Loka-Purusha



 園での有無を言わさないお下がり以外においてのヒロトの私物は、赤を基調としたものが多かった。それは自発的なものでなく、多発的なものだ。園である小さなイベントごとにもらえる筆記用具にしても、旅行先からのお土産のキーホルダーにしても、選ぶ前から発色の強い鮮やかな朱色のものを与えられていた。髪の赤いことが原因らしい。緑川は緑、砂木沼は黒、涼野は白、南雲はヒロトのものよりも深みのある赤、玲名は青。
 似合うとか似合わないだけではなく、たくさんの子どもたちの持ち物の混同を避けることにも十二分に役立っていた。だからヒロトは今でもただ何となくといった具合で、赤系統の物を手に取ることが多い。



「この間、車を見に行ってきたよ」
 ソファの背に軽く頭を凭れかけさせている玲名に、調理場から顔を出したヒロトが声を投げた。食器の合わさる音とともに、コーヒーのいい香りがふわりと漂ってくる。
「…飲み物くらい、自分で用意するが」
「いいよ、ゆっくりしていて。今日は俺がもてなしてあげる」
「お前ほどでもないと思うがな」
 微笑みながら渡されるヒロトの優しさをありがたく受け取りながら、玲名は少しだけ体をずらして、ヒロトの座る場所を空けた。ヒロトの好意に対して素直に振舞うことができず反発してばかりの頃が、懐かしく思われるほど長い時が過ぎていた。ヒロトはごく自然な動作で玲名の横に座る。今ではこの距離が当然のものだった。

「それで、もう購入は決めたのか?」
「うん。一応ね」
「なるほど、今日はそれを聞かせたかったのか」
 美味しい茶菓子をたくさん貰ったけれど一人では食べきれないから、良かったら遊びに来て。今朝方届いたEメール本文にはその一文だけが書かれていて、玲名は不思議に思っていたのだ。愛車(予定)の自慢話を聞かせるためというのなら何となく合点がいった。 ヒロトは会社のトップとして、年齢や経歴ゆえに舐められないようにと常に気を張っている。恐らく今の彼とそんな他愛のない話ができるのは、旧知の間柄のものだけだ。
 初めからそう伝えればいいだけの話なのに、それでもきっと変な嘘をつくのもためらわれて、思いついたのが美味しい茶菓子だけだったのだろう。
 悪くない頭で思いつくその場しのぎの理由付けを、ヒロトはいつでもしなかった。玲名はそういったところに垣間見えるヒロトの人の良いところがとても好きだった。

「まあね。ただそれだけでもないけど。ちょっと奮発していい車にしたから、玲名にも報告しておきたいなって思って」
「そうか。お前が報告したいというなら、今日は心ゆくまで聞いてやろうか。どういう車にしたんだ?」
 ヒロトと玲名と、話し込もうとする両方が同時にソファへ深く座りなおし、軋む音が小さく聞こえた。些細な癖が少し似通ってきている。は、っとおかしそうに噴き出した玲名が愛しくて、ヒロトは目を細めてその肩に空いた手を回した。

「青の発色がきれいな車だよ。形も色も、とっても気に入ったんだ。」
ヒロトの指先が、玲名の髪を優しく梳いた。玲名は首を微かに傾げる。
「青の車?赤じゃないのか?」
「どうしてそう思うの?」
 玲名は考え込むように少し黙りこんで、ゆっくりとコーヒーを口にした。
「…お前は赤が好きだろうと思っていたから。だから車はそんな色のものにするのだと思っていた。それか、無難に黒か白か」
 玲名の手元のコーヒーカップは青で、ヒロトが手にしているものはやはり赤のものだ。これを購入するときも、ヒロトが迷わず自分から赤の方を選んでいたことを玲名は覚えていた。きっとそれは無意識の行動で、だからこそそれが、ヒロトの好みを正確に示す証拠になるのだと玲名はっていたのだ。

「好きだよ、赤も。でも俺は玲名が、とても好きだよ」
「……それと何の関係があるんだ」
「あるよ、だってただの青色じゃなくて、玲名の髪に似た青い色のとてもきれいな車なんだから。確かに俺のイメージとして赤のカラーがあるようだけど、本当に望む一つや二つはそうじゃなくてもいい。俺は、玲名と一緒にいたいんだ。どんなときも。だから玲名の色は俺にとって特別」
「……ふうん、…」

 呟きのような相槌を打ち、ヒロトから照れくさそうに目を剃らした玲名は、もう一度コーヒーに軽く口をつけ、それからようやく思い切ったように口を開いた。
「…そんなにきれいだとお前が言うなら、少し見てみたい。……お前の忙しくない時でいいから」
「時間、忙しくても作るよ」
「…じゃあ、頼む」

 玲名の顔は向こうへ向けられていて、ヒロトには表情がわからなかった。けれどもそれは気の強い彼女には珍しく甘えるような口振りで、ヒロトはとても嬉しかった。そのやわらかい体をぎゅうぎゅうに抱き締め、首筋に顔を埋めてゆっくりと息を吸い込むと、ヒロトの目の前に湖の色がさらさらと広がっていた。
 ヒロトが思うに、深く澄んだその色はどんな色より美しく、本当に必要なときだけ彼を安らぎで包んでくれる取っておきなのだ。