太白星

 まだ太陽も明けない朝。ひんやりと濡れた様な空気が漂う双魚宮の庭園。霞がかった中でも、真紅の薔薇に映える水色の巻き髪は、立ち上がると声を掛けてきたの人物へとくるりと振り返った。
 射手座の黄金聖衣を纏ったアイオロスは片手を上げて、太陽を思わせるかの様な笑みを浮かべながらおはようとアフロディーテへ声を掛ける。
 まだ行かないでと囁き、花弁や葉や棘を寝巻きのズボンに引っ掻ける薔薇達に直ぐ戻ってくるから、と宥めてアフロディーテはアイオロスの元へ駆け寄った。
「おはようございますアイオロス。随分と早いんですね。」
「シオン様に呼ばれてな。」
「こんな朝早くから…?」
 朝と言えど人がまだ眠る時間。そういう状況での教皇からの出向命令は、大概勅命が下される。偽教皇サガが治めていた13年間にこういった場面をアフロディーテは幾度となく見てきたからだ。
 そう思ってしまうのも、アイオロスが聖衣を纏っているせいもあるのだろう。訝しみその美貌を曇らせるアフロディーテに、アイオロスは急に笑い出した。少年の面影を残しながらその笑顔は精悍なもので、何故かとても安心が出来るものだった。アフロディーテは今度は何事かとキョトンとし、アイオロスを見詰めていた。
「いや済まんな。お前が余りにも深刻な顔をするのでつい、な。」
「勅命ではないのですか?」
「いや勅命だよ。とは言ってもお前が考えている様なことじゃないさ。」
 アイオロスは話し出す。今年のクリスマスは聖域で皆で過ごしたいとアテナが言ったことが始まりで、それを聞いていた教皇シオンと補佐役である自分とサガは先頭立ってクリスマスパーティーの内容を考えているのだという。ツリーやイルミネーション、はたまた料理、ケーキ、プレゼントはグラード財団が受け持つので聖域の経費のことは心配ないと笑った。
 直に黄金聖闘士や、今聖域に駐在している白銀聖闘士にも、クリスマスに冠するお達しが出るだろうとアイオロスは言った。
「いやしかし、朝早くから呼び出しは流石に堪えるなぁ……どうしたアフロディーテ?」
「……良かった。」
「アフロディーテ?」
「…貴方が、私の考えていた様な勅命を受けていなくて…良かった。」
 にわかに庭園の薔薇達が騒ぎ出す。薔薇達の主であるアフロディーテの小宇宙が揺らぎ始める。俯いたアフロディーテの顔を上げさせると、アクアブルーの双眸から溢れた涙で彼の頬は濡れていた。
「……ごめん、なさい…。」
 思い出してしまった様だ。アイオロスが逆賊として聖域を追われることになったあの日のことを。あの時…アフロディーテは9歳だったか。逆賊となった自分を止める為に、拳を向けてきた少年は今の様な揺らいだ小宇宙をしていた。
 この子が自分より、サガのほうに懐いていたのは知っていた。しかしそれだけの理由でアフロディーテがサガ側に付いた訳ではない。厳しい修行を経て、黄金聖衣に認められ双魚宮を守護する様になったばかりの9歳のまだ幼い少年に、敬愛するサガを断罪することは実力的なことを抜いても無理な話であった。幼い彼なりに考えて、考えて、考えた結果がサガに付いていくことだった。それが荒れていく地上を救う、唯一の方法だと信じて。来るべき聖戦を勝ち残る術だと信じて。大好きなサガの側で、サガを護ることを選んだのだ。
 アイオロスがアテナを守りながら双魚宮にてアフロディーテと対峙した時、彼は言っていた。

 優しさや愛など力が無ければ踏みにじられるだけだ…と。

 …そうだ。この子は幼い時に大切なものを奪われてきた子なのだ。
「アフロディーテ…おいで。」
 両腕を広げてアイオロスはアフロディーテを抱き締める。嗚咽一つ溢すことなく静かに涙を流すアフロディーテの背中をゆっくりと擦ってやる。
「…済まなかったな。」
「…貴方の、せいではありません。全ては、私が……私、自らが決めたことなのです…。」
 辛かった筈だ。自分もアフロディーテへ拳を向けることに躊躇いがあったから。いやアフロディーテだけじゃない。自分を斬らなければならなかったシュラも、自分と同じく逆賊の汚名を着せることになった弟のアイオリアも、お互いに切磋琢磨して一緒に隣を歩いてきたサガも。
 皆が皆、自分の死を切っ掛けに過酷な選択をさせたことには違いない。
 誰が悪いということではないと女神は仰った。全ては降臨するのが遅れた私自身のせいだと。だから誰も悪くないのだと慈悲深い笑みを湛えて女神は全てを赦した。しかし赦しを得ても尚、誰もが其々に自責の念を抱いている。
 アイオロスは再度、謝罪の言葉を口にするのだった。


「……すみません、長々とお引き留めしてしまって。」
 まだ目元が赤いが、大丈夫だと言いアフロディーテはアイオロスから離れる。彼を心配してか薔薇達は一向にさわさわと風も無いのにざわめいていた。
 そんなことは露知らず、アイオロスはアフロディーテの水色の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「あ、アイオロスっ…!」
「今朝はお前に声を掛けて良かった。」
「……?」
 こうして自分の前で漸く泣いてくれたから、とアイオロスは更に水色の髪をくしゃくしゃにしていく。
「だ、誰にも言わないで下さいね…。」
「言わないさ、俺とお前の秘密だ。」
 乱雑に見えるが、それでも頭を撫でる手付きは優しい。昔されたみたいな、太陽みたいな温かい手のひらが心地良くて。アフロディーテは目を細めてアイオロスを享受する。
「お、夜が明けるな。」
 聖域に光が溢れる。誰にでも平等に降り注ぐ陽光は、アフロディーテの目の前で笑うアイオロスの様にとても温かい光だった。



ロス兄さん誕生日おめでとうございました。相変わらずの遅刻ですすみません←

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