竜胆

 酷く冷たい雨が降る夜だった。しとしとと音も立てず、ただひたすら静かに雨は聖域の大地を濡らす。アフロディーテが管理する魔宮薔薇を初めとした薔薇達にも雨は等しく落ち、恵みをもたらす。明日はきっと、今日より更に美しく咲き誇るだろう。
「嫌な雨だ…。」
 植物にとっては良きものでも、今日の雨には良いことが起きそうには見えなかった。人が雨に好転を見出だすことは余り無いだろう。大抵は現状維持、或いは暗転の方向に向かってしまう。
 今この時まで何事も無かったが、この後に…きっと思わぬことが起きる。聖闘士として鍛え上げられた第七感が妙に冴えていて、アフロディーテに警鐘を鳴らしていた。
 音無しの雨が降る中、双魚宮に入って来た小宇宙にアフロディーテの背筋がゾクリと粟立つ。間も無く彼は双魚宮を抜けて教皇宮へ行くだろう。しかしそれより早く彼に逢わねばならない。私室よりアフロディーテは飛び出す。距離は思いの外近く。今度は身体中の肌が粟立った。
「…シュラ。」
 青白い炎が双魚宮の回廊を照らす。それでも薄暗いその回廊の中で、黄金の眩い輝きより先に目についたのは…紅。殺気を帯びた小宇宙は、喉元に刃を突き立てられたかの様に鋭い。意図せず気圧されるアフロディーテの呼吸は浅くなり、額にはうっすらと汗をかいていた。それでも努めて冷静にアフロディーテは言葉を紡ぐ。
「粛清任務とは聞いていたが、それだけでは無かった様だな。…何が、あった?」
 シュラが一歩進む度に、黄金聖衣に着いた血が雨と共に流れて、石作りの床に小さい水溜まりを作る。アフロディーテの問い掛けに答えず、血に濡れた山羊座は双魚宮を進む。
「そんな状態で…君は教皇宮へ行くのか?」
「報告に行かねば為るまい。」
「ならば、私は君が此処を通行することを許可出来ない。」
 言葉を終えると、薔薇の香気が一際強くなった。アフロディーテの足元から徐々に真紅の魔宮薔薇が広がり鮮やかに咲いていく。
「…なんのつもりだ。」
「此処は私の守護する双魚宮だ。通すも通さないも私の意思一つで決まる。」
「通して貰う。」
「いや、通さない。」
 だって。
「泣いてるじゃないか…。」
 初めて気付いたとばかりにシュラの目は見開かれる。雨ではない。確かに自分の目から流れ落ちるこれは、涙そのもの。
殺気立っていた荒んだ小宇宙が落ち着いていく。鎮静していくシュラへアフロディーテは腕を伸ばし、その身体を抱き締める。
「…まもれなかった。」
 誰を何を指すのか分からない。だから誰とも何とも聞かなった。聞いた所で何かが変わる訳では無いし、シュラが護れなかったという事実には変わりない。我ながら非情な思考だと思う。こういう場合はもっと優しい言葉を掛けて上げるべきなのだろう。しかし下手な慰めの言葉で、シュラは癒される人間では無い。
「…今だけは、胸を貸そう。」
 こんな不器用な私でも、今君の支えになれるなら…。私は君が哀しまなければそれで良い。
 嗚咽一つ溢さず涙を流すシュラの姿は、聖域に降る雨と嫌でも似ていた。

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時間軸とかは深く考えてません。雰囲気です。気を抜くと山羊魚は暗くなりますね…;

竜胆の花言葉は「悲しんでいる貴方を愛する」

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