#db1875

「ミロ、ちょっと良いかい?」
 天蠍宮の居住スペースを訪ねてきたアフロディーテを、ミロは珍しいと思いながら快く彼を迎え入れた。
 ちょっと散らかってるけど…と照れながらテーブルの上の物を右から左に、机の上に退かしていた。テーブルに残されたのは食べ掛けのピザとリンゴジュース。遅めの夕食を取りながら持ち帰った書類仕事をしていたのだろう。机に移された書類には微妙に小さい油染みが出来ている。
 明日アイオロスかサガか、どちらが最終チェックを入れるか分からないが、もしサガだったなら残念ながら書き直しと言い渡されるだろう。
 ミロは忙しくグラスを取り出しながら、アフロディーテにもリンゴジュースを渡す。生憎とアルコール類は切らしているそうだ。だからこれで我慢してくれと、苦笑いを浮かべて言っていた。
「で?どうしたんだ?」
「ああ、実はこれのことなんだけどね…。」
「書類?」
「うん。私が先日受けた任務の報告書さ。」
「…例の麻薬の件か?」
 獲物を射抜く様な、正に蠍座を名乗るに相応しい眼差しを向ける。アフロディーテはミロに書き出した麻薬の成分表を手渡す。スカイブルーの瞳が書き記した文字列を追い掛ける。
「…随分と強力な鎮痛・麻酔作用があるな。」
「肉体的にも精神的にもね。だから一度でも使用すれば習慣化し逃れられなくなる。」
 故にミロと二人でこの麻薬を精査し、効果がある薬を書き出す必要があった。
「済まないなミロ。君も仕事を抱えているというのに…。」
「気にするな。どう見てもこちらの案件の方が優先だ。」
「…有難う。」
 普通の書類仕事と打って変わってミロはスラスラと書類を書き上げていく。何時もこれくらい早ければ…と思うのはアフロディーテだけでは無いだろう。恐らくはミロが一番自覚していると思う。
「ところでアフロディーテ。」
 書類から目を離さずミロはアフロディーテに問う。
「身体は大丈夫なのか?」
 麻薬を体内に取り入れたのだろう?…今度はその射抜く様な視線がアフロディーテに向けられる。
「…ああ、接種したよ。」
「やはりな…。」
 やや呆れた様にミロは嘆息した。
「シュラにも言われたよ。そこまでする理由が分からないと。いや…そうしなければならないんだとシュラだって理解はしているんだ。ただ…納得はしてくれなくてね。」
「俺も納得はしないぞ。」
 アフロディーテに麻薬を取り込ませる様なこと……それではまるで実験の被験者ではないか。
「私自ら望んでやっていることだ。」
「アフロディーテ!」
「…ただミロの気持ちは、嬉しく思うよ。」
 アフロディーテは儚げに微笑む。
 そうしなければならない、なんて馬鹿げてる。他にも道はあるのに。なのに。自ら望んで道を閉ざし、合えて茨の道を進む。それが最適な道だと信じて止まない。誰も、彼も。本当にそれが正しい道かなんて誰が知ろうか。…誰が分かろうか。
「俺はもう、あの時みたいに…敵味方に別れて戦って…十二人の仲間を、友を…失いたくないんだ。」
 誰も。誰一人として。なくしたくない。皆が皆…それぞれ大切な人だから。
「…アフロ、ディーテ?」
「優しいなミロは…。」
 ふくよかな桔梗色の髪の毛を撫でるアフロディーテの手は優しかった。
「アフロディーテ…。」
 頭を撫でるアフロディーテの手首をミロはきゅっと掴む。そのまま手首を引いて、自分の元に引き寄せる。案外簡単にアフロディーテはミロに捕まった。ペンが落ちた音が妙に遠くに聞こえた。
強く香る薔薇の匂い。水色の髪の毛からも、アフロディーテ自身からも…どちらからも甘く香る。
「ミロ離してくれ、私の身体にはまだ薬が残ってるんだ…。」
「やだ。」
 すり…とミロはアフロディーテの肩口に顔を擦り寄せる。
「ミロ…。」
 彼がすがり付いてくるなんて、いつ以来だろう。アフロディーテはミロの頭を撫でる。撫でてあげることしか出来なかった。



ハーデス編は皆が皆辛かったと思う。
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