ミルキーホワイト

 月明かりを戴けない新月の夜。満月と違って新月というこの日もまた騒がしい。大概の奴らは知らないだろうが、今宵はまた随分と積尸気の亡者共が煩かったのだ。それらを鎮めた後は、積尸気も聖域も静かなものだ。ただ如何せん寒過ぎる。比較的温かいイタリアの南側育ちの自分には何年経ってもギリシアの冬は堪える。聖闘士だろうとなかろうと堪えるのだ。こういう寒い夜は、双魚宮アフロディーテのところに転がり込むのが良い。巨蟹宮より上で更に寒いという突っ込みは間に合っている。そうだとしても、巨蟹宮で一人酒をやって温まるよりかは、愛しい魚座のお姫様のところで一緒のベッドで朝を迎えるほうがよっぽど良いってもんだ。
 そんなこんなで辿り着いた双魚宮。居住スペースへ足を踏み入れ、リビングに着く。と、パジャマにカーディガンを羽織ったアフロディーテが電子レンジの前に立っていた。レンジの中ではマグカップがぐるぐると回っている。中身はミルクで間違いないだろう。
「よぉ、まだ眠れねぇのか」
 電子レンジを見つめるアフロディーテの背中から抱き締めてやる。直ぐ様鼻腔を擽る薔薇の香り。随分長い間嗅いできたが、一向に飽きる気配はない。まさに魔性の薔薇……なんてな。
「デスマスクも飲む?」
「いや、俺まで飲んだら明日の朝の分無くなるだろう? だから良いよ」
 そっか、とアフロディーテが呟いた直ぐに電子レンジがチンッと鳴った。一旦腕を離してアフロディーテを自由にする。白皙の手が電子レンジの扉を開いて、熱くなったマグカップを取り出す。戸棚からスプーンと蜂蜜を取ってやり、マグカップへととろりと垂らす。くるくる混ぜて二人でリビングに戻り、ソファーへと腰掛ける。
「美味いか?」
「うん」
 優しいホットミルクの香りと味が眠気を誘う。……常人ならば。
生憎と、不眠を自覚してしまった俺達には子どもの頃からの習慣は通じない。それでも、子どもの頃からのおまじないを捨てきれずに、心のどこかで信じてる……愚かな自分達がいる。
「……シュラは、眠れたかな…」
「日本は今頃朝だからな……お嬢の家で寝ずの番、してたかもな」
 枕が変わると寝れない、という連中が羨ましい。枕が変わろうと変わるまいと、我等が女神様がどんなに俺ら一人一人に合わせてくれようと、眠れないもんは眠れない。
13年間のことは、消せやしない。
無論、自分達がやってきたことは間違っていたとは思ってない。なのにたまにどうしようとないくらい…………。
「……なんだよ」
「眉間にシワが寄ってるな、と思って」
 綺麗な白皙の指が俺の眉間に流れる川の字を更地にしようとぐりぐり、ぐにぐに押してくる。
「止めろー」
「じゃあ力を抜きたまえ」
「へいへい」
 眉間のシワを伸ばし終えたアフロディーテは
、今度は俺の肩に頭を乗せてきた。珍しく甘えて来ている。水色の柔らかい髪をくしゃくしゃと撫でるとふわっと薔薇の香りが部屋の中に広がっていく。
「デスはもう眠そうだね」
「おぅ……悪いな俺だけ先によ……」
「構わないさ。おやすみデスマスク」
 まさか自分のほうが先に落ちるなんて思ってとみなかった。抗いようのない愛しの薔薇の香りに……陶酔の内に眠りに引き込まれていった。

 久しぶりに聞く、デスマスクの穏やかな寝息。新しく調香したアロマがきいたのだろうか。もしそうなら嬉しい。同じく不眠の癖を持つ彼が健やかに眠れているなら私はそれで良い。
 ソファーから移動して寝室へ。連れてきたデスマスクをベッドに寝かせて自分もベッドへと入る。勝手にデスマスクの腕を伸ばして枕にする。が、なんとなくしっくりこない。もう少し、もう少し近くに寄りたい。胸元に擦り寄り耳をぴたりと当てた。一定の心拍音がとくとくと聞こえて来て、生きているな……と当たり前の様で、当たり前じゃないことを思う。
(なんか、今ちょっと眠たい…かな、)
 愛しの蟹座の心音を子守唄に、アフロディーテの瞼も漸く下りてくる。長い睫毛に縁取られた瞼は、空色の瞳を暗闇が覆い、母なる深淵へと誘う。
 
 

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