こんなところでお茶してる時間はありません!1時間後には社内会議があるっていうのに!
そう叫びたい衝動を抑えるのは、ここがホテルのロビーにあるティーサロンだから。

「社長」
「ンマーどうした」
「お願いですから今すぐそのカップを置いて立ち上がってくれませんか」

口角をあげ、目の前の人物にほほ笑みかける。でも決して目は笑っていない。
まァそう焦るな、との返事に脱力しながら周囲に目を向けると、思わぬ人物が目に入った。

「あ。マルコさんだ……」
「どこに……ンマー、マルコだな」

ここはどちらのオフィスからも少し離れている場所。すごい偶然だ。
話しかけようかな、でも仕事相手も一緒だったりするのかな、とためらっていたら、どこからともなく女性が寄ってきてマルコさんもそれを当たり前のように受け入れていた。
背中に手を添えて歩き出す雰囲気は、どう見ても親密だし、あろうことかその女性は先日会った元婚約者。サングラスをかけてうつむき気味だけれど、まちがいない。

「…………」
「…………」
「…………や、仕事依頼するって言ってたから、たぶんその関係だと思うんですけど……」
「ンマー……脅すつもりはねェが……乗り込んだのは客室専用のエレベーターだぞ」
「そうですけど……まさか。今日だってこのあと食事の約束してますし」

ふたりが消えていった場所を、こちらもふたりで見つめながら話す。自分の心拍数が早まっていくことに気づくのと同時に、私用のスマートフォンに、マルコさんからの着信が。
きっと私たちに気づいていて、納得のいく説明をしてくれるのだろう、と電話に出るとそんな素振りは一切なくすぐに用件を話しだした。今夜は仕事で遅くなりそうだ、時間が読めないから悪いけど食事はキャンセルで、と。
私は半ば呆然としながらやっとの思いで、わかった、と絞り出し、それ以上はなにも言わずに通話を終えた。社長は察したのだろう。怪訝な表情で胸元からスマートフォンを取り出し、画面をタップしていく。なにをしようとしているのか、私も察した。マルコさんに電話するつもりだ。

「待って社長っ……!」

さっきは必死に抑えていた大声を、つい出してしまった。まわりの視線が刺さるのを視界と肌で感じ、我に返る。

「……っ……すみません」
「ンマー……いいのか」
「……はい。きっとなにか、事情があるんだと思います」

肩を抱いてホテルの部屋に行く事情ってなに。それって仕事の話をするのに必要なことなの。と自問する。
そんなわけあるか、という気持ち。いやでもなにか事情が、という気持ち。
結局日付が変わったころ、本当にごめんと心底申し訳なさそうにしながらマルコさんは帰ってきた。様子はいつもとまったく変わりない。

「飯は食べたのか?」
「ん、会社の近くでパウリーと食べてきた」
「当てる。交差点の角に最近オープンした店だろい」
「正解!美味しかったよ。珍しいお酒が多くてー、」

他に話すべきことがあるのはわかっている。でも、今日の夕方なにしてた?なんてカマをかけるような真似は絶対にしたくない。それなら、ホテルのロビーで見かけたんだけど、と、たったそれだけを口にすればいいのに言えなかった。
マルコさんを信頼していないわけではない。むしろ、絶対にそんなことをするはずがないとすら思っている。だけどほんの少しの不安が、どうしても邪魔をしてくる。

「あ、そうだName。ずっと渡そうと思って忘れてたんだけどねぃ、」

マルコさんは思い出したようにそう言い、リビングを出ていく。すぐに戻って私に差し出してきたもの。

「おれが遅いとき、フロントに開けさせるのもいい加減面倒だろうしねぃ。こっちのほうがいいだろい」

この家に入るためのカードキーが、マルコさんの手のひらから私の手のひらへそっと移る。
今日あんな場面を見てしまってからのこの流れは、はっきり言って複雑だ。だからこそ、聞くなら今。そんな思いが頭をよぎったけれど、やっぱり心の準備ができていない。
そんな私の気持ちを知る由もないマルコさんは、颯爽と唇を奪って素肌に手をすべらせていった。



to be continued.