょっ、なに言ってんの海賊船に乗れってこと? そもそも私のことなんて覚えてるわけないじゃん」
「おやじは一度会った奴のことは忘れねェよ。おれたちの船に来い」
「いや、あのさ……仕事辞めたのは大きい組織がなにかと面倒でいやになったからなの。ご覧のとおり、小さなこんな場所で生まれ育ったからね。それが白ひげの船に乗れだなんて、大企業もいいところじゃん。絶対やだ」

気づいたら心臓は落ちつきを取り戻していた。やはり突然の出来事に驚いただけだったらしい。

「…………お前さん、おれが海賊だってこと忘れてねェよな? 同意がなくてもかまいやしねェんだ」
「女はみんなさらわれたい生き物だと思うの、時代遅れでつまんないよ」
「ぶっ……ははは! んっとに良い度胸してんなァ! はやくおやじに会わせてェ」
「行かないっつってんの」
「まァログが溜まるまで三か月ある。焦らずに口説くとするよ」
「どうでもいいけど次は営業時間内に来てくださーい」

口説く。色っぽい意味ではないのに、妙に耳に残ってしまう。
また心臓が速くなっていくのは、ときめいているのかそれとも、今後この誘惑を迎撃せねばという緊張感からか。


to be continued.
thanks/にやり・レイラ

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