陽炎 春風に吹かれた双魚宮の薔薇達はさわさわと揺れている。空が紺碧色に塗り替えられる時分。獅子宮より上に登ってきたアイオリアは先に庭園に足を向けた。 此処の主は暗くなってもランプ片手に、薔薇の面倒を見ている時がある。部屋の中のアフロディーテの小宇宙を探るより早く、温かなオレンジ色がぼんやりと見えたから、アイオリアは庭園の中にいるアフロディーテのところに真っ直ぐ進む。 「…アイオリア?」 「もう暗いから明日にしないか。」 「うん。丁度終わったところだ。」 ぱたぱたと土を払いのけながらアフロディーテはその場に立ち上がる。そよぐ程度だった風が少し強くなってきた。また風邪を引いては大変だとアイオリアはアフロディーテの手を引いて双魚宮に向かう。 ランプの灯りを消して部屋の灯りを着ける。 「冷たい。」 「外にいたからね。」 悪びれる風もなくアフロディーテは言った。アイオリアの手のひらは反対にとても暖かい。冷えすぎているから余計にそう感じるのかもしれない。 「…わっ。」 「身体もこんなに冷えてる。」 「…ふふ、暖かいなぁ。」 すり…と頬を寄せるとアフロディーテの冷たさに、アイオリアはビクッと身体を跳ね上がらせていた。 「ふ、風呂は?」 「まだ沸かしてない。ずっと庭園にいたからね。」 「沸かしてくるから、ちょっと待っててくれ。」 心なしか顔を赤くしながら獅子はばたばたとバスルームに走っていく。分かりやすい反応をするアイオリアに、アフロディーテはクスクスと笑っていた。 「沸くまでもう少し掛かるから。」 「うん、有難……くしゅんッ!」 「大丈夫か!?」 心配そうに顔を覗くアイオリアに今度はアフロディーテが心臓を跳ね上がらせた。端正な顔が真っ直ぐに自分を見詰めてくる。先程顔を赤くしていた獅子とは思えないほどに。 「熱は…無い様だな。」 「あ、アイオリア…?」 「!す、済まないっアフロディーテ。しかし疚しいことは無くてだな!」 「ふ、ふふふ…あははっ!そんなに慌て無くても。」 またもや顔を赤くするアイオリアに対し、アクアブルーの瞳に涙を溜めてアフロディーテは笑いを止めることが出来ないでいた。 「アフロディーテ…。」 「ごめんごめん、君の反応が可愛くて…。拗ねないで、ね?」 幼子をあやす様な声音に、アイオリアの目の色が変わる。 刹那、熱い唇が押し付けられた。突然の口付けに驚くアフロディーテを尻目にアイオリアは、歯列をなぞり舌を絡め取る。 「…ア…イ、オリア…っ…。」 「…俺は貴方より年下だが、子どもじゃない。」 プライドの高い獅子座の押してはいけないところを押して仕舞ったらしい。今度は後頭部に手を回されて、先程より深く口付けられる。確かに彼はもう子どもでは無い。分かってはいたことだ。それでも何処かで幼い時のアイオリアが忘れられない自分がいて……。 「…んっ…っっ…!」 こんなに翻弄されるキスは初めてだ。こんなにアイオリアがキスが上手いとは思わなかった。冷えていた筈のアフロディーテの身体に熱が灯り始める。 「はぁ…っ、アイオリア…っ…。」 「…風呂は後ででも良い?」 「…うん、それで…良いから、早く…。」 その言葉にアイオリアは早急にアフロディーテを抱き上げると、彼と共に寝室に消えていく。ぱたんと閉じられた寝室の扉は、朝日が聖域全体を照らすまで開くことは無かった。 ―――――――――――― 獅子が魚に牙を剥いたある日の夕刻。 |